【hint.457】たくさんの惹かれあい、活かしあいがありますように
今朝の一冊はこれになりました。
タイトルを見て気になり、パラパラと立ち読みをしてみると、中身のレイアウトや構成も読みやすかったので、2年半くらい前に購入した本です。
色があるというのは、「目が光を感じている」状態のことです。
目の奥のほう(網膜)にあるセンサーが働いて、光を感じているのです。このセンサーが感じることができるのは、「赤」と「緑」と「青」という3種類の光のみ。つまり人間は、あらゆる色をこの3種類の色の組み合わせで認識しているというわけ。
たとえば、青の光だけなら青色。青と緑の光が同時に入ってくると「水色」、3色同時だと「白」。という具合です。
人の目に見えるものには2種類あって、1つは太陽や蛍光灯、テレビのようにそれ自体が光を出しているもの(光源)と、もう1つは、そうした光源に照らされて光をはね返している(乱反射)物体です。
ですから、光をはね返す物体の色は「浴びた光の中からどの色をはね返すか」で決まってきます。
たとえば、白い紙は「赤」「緑」「青」3色ともはね返すので「白く見える」。黒い紙は「赤」「緑」「青」3色とも吸収してしまうから「黒く見える」。赤いリンゴは「緑」と「青」は吸収して「赤」だけをはね返すから「赤く見える」というわけです。
(いずれも、「『なんで水には色がないの?』著:五百田 達成 文響社 2014年11月19日出版」より。太字部分は、本書では青字。)
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肝心の、「なんで水には色がないの?」という質問に対しての、直接的な回答がこの後に続けて書かれていますがここではあえて触れずにいこうと思います。
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「赤」「緑」「青」、これって確か「光の三原色」っていわれてるものですよね。
なにか、中学一年の時、当時担任でもあった先生の、美術の授業の時に初めて学んだ気がするな〜。あぁ、懐かしいな〜。元気かな〜先生。
で、「色の三原色」のついでに学んだんじゃなかったっけかな。
「シアン・マゼンタ・イエローの三色でだいたいの色はつくれちゃうので、これらを『色の三原色』と言います。ちなみに、光の三原色っていうのもあって、、、」みたいな感じで。
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たとえば、白い紙は「赤」「緑」「青」3色ともはね返すので「白く見える」。黒い紙は「赤」「緑」「青」3色とも吸収してしまうから「黒く見える」。赤いリンゴは「緑」と「青」は吸収して「赤」だけをはね返すから「赤く見える」というわけです。
ここね。
ここがやっぱりおもしろいなって感じたんですよね。
なんとなく僕らって、たとえば「緑」の物体を見ると、その物体が「緑」を発しているって考えやすいじゃないですか? その物体に、「緑」を発するなんらかの要素が含まれてる、「緑」の要素を所有しているって。
でもね、
人の目に見えるものには2種類あって、1つは太陽や蛍光灯、テレビのようにそれ自体が光を出しているもの(光源)と、もう1つは、そうした光源に照らされて光をはね返している(乱反射)物体です。
って、書かれているように、世の中にあるものって、だいたいが「乱反射」をする物体なんだと思うんだよね。「光源」ではなくて。
「光源」であれば、その物体そのものに、たとえば「緑」を発するなんらかの要素が含まれてる、「緑」の要素を所有しているって考えてもいいんだよね。ざっくり言うと。
でも、それが「乱反射」する物体の場合だと、たとえば「緑色に見える」物体には、「緑」を受け容れる姿勢がないってことだよね?
「赤」とか「青」とかは吸収して(受け容れて)いるんだけど、「緑」に関しては、「自分のなかには取り込まないぞ」って感じで関わっている。
いやぁ、これはだいぶニュアンスが違ってきますよ。
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あ、でも、たとえば、僕たち人間が、「ある色を好んで身近に置く」ということについては、もうちょっと違う捉え方もできるのかもしれないね。
僕自身、カラーセラピー的な知識はもちあわせてないから、どこでどのような理論が展開されているのかはわからないのだけれども、
すぐ上では、「自分のなかには取り込まないぞ」って、なんだか跳ね除けるようなニュアンスの表現をしたけれど、「ある色を好んで身近に置く」という場合には、「その色からのエネルギーをもらいたい」「できるなら、自分のなか(人生・生活)に取り込みたい」って感じの関わり方になるのかもしれないね。
こうなると、もう、、なんというか、お互いが活かし合っている、ような感じになるよね。
たとえば「緑」を「自分のなかには取り込まないぞ」って物体にとっては、その姿勢を崩さないことで、「緑色からのエネルギーをもらいたい」「できるなら、自分のなか(人生・生活)に取り込みたい」って姿勢の人間にとても可愛がってもらえる、人間よありがとう、のようなね。
反対に、「緑色からのエネルギーをもらいたい」「できるなら、自分のなか(人生・生活)に取り込みたい」って人間にとっては、「緑」を「自分のなかには取り込まないぞ」って姿勢の物体の存在は、とてもありがたいはずで。
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自分の「色」を持っているモノ、もしくは、自分の「色」を知っているモノは、自分以外の誰かと強く惹かれあって、お互いに活かしあうことができる、ということなのかな。
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今日のあなたにも、たくさんの惹かれあい、活かしあいがありますように。
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