見出し画像

✏️カエルのゾゾ④-1

どうしようもなく、意地っ張りなカエルの物語。


 4、

 あれが最後の別れになるだろう。そう思うと、これまでのことが脳裏にありありと浮かんでくる。おせっかい焼きで、心配性なあいつがいなければ、おれはまた違っていたかもしれない。誰も信じず、この世の全てを呪いさえしていたんじゃないかな。頼みもしないのに、毎度、丘へやってきては唄おうぜなんて断れるとわかっていながら、誘いにきやがる。珍しくなにもいわないかと思えば、説教じみたことをわめき散らかすんだから、こちらとしては甚だ困り果てていたものさ。ゾゾは一匹苦笑した。
 森の入口に立つと、もう一度、自身の胸に問いただした。
 おれはあらゆるものを犠牲にする覚悟があるか? 身体を疵つけることは? 後退は許されないということは? もしかすれば、生命をも失いかねない。それはどうだ?
 なにをいまさら。おれは既に多くの障害にぶつかってきたはずだ。もう幻想にすがる必要はないんだ。本当の自分の自由を求めるんだ。失うものなどはなからありはしない。
 そう何度も胸の内で呟き、確固たる決心を誓った。
 森の中は暗い。決心を揺るがさないためにゾゾを包み込んでしまいそうだった。
 奥まで進んでいくといつぞやの場所にたどりつき、ゾゾは岩壁を前に立ち止まった。
 そこにあの老カエルがいた。なにをしているのか、じっと岩壁を見上げている。
 「疵…」
 疵だらけと呼びそうになるのを寸でのところで止め、老カエルの側まで近寄るゾゾ。ゾゾの存在に気がつくと、疵だらけは嬉しそうに微笑した。
 「うむ、来ると思っていたよ」
 「なぜ?」
 「一度、自由を夢見たものはそれを忘れられないからだよ。さて、ここまで来たということは既に覚悟は出来ているのだね。わしのこの姿を目の当たりにしても、それは変わらないかね?」
 前肢と後ろ足を半分失い、全身疵だらけの一匹森で暮らす老カエル。へたをすればおれも同じ道をたどることになるだろう。自由を求めた結果、不自由に陥る…。
 なにをいまさら。
 「おれの目にはもう岩壁しか映っていない」
 「ふむ、よろしい」
 疵だらけは岩壁の側までいくと、片方しかない前肢で触れた。
 「岩壁を登るといっても難しく考える必要はない。簡単なことじゃ。ひとつの物事をやり通せるのか、ただそれだけじゃて。お前さんに覚悟があるのなら、いうまでもないことかのう。ほっ、ほっ、ほっ」
 そして、ゾゾの岩壁登りの日々がはじまったのである。
 おれはこれをやる! と張り切ったのはいいが、はじめからそうやすやすと困難を打ち破れるはずはなく、地道に初歩的な訓練から開始された。
 疵だらけは技術を授けるのと同時に、なにやら教訓めいたことをよくゾゾに聞かせた。どういうわけか、年長者というのはよくそういうことをはなしたがるものだ。聞いて損のすることではないから、そういうときは黙って頷くに限る。
 「非力な我々が岩壁を恐れるのは無理もない。だがな、そこで一歩後退してしまうのか、それとも掴みかかってやるのか、大きな違いが生まれる。後退したものには永遠に巨大な存在として道を塞ぐことになるだろう。掴みかかったものにとっては、ただの岩の固まりでしかなくなる。恐怖を、恐怖のまま放っておいてはならん。克服するのじゃ」
 当初は岩壁を前肢で掴むのがやっとのことであったが、積み重ねた日々は嘘をつかず少しずつにせよゾゾは一段、また一段と岩壁をよじ登れるようになっていった。
 「ここまでできたからもういい、そう思ってしまうのは諦めと変わりない。自分を慰めて、納得させようとしているだけじゃ。自分で納得するタイミングは、心が教えてくれる」
 岩壁から落ちてしまうことも度々重なった。ゾゾはその度に小さなケガをした。挑戦し、失敗することの痛みが身をもって伝わった。この小さな痛みもまだはじまったばかりだからたいしたことはないが、さらに先へ進んでいけばより大きなケガをすることになるだろう。ゾゾは自分の身体に残った疵を見つめながら、そんなことを思った。疵はずきずきと疼いた。疼く度になんだか嫌な気分になってくる。これが痛みだ。覚悟はあるだとか、なんだとか軽くことばにすることは誰にだって容易なことなのだ。この痛みを知ったうえでもう一度、自分に問いただすがいい。
 ゾゾは強く頭を振った。まだはじまったばかりだ。なにを弱気になるのだ。これしきの痛みに怯えている暇はない。
 「おれはやってやるぞ。きっと、天井にたどり着いてやるぞ」
 ゾゾの眼光は岩壁を見据え、きらりと光った。

⑤-1へ続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?