167. 爪とは何か
生活する上で避けて通れない"信号待ち"という時間がこの世には存在する。
子供から大の大人まで雁首(がんくび)揃えて信号機という名の電子機器のふもとに並び、赤い発光体が青色に切り替わるのを待つという不思議な時間。無の時間とも言えよう。私も毎日の様に車でそんな時間を過ごす。
そして時折、ぼーっとその赤い発光体を眺めながら私は思う。
『(・・・一体これは何の時間なのだろか)』
人が生きる上で備える"本能"というものがあるが、その本能の中に"発光体の色の切り替わりを待つ"という行為は含まれていない。食うとか、寝るとか、それらとは無関係の時間。なので本能と対比をすると『(この時間は何だろうか)』と思ってしまう事がある。
いや、ちゃんと分かっているのだ。全ての人が本能剥き出しに生きると収集がつかなくなる。それらを統制する為に社会がある。言わばこれは秩序を守る時間。平和的行為だ。大いに賛成である。何ら問題は無い。だがそれを守りつつも、片一方の頭でそういった身も蓋も無い疑念が湧いてくる。
そんな数十秒〜数分の待ち時間をどう過ごすか。ぼーっとするも良し、景色を見るも良し、忘れ物が無いか探すも良し、身だしなみを整えるも良し。不自由な時間の中に与えられた自由時間である。
私は車で信号待ちした際、誰もが過ごす上記の様な時間に加え【爪を切る】という選択肢を持っている。爪を切るという行為も何も起伏がない無の時間。その時間を有効活用するという算段である。
もちろん、いつだって順風満帆というわけではない。時には指3本分の爪を切った所で信号が青に変わり、半端な状態で運転する事態になる事もある。調子が良ければそのまま目的地に着く事もしばしば。だが、無の時間の中で無の時間を消化するというこの相殺策は悪く無い手法だと思っている。
そんな行為に勤しむ中、私の脳は唐突に身も蓋も無い疑念を持ち込んでくる。
ある日、車内で爪を切りながら思ったのだ。
『(・・・ていうか、爪って何?)』
生まれてこのかた当たり前の様に受け入れてきたが、爪がなんたるものなのか、何のために存在しているのか私は知らない。よく考えたらそんな事誰も教えてくれなかった。
なんだか知らないが勝手に伸び、伸びすぎたら切り落とされるという世知辛い運命を背負った不思議な存在。
そんな不思議ものが一体何故人体に存在しているのか。何の意味があるのか。
我が体に備わっている物に対して無知というのも忍びないので、私は特殊能力インターネット検索を駆使して爪の事を調べてみた。
するとこう出てきた。
《もし爪がなかったらどうなると思いますか? 手足の爪先には骨がありません。 そのため手の爪がないと指先に力が入らず、物をつまみあげたり、つかんだりすることが難しくなります。 また、足の爪がないと足に力を入れて踏ん張ったり、歩いたりすることができなくなってしまいます》
もしこの説が本当なら凄いことである。薄っぺら一枚の透明な素材が先端に付くだけで両手両足の力を左右するとは驚き以外の何者でもない。非常に驚きであり興味深い。
さらに調べると、こんな感じの文言も出てきた。
《爪や毛は自己修復機能を持たない。一度割れたり欠けたりして損傷すると、皮膚や筋肉のように自然と修復することができない。なぜなら死んだ細胞(死滅細胞)で構成されているから》
なんと、爪や髪は自分の中の死滅した細胞で出来ているらしい。
ちょっとしたゾンビである。言い方によってはリサイクル上手とも言えるが、言い方によってはゾンビ。我々は両手両足にゾンビを飼っているのだ。前述した説も踏まえると、ゾンビが両手両足に力を与えている事になる。ファンタジーにも程がある。しかも爪はおろか、髪も同じ境遇だと言うではないか。
そう考えるとネイルとは死装束の如く、爪という名の死滅細胞に彩りを与えているという事だ。そしてそれを綺麗だと言い、髪という名の死滅細胞の束にはシャンプーという名の香料をまぶし、いい匂いだとか言っている。
不思議な物を作り出す人体もさることながら、それらに対する我々人類のアプローチもなかなかのものである。
体毛の事まで考えると人は死滅細胞で体が覆われているという事になる。黙ってても生えてくる、人としての機能。
だが人類は脱毛サロンなるものを設置し、その運命に抗おうと躍起になっている。ネイルサロンでは伸びて切り落とされるものに息吹きを与え、運命に抗っている。ヘアーサロンでは伸びゆく髪の運命に抗い、切り落とす。
時にはヘアセットとして髪を立たせる事もあるが、あれはまず重力に逆らい、更に死滅細胞を奮い立たせているということだ。反逆精神の塊のスタイルである。スピンオフで言うなら、日焼けサロンは生まれ持った肌の色に抗っている。
そう考えるとサロンとつく名の店は持って生まれた機能を無に期す行為を行う領域。反逆施設とも言える。
そして新たに思うのだ。
『(・・・サロンて何?)』
数珠繋ぎの様に次々と疑念が生じる。
日々、終わらない考察の旅なのである。
おわり
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