可処分時間をどう使うか
4月1日より企業で働きはじめてから2週間が経った。
この2週間は本来、僕ら教員は忙殺され、かつ黄金の3日間を含む出逢いの時期はここを逃したら1年が終わるというプレッシャーを抱えて精神をすり減らして生きている。反して出逢いの美しさはそれがあまりに光って見えるものだから、精神的な疲労をも飲み込んでしまう。しかし、調子に乗った子どものためは、もっともっとと際限なく加速して、連休を迎える前には一度この仕事を続ける自信をなくす時がある。
今年の僕はというとしっかり9時に出社し、定時17時45分には上がっている。初めての多さに緊張するし、不安になることはあるけれどおかげで毎日ポジティブに働くことができている。驚いたのだが、企業では定時から部活が始まることがなければ、会議を始めることもない。遅くまで働いていると怒られてしまう珍しい世界である。
2週間で生活は大きく変わった。人生が変わるかはまた先の話。
それが僕に訪れた一番嬉しい変化である。ずっとほしかった時間が手に入ったのだから。
可処分時間という言葉で示す、自由に使える時間が学校にいる時より圧倒的に増えた。1日24時間のうち睡眠や食事、仕事、通勤といった生活に欠かせない時間を差し引いた残りの時間のことを指すそうだ。
これまで僕に与えられた可処分時間はあまりに少なかった。時間の使い方は個人の意志によって決まるのだから与えられたなんて言い方が正しいのかはわからないが、少なくとも学校で働いている間はイレギュラーを強いられることも多く、意志の力を跳ね返されるゆえに与えられた時間だという感覚をもっていたのは事実である。
今回はたっぷり時間が与えられた自分がそれをどう使うようになったのか、また限られた時間を使って生きていた時と何が変わったのかを紹介したい。
これまでの僕は、寝坊できない緊張感と共に5時50分のアラーム「僕のこと(Mrs. GREEN APPLE)」の大森元貴の歌い出し前の息を吸い込むところで目を覚ます。二度寝をし6時10分「Feel like([Alexandros])」をベッドで聞いてしまったら最後、遅刻が確定する。今の僕は朝7時にアラームなしで目を覚ます。ここから1時間英語の勉強を始める。いつかのキャリアアップをなんて大それた野望はなく、学生時代時間しこたまあった時に一番時間をかけた好きな時間の使い方だったからというだけの理由である。ちなみにまだモテたい。
1時間の昼休みがある。食堂でご飯を食べながら、仲良くなった年下の男の子と脂質の取り方とトレーニングについて喋ること30分、残りの30分を読書と仮眠に充てる。別に「先生っぽい」ほしさに行動を選択してるわけではないのだが、チャラついた天然パーマの負債があまりに大きいからこそ、それを埋め合わせる行動として一役買ってくれているのならそれも悪くない。
17時45分にパソコンを閉じて、少しだけ残る申し訳なさをグッと飲み込んで会社を後にする。嬉しさが溢れてしまわないように走りたくなるのをグッと堪えて丁寧に歩く。
18時にはスタバにいるスピード感。どこだかの社長さんが新社会人に向けてSNSで発信していたありがたいお言葉は長くて眠くなりそうだったから掻い摘んで読んだら「スピード感が大事」ってことだったけど、そういうことではない?知らん。
2時間ほどMacBookをカタカタ言わせている。AirPods越しに店内のBGMを聴く。AirPods越しに。noteを書いたり、サッカーの知見を深めたり、まじめだから「今日やった仕事を半分の時間で終わらすなら?」「今日の学びを教育現場に生かすなら?」をテーマにひたすらノートにアイデアを書き殴ったりもする。
それ本当に楽しいのか?と。
これが楽しいのである。
30代、皆の趣味がゴルフかキャンプに収まっていく中、学生時代から趣味自己研鑽を本気で貫いているのだから楽しくないわけがない。
スタバかジムかを選択していたこれまで、今は日に両方選べる贅沢もある。
あぁなんて素敵な日だ。
これだけしても寝るまでにまだまだ時間がある。今日を終わらせてしまうのはもったいないということで、ここからが可処分時間が増えた僕に起きた変化である。
自己研鑽とはまったく関係のないことに時間を使えるようになった。
最近はドラマを見始めた。
両親が薦めてくれた『春になったら』は父親の寿命と向き合う同世代に自分を重ねて、その強さに憧れた。僕は好きだよ。
漫画も読み始めた。
ベタにキングダムを1から読み直している。今の自分が映画に出るなら李牧を希望しつつも、歩兵Eであろうと思うとまた自己研鑽に力が入る。
寝る前にもう一度、腕立てをして、英語をして寝る。余すことなく、1日を使い切る。
自己研鑽の時間と自分を甘やかす時間とが同居している今、人生のおもしろさを切に感じている。ようやく心が息をするようになった感覚がある。
新しいことを覚えるたびに仕事は楽しくなる。
そして可処分時間が増えた今、仕事が終わるのも楽しみになった。
これまでの限られた時間の中では、つい自分を向上させることだけに時間を使っていた生き方がある。+αの時間のない自分にとってはトレーニングも勉強も苦行だったし、進んでいる感覚をもてないことは心のガンだったから。それは未来の自分のためと言い聞かせていたけれど、仕事が終わることが楽しみではなかったからダラダラと職員室にいてしまったのだろう。
「1分たりとも楽しくない時間はないか?」を問うて生きてこれたことなんかなかった。
仕事がおもしろいものであるために、先生たちにもっと自由な時間がありますように。
僕が今、企業に来ているのはそんな意味もある。
待っててくださいね。
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