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✏️カエルのゾゾ③-1

どうしようもなく、意地っ張りなカエルの物語。

3、

 井戸の世界はじまって以来の、もっとも騒がしい毎日が送られていた。それというのも、いままで誰一匹として振り向かなかった村はずれの丘に、立派な劇場が建てられたからである。若ものたちは劇場の舞台で唄いたいがために、我先にと駆け出していく。そんなことだから舞台はいつもごった返しで、間に合わなかったものはその足下の観客席で唄うはめになるのだった。
 若ものたちの〈合唱〉が村中に渡り、年長者の目覚まし代りにもなっていた。オタマジャクシたちは学校でその歌を聴きお手本にする。いまから待ち遠しくて、唄いに唄い続けるものだから、中には声をガラガラにしてしまって休んでしまうカエルもいた。
 今年の〈合唱際〉はこれまで以上に成功するだろうと、誰もが心からそう信じずにはいられなかった。
 今日も日が暮れるまで歌の練習は続けられていた。

 ゲ〜コゲコ、ゲ〜コゲコ。クワッ、クワッ。
 ゲ〜コゲコ、ゲ〜コゲコ。クワッ、クワッ。

 「さて、もう夜になってきたな。そろそろ帰るとしようか」
 一匹がいうと、皆、それに賛同して丘を降りていく。
 「おや? どうしたんだい、ノケ。君は帰らないのかい」
 そういわれて、舞台にいるノケは答えた。
 「ぼくはまだ練習していくよ。先に帰ってくれて構わない」
 「練習熱心なのはいいけれど、声がやられないように気をつけてな。それに森の悪魔が出てきてもしらないぞ。それじゃあ、お先に!」
 そんなことをうそぶきながら、ノケを残し、他の連中は帰っていった。
 ノケは一匹唄い続けた。さすがに疲れてくると、一旦、休憩することにした。舞台からは村が一望できた。ここから声の限り唄えば世界のどこへでも届くのだ。そう思うと、抑え難い感動に身を震わせた。
 ぼくの歌がどこまでも響き渡るんだ。これほどまでに嬉しいことはないさ。誰にでも聴こえるのだろうなあ。両親や長老、それにきっとゾゾにだって。ゾゾ。どこにいったんだ、ゾゾ。ああ、僕はあのとき、君になにもしてやれなかった。ぼくの選択は果たして正解だったのだろうか。君を見捨てることで劇場は無事に完成した。もしも、ぼくが君をかばいでもしたならば、その避難はぼくをも苦しめ、君はまたもや劇場の開発を妨害しただろう。そして、けっきょくは同じ目にあっていただろう。ぼくは皆と唄いたい。この舞台から唄い、合唱際で見事、のど自慢に選ばれたいのだ。ゾゾ、ぼくの夢なんだ。そして、そのときになってようやくぼくは、堂々と自分の歌を唄える。その歌を君にも聴いてほしい。いままでにないぼくだけの歌だ。
 ゾゾ。どこにいったんだ、ゾゾ!ぼくは君を見捨てたわけじゃない。判ってくれよ、ゾゾ。ぼくには夢があるんだ。
 夜も遅くになってくると、井戸の世界は暗闇に閉ざされていく。天井から入る月明かりだけが、道を示す頼りだった。ノケは森の悪魔の伝説を思い出し、怖さのために身震いした。急いで村へ帰っていった。

 カエルたちが皆、寝静まった夜。闇に紛れて、なにか正体のわからない影がうごめいていた。足取りはふらふらといき先がないのか、あっちをいったりきたりしている。空の暗雲が遠のくと、月が姿を見せ、その光が井戸の世界をほんのりと照らした。
 影の主は頭を上げ、その様にまじまじと見入った。光の明かりによって正体が露になっていく。ゾゾだ。
 ゾゾはここ最近、村には戻っていなかった。日中はどこもかしこも耳障りな歌声が聴こえてくる。できるだけ丘から離れようと、世界の最果てにあたる岩壁にまでやってきていた。だが、どれだけ距離を置こうが、やはり歌が遠のくことはなく、追跡でもしてくるみたいに聴こえてくるではないか。
 つかの間にせよ静寂のときを過ごせるのは夜しかなかった。その夜でさえ、ゾゾはおちおちしていられない。それは村にまつわる恐怖の伝説が脳裏をよぎるからだ。井戸の世界で唯一、カエルたちが足を踏み入れようとしない場所があった。
 〈禁断の森〉と呼ばれるその場所には悪魔が住んでいるというのだ。悪魔は夜遅くに目覚めると、カエルがいないか探しまわり、見つけた途端、牙をむき出しにして、ばくり! と食ってしまう、というのだ。悪魔のいる森。それが井戸の世界誕生以来、代々語り継がれてきた伝説だ。
 ゾゾは恐怖に構えつつも、夜の静かな自由に浸っているのが好きだった。いま、自分の自由を感じられる瞬間はこの夜をおいてはないと思っていた。だから、多少なりの無理はしてでも夜に出歩く必要があった。でもそれも、充分な自由ではなかった。恐怖という精神へのストレスが障害となっている。本当の自由とは呼べない。ゾゾ自身が望む自由というよりは、事情を考慮しての限られた自由なわけだ。
 もはやこの井戸の世界にゾゾの居場所はなかった。村に戻るなんてことは到底考えられない。一日中、ゲコゲコうるさい歌声が響き渡ってくるのだ。仕舞いには頭が変になる。ゾゾには容易に想像することができた。だからといってこの先いったいどうすればいいのだろうか。はっきりいえば、ゾゾはさまよっていた。彼に残された道は、このままいく宛てのない身として一生を過ごすか、村に帰り長老たち全てのカエルに謝ることで社会に復帰し、唄えない歌を我慢するか、それしかない。受け入れ難かった。どちらにせよ、彼にとっての自由とは程遠い生き方なのだから。
 進路を断たれた敗北感がゾゾを惨めにしていた。許された環境があった時にはあれほど大口を叩いていたというのに、いざ全てが失われれば、所詮はたかが一匹のカエルに過ぎないのだなと、現実の重みがゾゾに伸しかかってくる。
 惨めだ。おれはなんと惨めなやつなんだ。考えてみれば歌に追い出されたことになるし、いまでは悪魔かなんだかわからんやつに怯えている始末だ。ああ、おれの自由などはじめからなかったのだ。ただ、現実を忘れようとし、もがいていただけなのだ。自由というやつはあるようでない、夢、幻、そういう類の逃避の手段だったのだ。それがいいことに見ろ、おれのこの現状を。どうだ! 自分で招いた結果がこれだ。いったいこれからどうしたらいいというのだろうか。わからない! わからないなあ! ああ、くそ。おれは自分のことすらなにもわからないのか。惨めだ。これほど惨めなことがあるだろうか。自分がわからないのに、自由を求めるとは、おれはとんだ馬鹿野郎だ。長老に言ったはずだ。自由っていうのは、自分の納得の中にこそ生まれる純粋な精神そのものなんだ。納得もしないのに、ただそこにいるのは不自由も当然なんだ。自分がどこで、いったいなにを目的とし、行動するか、それこそ自由というものなんだ。そう言い切ったはずだ。いまのおれはどうだろうか。自分の納得もなく、行動する理由もない。ただここにいるだけのおれは不自由も当然というわけさ。は、は、は、長老やノケに対して、あれだけ自由だなんだと法螺を吹いていたのに、もうその説得力もくそもあったもんじゃないな。こんなおれだから、とうとうノケにも見捨ててしまったのだ、は、は、は…ああ、空が見える。朝も夜も雲はふわふわ浮かんでいるだけだ。おれは生まれる場所を間違えたんだ。あの無数に浮かぶ雲のひとつとして生まれたかった。
 そうだ、どうだろう、雲に頼み込んで、おれも雲の仲間にしてもらうというのは? いい考えだぞ。よし、
 「おおい、雲! 聞こえるか、雲よお! 聞こえるならば、返事をしておくれ! おれをお前たちと同じ雲にしておくれ!」
 ……ダメか。こんなところからじゃ、さすがに聞こえやしないか。雲のいるところにまで近づかないといけない。天井までいけば近づけるだろうか?
 ゾゾは眼前にそびえる岩壁までいくと、ぴょんと跳ね、へばりついた。そこから見る空はもっと高くにあるようだった。目に見えるのは空と岩壁ばかり。容赦のない険しい道であった。ゾゾはそこからさらに上へ目指そうと、前肢をうんとのばしてみる。ひとつ高所にある岩壁をやっとのことで掴みはするのだが、そこから身体を持ち上げることがどうしてもできなかった。あげく、張りついていた身体を岩壁から離して、地上へ戻ってしまった。ゾゾは馬鹿馬鹿しいと思った。カエルの何百倍もあるこの岩壁を登れるわけがないのだ。井戸の世界へ挑みかかることそのものではないか。
 ほんの一瞬にせよ芽生えた希望ではあったが、現実という大きな壁がまさに立ちはだかり、ゾゾはまたしてもいき先を失ってしまった。

③-2へ続く

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