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✏️カエルのゾゾ①-1

どうしようもなく、意地っ張りなカエルの物語

 1、

 ゲ〜コゲコ、ゲ〜コゲコ。クワッ、クワッ。
 ゲコゲ〜コ、ゲコゲ〜コ。クワッ、クワッ。
 歌だ。歌が聴こえてくる。広場に集まったカエルたちが毎日恒例の〈合唱〉に励んでいた。
 集団の先頭に指揮者が立ち、まず初めに唄いだすとそれに続いて皆が一斉に唄う。長いあいだ唄い続け、ようやく終わりを迎え口を閉じ、ひとつの歌が止む。
 止んだかと思いきや、今度は指揮者だったカエルが集団に混ざり、集団の中からまた一匹が先頭に立ち唄い出すのだ。やはり、それに続いて皆が一斉に唄い出した。全員に指揮者の順番が周ったところで、その日の〈合唱〉はとりあえず終わりを迎える。解散したあとも、各自で歌の練習に努めるのだから、まったく唄うことに熱狂的な連中であった。
 朝から晩まで賑やかな歌声が絶え間なく聴こえてくるのは、この世界ではごく当たり前なのだ。そう、ここは歌とカエルと井戸の世界。
 〈合唱〉を終えたばかりのノケは家に戻るでもなく、村のはずれへ、ぴょんぴょこ、ぴょんぴょこ、跳ねていった。はずれには誰も寄りつかない、歌声から離れひっそりと静まり返った丘がある。なにか特別の用事があるわけではないのだが、ノケは顔を出さずにはいられなかった。今日もいるな…と、根が心配性でできているノケは、こうして彼の様子を見に訪れることがある。
 「ゾゾ!」
 丘の中央に一匹のカエルがいた。草をまくらにして仰向けに寝ていた。遠くを見据えた視線、一文字に結んだ口もと、なにか得体の知れない強い意思を感じさせた。ノケはその表情を見て、いつものアホヅラと苦笑する。〈合唱〉がはじまって終わる、いまのいままでそんな風にしていたのだから、少し変わりものなのかもしれない。
 彼の名前は、ゾゾ。カエルのゾゾだ。
 「ああ、なんだ、ノケか」
 ゾゾはやる気なさそうに答えた。
 「なんだじゃないよ。今日も〈合唱〉をさぼりやがって。君のことなんて、皆忘れちまっているぜ、ほんと」
 「いいじゃないか、〈合唱〉くらい。皆で唄って、なにが楽しいんだよ?」
 「ああ、傷つくなあ…そのいいかた。まあ、君は唄うことがあまり得意じゃないからな。大切なのは練習だよ、ゾゾ。毎日、唄っていればきっと上手になるさ!」
 そういうとノケは鼻歌まじりに唄い出した。
 「…」
 いまこうしてそれだけに夢中になれることが、ゾゾにとってはこの上ない有意義な過ごし方であり、唄うことより、なにより、価値を見出せる至福のひと時なのだ。それを誰にも邪魔はされたくなかった。
 聴いているのか、いないのか、ゾゾの無表情は遠く空を見ている。
 「ああ、まったく…! いや、ほんと、ぼくは君に傷つけられてばかりだよ。ぼくの歌くらい聴いたらどうなんだ。それにしても、飽きもせず天井を眺めてばかりで、なにがあるっていうんだい?」
 やれやれといわんばかりであったが、ノケは仕方なしに頭上を見た。
 井戸の天井はぽっかり開いていて、その先から僅かばかりの空が覗ける。青く澄み渡っていた。白い雲はときがとまっているのか、ゆったりしてふわふわ浮かんでいる。見惚れるとまではいかないが、気分が悪くなるわけでもなく、むしろすっきり晴れて爽快になる。でもけっきょくは見慣れたものなので、そう長く楽しめる景色ではなかった。
 「わからないか?」
 「わからないかって…見ればわかるよ。空だ。雲もある」
 「そう、空だ」
 「…ああ、うん。変わったやつだぜ、君は。空を見ているだけで、そう楽しいものかね? いや、ぼくにはわからないなあ。歌っているほうが性にあっているよ。まあ、ほとんどの連中はぼくに賛成だと思うけれどね。それしてもこの丘からの景色は素晴らしいのひとことに尽きるね。村が一望できるし、あの恐ろしい森ですらなにか神秘的な場所に感じられるんだから」
 丘からは井戸の世界の大半とまではいかないが、おおよそ半分は見渡せた。カエルたちの村があり、ところどころを川が流れ、遠くには深々とした森がある。
 「さて、そろそろ家に帰るよ。歌の練習をしなきゃね。君もたまには〈合唱〉に顔を出せよ。いっしょに歌おうぜ。じゃ、またな」
 ノケの姿が遠ざかっていった。それを他所にゾゾときたら、空を仰いでいるだけで親友の後ろ姿を見送ろうともしなかった。誰が見てもはじめは不思議がるに違いない彼のぶっきらぼうなその性格は、いまではもう村中のカエルたちが認知していることだ。まともに相手にしようする者がいれば、彼同様ちょっとした変わりもの扱いにされることだろう。
 オタマジャクシはカエルに成長する過程で、村の掟やら歴史やら、歌についてもそうだし、カエルとは! などなどの教えを学ぶため、長老が開く学校へ通うことになる。ゾゾとノケはそこで初めて出会った。二匹は馴染みであり、親しき仲にも礼儀ありというが、そんな礼儀はあまり必要とせず、いいたいことは言ったし、気をつかうなんてことはもってのほかで、だからといって傍若無人に振る舞っているのでもなく、とにかく多少なりのわがままが通用してしまう仲であった。
 変わりもののゾゾと馴染み、それだけで同類扱いのレッテルを貼られるノケなわけだが、彼はゾゾとはまったく正反対の気性で、明るく相手をもてなすことが得意なので誰からも好印象に映り、なかなかの人気者だった。それになにより村の誰もがそうであるように、ノケもまた歌を唄うことが好きだった。その美声は皆に好かれる理由のひとつだった。だから、いつしか不名誉なレッテルも自然に剥がれていて、それどころかゾゾにつきあう彼をなんて優しいやつなんだと、その人気はますます上がっていた。
 それと背中合わせにゾゾといえば、〈合唱〉は疎か、歌を唄う行為そのものを頑なに無視し続けている。この井戸の世界において、誰もが信じて疑わない歌を唄わない彼は、変わりものと呼ばれ当然なのである。当の本人は、気にしている様子もなく平然としているのだから、そんな態度が連中からすれば余計に腹立たしく、面白くともなんともなかった。
 「あんなやつのことをいちいち気にしていてもなんの得にもならん!」
 いつしか連中はゾゾを仲間はずれにすることをなんとも思わなくなっていた。ゾゾからすれば、連中のことを仲間と思ったことはなかったので、むしろありがとうと言ってやりたい気分だった。ゾゾは唄うことが嫌いというわけではないのだが、無論、好きというわけでもなく、なんとも思っていないのが正直なところで、そういう煩わしさが向こうから距離を置いてくれるのだから、胸がすっと楽にさえ感じられた。
 だがここでひとつ申しあげておきたいことがある。
 なにもゾゾは生まれてからこのかた、ずっと斜に構えた性分だったわけではない。オタマジャクシの頃は、どの赤子もそうであるように、それはそれは愛らしく、誰となんの変わりもなかったのだ。彼の生き方が少しずつ曲がりくねりだしたのは、学校に通いはじめ頃からだ。歌の練習が毎日のようにあった(その練習は皆がカエルとなったいまも続けられているわけだが)。ゾゾは酷く音痴だった。他のオタマジャクシたちが唄えて当然の歌を、ゾゾの声帯ときたらいったいどうなっているのか、音程がずれていて、どうも皆と調子が合わせられないでいた。笑いの種にされるのが日常茶飯事だった。
 ゾゾは自分が嫌いだった。自分を呪いさえした。どれだけ練習しても、歌の下手さを克服できない。ぼくはダメなオタマジャクシなんだ。碌なカエルになんかなれないんだ。
 彼はこの現実からついに逃げ出そうとした。もう歌なんて聴きたくない。川深くに潜って流れに流れていく。とにかく歌声の届かないところにいきたかった。
 そして、辿り着いたのが村はずれにある例の丘である。ここならなにも聴こえてこない。
 やっとのことで水面から顔を浮かび上がらせたゾゾが目の当たりにしたのは、天井から覗ける空であった。これといってなにか特別な光景があったわけではない。誰もが目にする、ただの空だ。青く晴れ渡り、太陽から射してくる輝きが目に眩しい。
 ゾゾはしばらくことばが出なかった。胸の内側でつぶやいたわけでもない。まぬけな表情で、川面でぷかぷか浮いているだけだ。
 どれくらいのあいだ、そんな馬鹿げたことをしていたのかわからないが、意識を取り戻したゾゾは思った。
 「あそこはきっと自由なんだ」
 気分を落ち着かせると現実があることを思い出し、村に戻った。
 それからだ、音楽の授業がはじまるとしばしば抜け出し、その丘で一匹夢うつつのときに浸るようになったのは。
 授業をさぼっているのが頻繁に続くと、仕舞いには長老に叱りつけられ、両親にまでひっぱたかれる羽目になる。だが、どこに雲隠れしているのか問い続けても、ゾゾは決して重たい口を開こうとはしなかった。自分だけの聖域を守りたい一心が、ゾゾに頑強ともいえる精神を築かせたのだ。そんなことだから、彼の歌声が聴こえてこなくとも、もはや誰も気にするものはいなくなっていった。
 そうして、オタマジャクシたちは成長していき、カエルとなった。
 ゾゾが以前危惧した通り、彼は碌なカエルにはならなかったわけだが、それは周りの認識であって、彼自身はなんとも思っていなかった。
 ゾゾが音痴だからなのか、それを克服する努力ができるカエルであれば、はたまた、彼を馬鹿にするものたちがもう少し寛容であったならば、ゾゾはなにもここまでへそ曲がりなカエルにならなかったのではないだろうか?
 しかし、誰かが議論するような内容でもなく、そんなことはとっくに忘れ去られていた。

①-2へ続く

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