弱小校コンプレックス
「久しぶりに心落ち着くオフがあったら何をしよう?」
そんなことを考えることで、逃げたい緊張をいくらか和らげていたのだけれど、メダルをとったオリンピアン達も試合後のインタビューで同じようなことを考えていると答えていたので、結局、楽しみを用意して耐え難い苦しさに立ち向かうという意味では僕もオリンピックに出場したことになる。
そこまで言わずとも、競技こそ、闘うレベルこそ違えど、人が元々もつメンタリティにはさほど差はないというのが最近の自分の見解である。メンタリティなるものは、環境に適応していく中で強くも弱くもなりそうだという話だ。関係性の中で強くも弱くもなる移ろいやすいものであるとも言える。
例えば、今の自分にU-23日本代表チームに呼ばれる技術が急に身に付き、急にオーバーエイジとして招集されたとする。しかし、そこで良いパフォーマンスを発揮できるメンタリティを得るにはすごく時間がかかるだろうと感じる。
まず、そこに心理的安全性がない。10歳近く年下の選手達の出来上がったコミュニティの中で、コミュニケーションの入り口がわからない。所属はビッククラブどころか公立中学校なのでマウントは取れないし、いとこは一般人なのでいじってももらえないだろう。精神的支柱として期待されて呼ばれたはずの自分が、腫れ物となる可能性は大いにある。これは偏見であるが、藤尾翔太あたりには敬語が抜けず、しまいには水を掛けられそうである。年上にも厳しそうな松木玖生が招集外であることに内心ホッとしてしまうかもしれない。
これは性格に起因するメンタリティの話だが、ピッチ外での関係性をピッチ内まで引きずってしまう可能性がある。
また、国際大会の経験はないため、間違いなくゲームに入るまでに時間がかかる自信がある。B-upの穴となり、間違いなくスペインのプレスの的となる。大岩監督も貴重なオーバーエイジの枠をなぜ遠藤航でも冨安でもなくやまだに使ってしまったのかと頭を抱えるのが目に見える。
帰国後もSNSで叩かれて、気を病み、サッカーをやめる未来が見えた。
久しぶりの心落ち着くオフなのに例えばの話なんかしなければよかった。
「久しぶりに心落ち着くオフがあったら何をしよう?」
こんなオフではないはずだったのだが、逃げたい緊張を和らげるのに一役買ったのだから良い問いかけであった。
緊張の原因は専らこいつである。
相手は沼津市役所。全国自治体サッカー選手権、全国大会に44年ぶりに出場している強いチームである。(全国出場おめでとうございます!)
リーグの日程が決まってから気を抜くとずっとゲームのことを考えてしまう。唯一前に進んでいる時間だけが夢中になって緊張も忘れていられる時間であるため、日常の中にたくさんの夢中、没頭を作ろうと思った。
数えれば今日で連続59日目のジム、計算して身体に積み込んだ糖質の量、まだまだ深いスペインサッカーの整理、睡眠の質にこだわった生活、瞑想の習慣化、全部夢中だった。
コンディションはちゃんと作れた。作れるんだと知った。それがピッチに立つ上での自信の一端になるならと思った。
そう僕には大きなコンプレックスがある。
弱小校コンプレックスである。
そんな言葉があるのかは知らない。でも同じようなコンプレックスを抱えて生きている人はいるはずである。
弱小校コンプレックスは定義するに難しいが、僕が直面するのは、弱小校出身がゆえに緊張感の伴う強度の高いゲームへの経験値、免疫の不足がもたらすピッチ上の様々な弊害のことを指そう。サッカーの上手い選手に必要以上に劣等感をもってしまうこともある。
チームに入って半年が経つ。エンジョイサッカーができると聞いて入ったのに、話が違うではないか。東海1部所属のTOPチームの2ndチームではあるが、元TOP所属の選手、選手権日本一の選手がいて、県内強豪校出身、選抜経験、大学サッカー経験は当たり前の選手が集まるチームである。
その中にそのどれにも当てはまらない、弱小校出身の選手がいる。僕である。
チームの活動は基本日曜日のみ。それがリーグにしろ、TRにしろ、TRMにしろ、純粋な楽しみだけで待てるということはほぼない。自由参加なので仕事にかこつけて参加しなければいいのだが、ゲームに出れない、上手くなれる機会を捨てるのはもっと嫌なので休んだことはない。となると日曜日までずっと緊張を引きずるのだから、心休まる時間はない。
常に不安を感じてプレーしているから、その場の直感でサッカーが楽しいと感じることはあまりない。終わった後、振り返っていくつかある感情を冷静に分析した時に「あれは楽しかったんだ」と思うことが多いのが14年ぶりに現役復帰したサッカーの感想である。
昨日のゲームは先制しながら、直接FKで追いつかれ、勝ち越したものの、PKで追いつかれ2-2のドローで終えた。強度の高い相手に勝ち点3を手にしかけただけに、悔しさの残るゲームではあるが、手にしたのは貴重な勝ち点とチームの自信である。
このゲーム、自分はCBでスタメン、フル出場している。メンバーがたくさんいる中で、これはとてもありがたいことである。しかし、このゲームでも弱小校コンプレックスはちゃんと発動した。
慣れない強度にB-upは運べない、失点に繋がるミスを避けてフリーなのにボール保持も避けてしまう。普段、指導者として誰よりもサッカーを整理しているはずなのに、急に見えるものは少なくなる。大きなピッチの中で10mぐらいの情報処理しかできなくなった。ゆえに相手の構造の変化にも冷静な分析ができず、正しい情報を伝えられない。
ピッチで感じるそれは、''場違い''である。
躍動する前線の選手達に嘱望の眼差しを向けながら、ただひたすらにハイボールを跳ね返し、カバーに走り続ける。できることは少ない。交代の選手が見える度に、そろそろかとも思う。正直、ゲームの映像も2つ3つしか残っていない。彼らのようになれたらなとは常々思っているが、彼らと比較してサッカーと真剣に向き合ってきた時間の短さがあまりに仇(あだ)となっている。
弱小校出身でもちゃんと活躍できる選手もいるだろう。これは事実であり、もはやパーソナルの問題であることも理解している。弱小校コンプレックスだなんて、パフォーマンスの悪い自分への正当化である。
選ばれたことがあるとか、上手くプレーできたことがあるとか、信頼されたことがあるとか、たくさんのプレッシャーを潜り抜けたことがあるとか、ピッチ外の眼とピッチ内のそれが一致することか、
きっとそんなんで人は自分をごまかせる。
ごまかせたそれをきっと自信と呼んでいる。それもまた誰かとの比較と相対の上に成り立つ移ろいやすいものと、揺るがないものがある。オリンピアンの中にだって後者ばかりだってわけではなかろう。
そして人がこれまでに経験してきたことを、僕はこれから経験しなければならないのだ。
それはチームメイトとの関係性かもしれないし、強いチームとのゲームの経験かもしれないし、自身のアスリートレベルの向上かもしれないし、
さて、なにが僕をごまかせるんだろうか。
''そこにいていい理由''を自分の手で探し、感じることが今自分がチームにいる目的である。
サッカーを続ける理由としてはかっこいい。
メンタリティは環境への適応である。
強いだとか、弱いだとかはない。
いゃー楽しかったな、あれは。
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