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中条あやみがかわいくて

中条あやみはかわいい。誰がなんと言おうと中条あやみはかわいいのだ。

同じものを見て抱く感情は人それぞれであるという自明の理に反して中条あやみはかわいく、偉い人が人の印象を決定付けるメカニズムを提示して「人それぞれだ」と主張してこようと「これを見てもそう言えますか?」と問いただせば「否」と論を曲げるぐらいに中条あやみはかわいいのです。

さて、中条あやみはかわいくあることが仕事であり、かわいくあることで元気になりたい誰かを元気にしたのだからその時点で価値が発生し、仕事を全うしたことになります。きっと彼女も自分のかわいさを自覚して、ネットニュースに取り上げられる未来をわかってあれをやっています。あちらがねらっていることがこちらから見え見えでも良いのです、かわいいのだから。しかし、同じことをカッコ良くも、かわいくもない僕がやるとして、喜ぶのはせいぜい僕の彼女くらいのものでしょう。彼女はこんな僕に価値を見出したから一緒にいてくれるのです。いつもありがとう。

24時間をどう使うか

時間をお金に例えたこんな話があります。学校の先生の集会の鉄板です。

「毎日86,400円が、あなたの銀行口座に振り込まれます。しかし、午前0時には0円になってしまいます。しかし、その次の日には、また86400円が振り込まれます。60秒×60分×24時間=86400秒(円)なのです。」

なるほど、86400円を使えるとしたらみなさんはどう使いますか?

僕は新しいiPhoneが欲しいです。(きっとそういうことじゃない)

欲を言えば100000円欲しいです。(もっとそういうことじゃない)

言うまでもなく、86400円の使い道は人それぞれでしょう。だから僕は、使い道に関してとやかく言わないでくれと思います。「時間は有限なんだから無駄にするな!」と仰られても、どうせ明日も86400円いただけるんでしょう?なら僕は積極的にだらだらゴロゴロしたいです。それが幸せなのですから。「お前が無駄に過ごした“今日”は、“昨日”死んだ誰かが死ぬほど生きたかった“明日”なんだよ!」わかります。わかりますけど、僕の1日が無駄だったかどうかを決めるのはあなたじゃない、紛れもなく僕なのです。僕は僕で一生懸命生きているつもりです。

僕が言いたいことは、時間がもしお金だとするのなら好きに使わせてくれということです。僕ら教員は、とかく子どもを僕らの価値観で縛ろうとしますから、根拠のないテンプレで同じような価値を見出すことを求めます。「無駄にするな」とは言うものの、なぜ早寝早起きした方が良いのか、ご飯はしっかり食べた方が良いのか、勉強はした方が良いのか、なぜそうあるべきなのか納得のいく裏付けを添えて無駄を説明してくれる先生はそう多くはいません。それをした先に、こんな世界が待っているよ、だから安心して飛び込んでこいよ!と大手を振ってそのものの価値を伝えられる人はもっといません。子どもはね、きっとそこに価値があるとわかったら喜んでやると思うんですよ。そこにどんな価値があるのか、教えもせずに「無駄にするな!」は少々無茶がありませんか?

それに昨日は「人生に無駄なことなんてひとつもないんだ」って言ったじゃないですか、どっちなんですか先生?

86400円を好きに使った先に、自分が出来上がるのです。「みんな違ってみんな良い」そうなんででしょう?何に自分が価値を感じて時間を使い、何を自分が提供できる価値として考えるか、そこまですることでやっと「無駄なことなんてひとつもない」なんじゃないですか先生?

時間は有限で、あれもこれも学ぶことはできないわけだからそれぞれが自分が心惹かれたものを時間をかけて学び、それがやがて専門性と呼ばれるものになります。そして、それを必要な人が現れた時にはじめて価値として提供することができます。それを必要とする人が多ければ多いほど、大きな価値になり、仕事になり、お金になるのです。中条あやみは、彼女を見る事で今日を生き抜く勇気や、あと一歩を踏ん張れる元気をもらえる人がたくさんいるから、中条あやみとして生きていけるのです。となると、自分は何を価値として提供できるのか?「価値があるかどうかを判断するのはいつだって受け取る側」だとは思いますが、ねらって育てていく必要はあります。

好きなことを仕事にすることは、素敵なことだけれど、好きならそれが価値を生むぐらい頑張れば良いのになと思います。

世の中にはたくさん凄い人がいて、その人の与えてくれる価値の大きさに気後れしてしまったり、激しいジェラシーに見舞われることがあったりします。しかし、自分とその人の差は、そもそもどれだけそこに情熱を持って時間をかけて学んできたかの差なので悩む必要もないのです。好きならそれを求めてくれる人が生まれるまで頑張るしかないのです。

生憎、どれだけの努力を積もうとも中条あやみにはなれないわけですが、誰かにとっての中条あやみになることは可能なのです。意味わからないかもしれないけれど、そういうことです。また100人に価値を与える人でありたいのか、1人でも価値を感じてくれる人がいれば良いのか。そこはもう生き方の問題なので、自分の心に聴いてみてください。

先日こんなツイートをしました。

自分が人よりちょっとだけ時間をかけてきたものは何か。

長く生きていく中で自分の中の当たり前だけど、他人にとって当たり前ではなかったことは何か。

自分は何の人でありたいのか。

何をして笑っている自分でいたいのか。

それがきっと誰かに与えられる価値になるのだと思います。

僕は何にも持ち合わせていない残念な人だと思っていましたが、ある人にそんな相談をした時に「先生って国から認められた教えるプロだよね」の一言で自分の生きる道はここかと落ち着いたわけです。

生きる道が決まると、頑張り方がわかります。自分が何を持っているのか、本当に自分じゃなきゃダメことがあると思うんですよ。海外に行けないこの時期に、自分のことを見つめてみる時間を作ってみてはいかがですか?そういうのを本当の自分探しって言うと思っています。

泣かぬなら それは泣かない ホトトギス

中条あやみはかわいい、そういうことです。










そういや彼女なんていなかったわ。

写真

中条あやみオフィシャルinstagramより


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