見出し画像

✏️カエルのゾゾ⑤-1

どうしようもなく、意地っ張りなカエルの物語。

5、

 いつだったか、ノケにいわれたことがある。
 「君の青春はなんと暗いのだろうか。見ろ、村のカエルたちを。ぼくらくらいの若い連中は皆、色恋沙汰だ。愛の告白を唄うやつだっているぜ。なのに、君ときたらどうだ! 一日中、こんなものさみしい丘で一匹ぽつりとして、そういう浮ついた物事とは一切関係ないときている。いや、同じ若ものとして心配してしまうよ、ほんと。歌も唄わない、連中同士で騒ぎ立てることもない、恋愛のひとつすらしていない様だ。道楽ということをまるで知らないように見えるぜ」
 言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。歌にはまるで興味が湧かないし、そんな歌ばかり唄っている連中と仲良くなれるはずもない。愛の告白か…。だけれど、そんなことにいちいち構っていては、自由の妨げになってしまうではないか。おれは一匹、自由でいられたらそれでいいのさ。
 道楽を知らないというが、道楽なんてものはカエルそれぞれだろ。連中がそれらのことに楽しみを抱いているように、おれは、おれで空を眺めていることがこの上なく楽しいことなんだ。連中の楽しみを、おれが知らないからといって、それだけでなんだかんだと決めつけてしまうのは、どうかと思うぜ。まあ、誰かにいって理解されるとは思ってはいないけれどね。
 「…」
 ゾゾは岩壁を掴みながらふとそんな昔のこと思い出していた。
 休息するための技術を身につけていので、頃合いを見ると身体を休めることにしていた。困難の多い道のりだから、休める瞬間があれば、休むことだ。先を急いで、無理をしてはわしのようになっちまうのは時間の問題だぞ。疵だらけはそうしつこく繰り返し、ゾゾに忠告を促していた。
 ずいぶんと登ってきたぞ。
 すでに森から抜け出し、向こう側の丘に建つ劇場が目に入る。地上を見下ろすと、過去を振り返るような想いが目の前によぎり、確かな実感としてゾゾの胸に残った。
 しかし、ゾゾ自身はけっこうな高さだと感じていたが、もう一度空を仰ぐと、天井はまだ遥か高所にあり、甘い考えは一瞬のうちに打ち消される。その度に、ゾゾは弱気になって、自分の心を信じられなくなるときがあった。本当におれの願いは叶うのだろうか?
 そういう浮き沈みの激しい胸のつかえがあることを疵だらけに白状したことがあるのだが、彼は一笑したものだ。
 「気持ちは判るとも、若ものよ。何事にも不安はつきものじゃからな。いまのこんな様で大丈夫だろうか、自分のやろうとしていることは正しいのだろうか、などなど。そうじゃろ? 覚悟を決めたからといっても、悩みがなくなることは、まあ、稀じゃろうな。不安に駆られるのは先いきを考えてしまうからだ。遠いと思う先を自分で勝手に想像すればきりがないものじゃて。実は目指す場所がすぐそこで、ぴょんと跳ねればたどり着けるかもしれんぞ。信じて進む、それが道を短くする唯一の方法だということだよ」
 疵だらけのことばを思い出し、ゾゾは自分を勇気づけた。少しばかりの休息をとったはいいが、それでも十分に体力は回復していなかった。身体は疲労によって気怠さを感じ、思い通りに動かせないでいる。
 「無理をするなか…」ゾゾは呟いた。
 下りようと考え直し、この日の岩壁登りは一旦中止することにした。逸り立つ己の心を鎮めようと、無理はするなと自分に言い聞かせた。
 慎重に、慎重に、岩壁を下りていく。来た道を戻るのは、進むときよりも困難だ。また悔しさもある。せっかくここまで来たのに、振り出しに戻るのか…。そう思わずにはいられない。そして、険しさの待っている道をまた登るのかと頭に浮かべ、正直、げんなりもした。
 森の中に下り立つと、ゾゾはすぐその場でねころがった。
 視線をあちらへ向け、そこにある墓石を静かに見守る。
 疵だらけは永い生を全うし、ついに深い眠りについた。ゾゾに自身の持つ岩壁登りの技術を全て教え込み、安心したのだろう、もう二度と起き上がってくることはなかった。
 縁とは不思議だ。疵だらけは自分の死を予期していた。そこに自由を求めるゾゾが現れたのだ。若きゾゾに、昔の自分の姿を見たのだろうか。
 「疵だらけはようやく納得をしたのかもしれない。だからこの世で思い残すことがなくなったんだ。日々、岩壁を見つめるあの姿はどこかで納得を探し出そうと想いを巡らせていた、そういう姿だったのかもしれない。おれは重たいものを背負ってしまった。天井にたどり着き自由になることこそ、おれの望みであり、疵だらけの望みでもあるのだ。おれに夢を託したんだな」
 つぶやきながら、ゾゾは心地よい眠りに落ちていった。

 村中は盛り上がっていた。それというのも合唱際までの期間が数えるほどまでに迫っていたからだ。
 もう誰もが躍起になってゲコゲコ、ゲコゲコ唄っている。またこの緊張感をいいことに、愛の告白を約束する若ものが多くいた。
 「必ずのど自慢に選ばれてみせるから!」
 それを誓いのことばに結果はどうであれ、合唱際のあとに結ばれるものが後を絶えず現れてくる。村のどこを見渡しても、そういうカップルの姿が目立った。
 未だ丘の劇場で唄っている連中はどうだろうか? 彼らにはまだこれという相手がいないだけなのか、それとものど自慢に選ばれることだけしか考えられないのか、そのどちらかであろう。
 舞台に立つノケは間違いなく後者だ。歌を唄うふりをして冷静さを装ってはいるが、彼の胸の内側では限りない情熱が燃え盛り、理性を働かさなければ爆発でも起こしてしまいそうな勢いであった。彼には夢があり、その夢を届けたい仲間もいる。ゾゾというアウトローを気取る若ものに触発されていることを、ノケはこのごろになって強く意識しだしていた。
 歌の創意工夫というのは、自由なしにはあり得ない。もちろんぼくはなにも不自由はしていない。自由だとも。歌を唄い、皆ともうまくやっている。自分でいうのもなんだが、唄うことに関しては誰よりも上手だと思っている。まるで不自由がない。でも、ぼくの感じる自由ではまだなにかが足りない、そういう気がするんだ。それはゾゾが求めるような自由かもしれない。彼はずっと孤独だった。ぼくとゾゾが馴染みだとはいえ、同じ生き方をしてきたわけではない。ぼくは歌を唄い、ゾゾは奔放に生きてきた。ぼくでさえ彼の自由を理解することは難しかった。誰にも理解されない中で、自由だといい切れるあの奔放さ、ぼくにはそれがないんだ。ゾゾと最後の出会いになった夜、ようやく彼の求める自由がいったいなんなのかほんの少しにせよわかった気がする。それを知ったところでぼくにもまねができるかといえば、頷けはしない。自由か…。自由とはいったいなんなんだろうか…。
 「心ここにあらずじゃな、ノケ」
 劇場に集う若ものたちのひたむきに頑張る姿をひと目見ようと、長老が丘にまで足を運んきていた。
 ノケを見据える眼差しだけは笑っていない。
 「え?」
 「そういえば、ここのところゾゾのやつを見かけんのう。この丘がお気に入りだったみたいだから、どこか新しい場所でも見つけて、凝りもなくまた歌をさぼっておるんじゃろうか。どうじゃ、ゾゾと親しかったお前さんはなにも知らんかね?」
 「いえ…ぼくはなにも」
 「ふむ、そうか。それよりも、そろそろじゃのう、合唱際。楽しみじゃわい。ノケ、お前さんの歌には期待しとるよ。まあ、あまりくよくよと考えこむもんじゃないぞ。歌に悪いからの」
 長老はノケの側を離れ、一匹ずつ他の連中にも声援を送っている。
 「ぼくは長老を前にしても、自由を唄えるのだろうか」
 ノケは心配そうにつぶやいた。

⑤-2へ続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?