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バイオハザードRE2を通して知ったホラゲ

 先日バイオハザードRE2をプレイした。
 バイオシリーズどころかホラーゲームを人生初プレイ。
 実は昔、親がリメイク前のバイオハザード123をプレイしているところを横でおっかなびっくり見ていたので、あらすじや設定は概ね知っていたのだけど…実際にプレイして得た知見は思った以上に多かった。
 以下、バイオハザードRE2のネタバレを含みますよ。

バイオRE2をオススメしてくれたのはVtuberのねろりさん。
俺が恐怖にかられて逐一Xにプレイ状況をポストするとリプライをくれる。かわいいね。


 バイオハザードRE2は大きく分けて3つのパートがある。

1.事態を把握していないまま、ゾンビの徘徊する警察署を探索するパート。
2.不死身のタイラントが登場し、足音に怯えながら探索を続けるパート。
3.アンブレラの陰謀を打ち砕くため、本拠地に乗り込むパート。

 3のパートは映画さながらのヒロイックなシーンが多く、やや恐怖は低減した。
 1と2はまさに静と動の切り替えで、プレイヤーが慣れてきたところにタイラント(こちらを延々追跡してくる、倒せないボスキャラ)を投入するところはまさにゲームの妙を感じる。

不死身の追跡者、タイラント。
こいつが無限に追いかけてきたことで俺はビビって奇声を上げながら大暴れした。


 …なんだけど、語りたいのは1の部分。
 ホラーとゲームの親和性の高さを一番強く感じた。

 ホラー作品は様々な媒体に存在するけど、例えばホラー小説は読者に対して「恐怖に寄り添うこと」をかなり要求していると思う。文章によるホラー表現は、ちゃんと読者が怖がろうとしないと最悪ギャグになってしまう気がする。
 ホラー映画もそれに近い部分があるし、またどんなに怖くても目をつむってうつむいていれば、いずれは勝手に映画は終わる。

 ホラーゲームはそうはいかない。
 真っ暗な廊下を、懐中電灯とハンドガンだけを持って、自分の意志で進まないといけない。
 レオンの感じる恐怖は俺の恐怖だし、生存者に会ったときの安心感たるや…。

 ゾンビという敵キャラクターに対して、本作は「気持ち悪くて厄介なモンスター」よりも「ついさっきまで愛すべき隣人だった悲しい存在」という側面を強調しているように感じた。
 警察署内には様々なメモや手記が点在しており、ゾンビ災害が発生してからレオンが到着するまでの出来事がうかがい知れるようになっている。
 市民を匿い、警察官達も訳の分からないまま未知の恐怖と戦って、そして全滅した。

 極めつけはマービン・ブラナー警部補やガンショップ店主の存在。
 レオンを助けてくれたマービンは、後にゾンビ化してレオンと最悪の再会を果たすし、ガンショップ店主は最愛の娘がゾンビ化しかかっており、行き場のない悲しみと怒りを抱えたまま(おそらく)自害してしまう。

警察署内には新人レオンを歓迎する心温かい飾り付けが準備されていたが、歓迎会が開かれることはなかった。アタイ、アンブレラ許せへん!

 恐怖には種類があるように思った。
 バイオ2の舞台に漂う「恐怖」には、サブジャンルとして「寂しさ」や「悲しさ」が付随している。

 寂しさや悲しさの伴う、静的な恐怖。
 バイオRE2はそういう体験を大いに堪能させてくれる傑作だった。

 何かこう、自創作にフィードバックできればいいんだけど。
 インタラクティブな部分はゲームならではの専売特許だけど、雰囲気作りというか、恐怖に「何を付随させるか」を意識したアプローチは大事な気がする。

 例えば、バイオハザードといえば「かゆいうま」日記(ゾンビ化ウィルスに感染した人間が、ちょっとずつ自我が崩壊していく様子を日記形式で表現した傑作怪文書)が有名だけど、このRE2に「かゆうま系の日記」はほとんど無かったと思う。(俺が見つけてないだけかもしれないが)
 かゆうま日記が強調するのは自分自身がどんどん変質していく、不気味で得体のしれない恐怖だ。
 前述したようにバイオRE2の恐怖は「我々と同じ立場にいた善良な市民や警察官が追い詰められて全滅させられた」という悲しさや寂しさの伴う恐怖なので、かゆうま日記で表現できる不気味な恐怖とは親和性がなかったんじゃなかろうか。だから意図的にかゆうま日記を採用しなかった、と。実際のところは分かりませんけども。

 とにかく、人生初ホラーゲームは刺激に満ちた体験なのでした。

 …えっ!? クレア編がまだ残ってるんですか!?

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