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✏️カエルのゾゾ③-3

どうしようもなく、意地っ張りなカエルの物語。

夜の静寂が破られた。聴こえてきはしないだろうと思っていた歌のせいだった。ゾゾの目論みがはずれた。まさか、もう夜も遅くになろうというのにまだ唄っているやつがいるのか。どうやら舞台にいるのは一匹だけのようだぞ。どれ、悪魔のふりをして驚かしてやろうか。そうすればもう二度と、夜に唄うようなまねはしないだろう。
 地を這うように、ゆっくりと舞台へ近寄っていくゾゾ。まったく気がつかずに唄い続けるそのカエル。舞台袖で飛び出す頃合いを見計らうゾゾであったが、月明かりが舞台のカエルを照らすと、あっと声を漏らしそうになった。
 唄い続けているのはノケだった。
 「ノケ」
 突然の声にノケの歌声は途切れ、慎重な仕草で舞台袖に振り返った。
 袖の影に立つ得体の知れない存在。
 ノケは硬直した。悪魔だ。悪魔が来たんだ。
 後退りしていく。しかし、恐怖のため思うように足が動かない。
 袖にいる悪魔が一歩前進し、また一歩前進してくる。その度に、ノケはもうダメだと息を呑んだ。
 だが、次の一瞬間で全ての緊張が遠いどこかに飛んでいくのを感じた。
 袖の影から正体を現したのは、ゾゾだとわかったからだ。
 「ゾ、ゾゾ」
 「久しぶりだな」
 旧友との再会だというのに二匹ともどうもぎこちなかった。それも仕方のないことといえば、そうかもしれない。なんせ、あんな別れ方をしたあとなのだから。
 しばしの沈黙。やがて、ノケがぎこちなくはなしだした。
 「やあ。今度はいったいどこに雲隠れしていたんだい。まったく、君は姿をくらますのだけは上手だね。ぼくはてっきり森の悪魔だと思って、覚悟してしまったよ。じきに合唱際だっていうのに、諦めきれなかったね」
 「なんだ、まだ森の悪魔なんて信じているのか? あれは全部嘘っぱちだぜ。お前は相変わらず心配性だな」
 「まさか…君は〈禁断の森〉にずっといたんじゃないだろうな。え? ほんとに、そうなのか」
 「まあ、ほんの少しだけどな」
 馴染みとは不思議な関係だ。そうやってはなしているだけで、互いの信頼を取り戻してしまう。もういつもどおりだ。
 ノケは、ゾゾが自分のことを恨んではいないとわかり、正直、安心した。
 ゾゾも、またこうしてノケとはなせることが嬉しかった。
 「ゾゾ、村に戻ってこいよ。連中はそりゃ怒っているけどさ、君が謝ればきっと許してくれるだろうし、ぼくからもお願いすれば大丈夫なはずだよ。いまからだって、歌は上達するよ」
 聞いているのか、聞いていないのかよく判らない様だったが、ゾゾは一度だけ頷いてみせた。
 「ありがとう、ノケ。でもいいんだよ。なにか悪いことをしたとはこれっぽちも思っちゃいない。おれはこれでいいんだ」
 そう言うと、ゾゾは仰向けになって空を眺めた。ノケは呆れ返った様子で、軽くため息を吐いた。
 「君も相変わらずだよ」
 ノケは視線を正面に向け、ゾゾに気兼ねなく唄いだした。
 「やめろよ。聴きたかあねえよ」
 「いいから聴きなって」
 珍しく強気なノケに不承不承しながらも、ゾゾは黙って聴いてやることにした。
 ゲッコ、ゲッコ、ゲコゲェコ。
 ゾゾはおやっと思った。昔、習った歌にはない曲だぞ。
 「新しい歌でも流行っているのか?」
 ノケは構わず唄っている。それが途中で止むと、ようやく質問に反応を示した。
 「この先はまだ模索中なのさ。え、ああ、この歌は…ぼくの創意工夫の賜物だよ」
 「なんだよ、それ」
 「頭に浮かんだ。そういうの胸にしまっておくと、身体に悪いだろ? だから、こうやって形にしているんだ。いつかね、堂々と唄える歌にしてみせたいんだ。実はいうと、君がじぶんだけの自由を求めているように、ぼくも自分だけの歌をさ、唄いたいってわけさ」
 はじめてだった。ノケからそういうはなしを聞くのは。ゾゾはなんだか嬉しかった。自分の想いをもったやつが、他にもいたんだ。それがこんな身近にいたんだ。
 ノケの告白に、ゾゾはいまの自分の身を酷く恥ずかしく感じた。ノケは自分だけの歌を唄おうと懸命になっている。ところが、おれはどうだ? 偶然与えられたに過ぎない環境に甘んじているだけではないか。これが本当におれの自由といえるのだろうか。
 またもやゾゾの意識に働きかけてくるのは、世界を囲む岩壁の存在であり、その先にある自由であった。
 恐らく、この世界にいる限り、おれはもう二度と自由を感じることはできないような気がする。なにをいろいろと悩むのだろうか。最後に残るのは心ひとつしかないのだ。そう、けっきょくは決めるも、決めないも、心ひとつなのだ。おれはごたくばかり並べて、自分を納得させようとしているだけだ。歌を唄うという、それも自分の想いを、その一点にのみ納得を生み出そうとしているノケに比べて、おれはなんといいわけのおおいことよ。なにが自由だ! なにが納得だ! おれはただ、答えを避けて、自分から逃げ出そうともがいているだけではないか。どうだ、そうだろ。はっきりするがいい。おれはどうしたいんだ。ただそこにいるのは不自由も当然…そうだろ!
 「おれは決めたよ、ノケ」
 「なにが?」
 「井戸の世界から出るよ」
 はじめ、いったいなにを言っているのか理解するのに困り、ノケはことばを詰まらせた。
 「で、出るって…どういう意味だい?」
 「そのまんまの意味さ。出るんだよ。あの天井からな。雲にちょいと挨拶してこようと思ってね」
 冗談をいっているのかとノケは頭を傾けたが、この堅物がそんなことを言うはずもなく、それにそのはなし口調からははっきりとした意思を感じさせられた。
 「そんなこと、本当にできるのかよ」
 「岩壁だ。あいつに挑んでやるんだ」
 どうやら本気らしい。これと決めたらとことんまでやるゾゾのことだ。もう誰がなにをいっても聞きはしないだろう。ノケはまたもや軽くため息を吐いた。
 「君はまたなにかやるつもりらしいな。だけれど、それはぼくだっていっしょさ。だから、もう止めやしないよ」
 ゾゾとノケとは長いつき合いだが、いまほど互いの存在を尊重したことはなかった。
 「ってことは…もう会えないってことか…あんな高くにまで登っちまったら、もう戻ってこれないんだぜ」
 ノケは哀しそうにぽつりと口にした。途端にひらめいたらしく、沈んでいた表情はぱっと明るくなった。
 「そうだ、ぼくも決めたよ。新しい歌は君のために唄うよ! 君に届くようにさ」
 ノケは活き活きとしている。
 「しかたねえ、お前の歌なら聴いてやるよ」
 ゾゾは素直に頷いた。

④-1へ続く

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