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✏️カエルのゾゾ⑥-3 完

どうしようもなく、意地っ張りなカエルの物語。

小さな穴があった。小さな穴だ。
 ゾゾは井戸の世界からついに抜け出した。豪雨はやみ、黒雲でおおわれた空は晴れようとしていた。ところどころから光が差し込み、地上を照らしている。
 ゾゾはことばがでなかった。
 ようやく天井にたどり着いた、空だ! そう思いたかった。だがどうだろう。そこに雲はなかった。眼前にあるのは、限りない大地だ。
 ゾゾは振り返った。小さな穴があった。
 ゾゾは空を仰いだ。届きようのない高さだ。
 ゾゾは正面を向いた。そこに世界を囲む岩壁はなかった。
 ことばがでない。絶望? 思い描いた結果ではなかった。自分は雲になって永遠の旅をする予定だった。だが、ゾゾはカエルのままだ。
 身体が震える。憤怒や悲哀のためではない。では歓喜か。いや、違う。いかなる感情でもない。ただ、その圧倒的な現実を受け入れようとしている。これが岩壁なき世界なのか。
 ゾゾはしばらく途方に暮れていたが、やがて、そこからはどこにでもいけるという事実を知った。疲れもなにもかも忘れ、天に向かって叫んだ。本能のままに叫んだ。
 「おれは自由だ。自由なんだ!」
 頭上高く、黒雲を切って一筋の光が飛んでいくのを見た。光はたちまちに彼方へと消えていった。その軌跡が雲に残っている。
 ゾゾは光に導かれている気がした。
 道なき道を照らす光。
 「おれはいくよ」
 そうことばにすると、ゾゾは再び進みだしたのだった。

 「ゾゾ、いったのかい?」
 ノケは空を眺めていた。力の限りに唄ったのだ、声は酷く枯れていた。しばらくはのどを休めるため、なにも唄わず、村中で響き渡る歌を聴く静かな毎日を送っている。
 こんな様だから、けっきょく後日開かれた合唱際には出場できず、のど自慢にも選ばれなかった。
 自作の歌を唄ったため、長老には冷ややかに嘲笑されたし、あれだけ親しんできた若もの連中からも無視されている。ノケは村の伝統に泥を塗ったも同然なのだ。わけもわからない歌が認められるはずがない。
 のど自慢には選ばれなかった。でも、自分の想いを唄ったんだ。後悔はしていないさ。ゾゾ、君に届いたと信じているのだから。
 ぼくは自由だよ、ゾゾ。
 物思いにふけっているノケの周りにいつのまにか数匹の若ものたちが集まってきていた。どうもそわそわしている。
 「どうしたんだい?」
 ノケは怖じけずに聞いた。声が枯れているものだから、凄みがあるように聞こえる。
 それに驚いた一匹が弁明する。続くようにまた一匹、また一匹と。
 「そ、そう怒るなよ、ノケ。いや、無視していたのは、ごめん、謝るよ。この通り」
 「素直にいうよ。ぼくたちは君のあの歌に感動したんだ」
 「つまりさ、その…ぼくたちにも教えてほしいんだ。君のような歌をどうすれば唄えるのかを」
 ノケはもう一度、空を仰いだ。
 ああ、ゾゾ。自由は誰にだって伝わるんだ。誰もが自由を感じたいんだ。君もぼくも、彼らだってそうさ。
 「ぼくが君たちに教えることなんて、なにもないよ。難しいことじゃない。唄えばいいんだよ」
                      終

⭐︎

作者あとがき

PCのデータ整理をしていると、10年以上前に書いた小説を発見した。上京したての頃、はじめて書いたものだ。
そのまま埋もれさせておくのはもったいないと思い、せっかくなのでnoteへ投稿することにした。

改めて自分で読んでみると、当時の若かりし頃の感情をそのままぶつけるように書いたなと赤面する。
自由がなんなのかよくわかっていなかったくせに、自由を求めるとカエルのゾゾに連呼させている。

この歳になり、作品と対面してみて感じたこと。
自分がいったい何をしたいのかよくわかってはいなかったけれど、他人と少しずれた感性をもってしまい、ものの考え方があって(私自身、頭んなかでごちゃごちゃ考える性分でした)、それを体現する手段が必要だった。
ゾゾという若カエルの場合は、空を目指すことだった。

実際は、自由の取り扱いに関しては、環境によって変わってくるところが大きい。
だからといって、自由を口にすることが贅沢だとは言わない。閉塞感というのは、個人の数だけあるだろうし。

若かり頃のまとまらない感情で書かれた拙著を、ここまで読んでくださった読者の皆様へ、この場を借りて、感謝を申し上げます。

相互フォロワーの方に、拙著を紹介いただくこともあり、[カエルのゾゾ]を書いた甲斐がありました。誰かの言葉の具材になれたのだから、井戸から出たゾゾくんも大喜びです。ありがとうございます。

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