詠んだ一首・一句 その3

ひっさびさにnoteで文章書きます。日数にして317日ぶり。要はほぼ1年書いてませんでした。三日坊主にもほどがあるぞ。
まぁ美大の2年次でアホほどやりたいことやろうとして疲弊してたってのもありますが……

んな事どうでもええんじゃ、今回は詠んだ短歌の紹介なんじゃい。

ということで今回詠んだのはこちら。

誰そ彼の霞立ちたる山並に微か残りし今日の橙

この詩の季語は「橙」。冬に色付く柑橘類です。
ただ、本来季語として植物に分類される「橙」ですが、今回は「色」を主としてして詠んでみました。

まぁそもそも「短歌に季語はいらない」ってのは既に知ってるんです。
知ってるんですが、元が俳句をメインに詠んでいたせいか季語がないとなんか締まらない感じするんですよ。というか季語入れるだけで「季節?はい冬!説明終わり!」っできるっていうのが逆に楽。
季節に関係ない一瞬の風景を詠むときは要らない要素かもしれないんですが、そもそもとして自分がなにかエモーショナルな感情を抱く瞬間(光景)って必ずどこかにその季節特有の何かがあるように思えるんです。だから見慣れていない特別な何かを感じて詠みたくなるんだと。
……要するに個人的な好みですね。はい。

閑話休題、この一首を詠んだ背景をご説明します。

時は2月上旬、アルバイトの面接で立川に行った帰りのことです。
伊勢丹2階の猿田彦珈琲で一息ついた後、午後5時ぐらいでしょうか、珍しくJR立川駅から武蔵小金井駅に向かって揺られて帰っておりました。

というのも、中央線・東京方面の電車に乗ること自体は幾度とありましたが、基本的には国分寺から乗ることが多く、また今住んでいる住居の立地上、立川から帰る際は別の路線を使うことが殆どでした。
また、立川→国分寺→バスで自宅のルートを使う時は大抵日も落ちきった夜が多いため、遠方の景色なんざほぼ見えず、外を見ようとしても窓に映るヌベっとした自分の顔しか見えない訳でして。
そういった理由で夕暮れ時に立川発→東京行の電車に乗ること自体がかなり珍しかったわけです。

そんなこんなでちょっとした特別感を感じながら、帰りに買った本を手にホクホクしてた私。ふと静岡県側の車窓を見た時、目前にある風景が飛び込んできました。

空を満たす朱と言うには淡い色を紺が染め上げていく中、裾野広げ聳える富士がそこに鎮座していました。
その山影は既に紺色に染め上がり、頂の冠雪は薄らとしか見えませんでしたが、その輪郭、西側の稜線を夕日が照らしていました。
夕日自体は見えていません。恐らく、既に地平線に沈みかけていたのでしょう。しかしその僅かに覗く光源で照らす橙の強烈さ・ビビッドさは途轍もなく、まさに輝いて、そして儚くて、何とも言えない美しさがありました。

文字通り一瞬で釘付けでした。スマホを構えることなく、その美しさをただただ味わっていました。
駅に近づき山並が見えなくなったタイミングで我に返り、「電車が駅を出たら次は写真に収める……!」と意気込んだものの、路線が地面に近い高さとなってしまい、それ以降山肌を見ることは出来ず、目的の駅に着いてしまったのです。

あの輝きを忘れたくない。できるなら残しておきたい。
そう思い、バスを待つ10分間で書き上げたのがこの一首です。

結局そのアルバイトの面接は不採用となってしまったのですが、あの光景を見れただけでもまぁ良かったのかな、と自分に言い聞かせています。

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