詠んだ一首・一句 その1

2018年の暮れ。
大学が冬休みに入り、色々と開放された結果呆けすぎてなにかしたくなった折に、「じゃあ初めての短歌読んでみっか」となりまして。

墓囲ふことせぬ故郷の墓石にもこの身震わす風が吹きなむ

さて。実はこの首を詠むまで、季語に「墓囲ふ」なんてものがあるなんて知りませんでした。ついでに「短歌に季語は無くてOK」ってことも詠んだあとに知りました。季語縛りなしってそれもう自由と同義じゃん。ヤベェ。

まぁそれだけだとなんで詠んだんだって話になるんですが、ちゃんとここに書くだけのストーリーがあるわけでして。

「墓囲ふ」。
この季語を見た時にふと脳裏を過ったのが、「なんで墓囲うんじゃい?」でした。

というのも私、娯楽文化絶滅地域の富山出身なんですが、少なくとも4代以上使ってるお墓がそれはそれはもう真っ黒でゴツゴツなんですよ。幾年の雨風で削りに削られ、墓石が建てられた年号どころか、「〇〇家之墓」的な文字すら読むのが難しいほどに黒ずんでるんです。
加えて富山といえば普通に雪が降る地域なのですが、生まれてこの方、墓に雪囲する光景なんざ一度も見たこと無いわけでして。庭の木や通り過ぎる民家の木々、街路樹なんかは普通にされてるんですけども。

そんなこんなで「へぇ~、墓にも雪囲い的なものをする文化があるんだ」とちょっとした知識を知ったわけですが、同時に実家のことを思い出した訳です。

現在、私は大学に通うために東京に上京しています。一度大学を経済から美術に変えてるんですが、楽しく学べています。府中・国分寺ともかれこれ4年目。長い付き合いです。
というか前の大学がつまらなさ過ぎた。無味無臭どころか、これから受験しに上京する現役生ですら行く意味は100%無いって言いたいかも。まぁ滑り止めでとにかく上京したい一新で入ったんで当たり前っちゃあ当たり前なんですが。
個人的に現役生には、名前が通っていても一度キャンパス見に行って!って言いたいです。少なくとも「パッとしない名前の大学だけど、Fランでもないし、行けるレベルだから」で選ぶと自分みたいになるぞ!仮に学科も偏差値も一緒の大学があっても、その大学の持つ雰囲気、来る学生の(性格的な)人種や活気や言動は大きく変わるぞ!
加えて、仮に大学選択ミスったなって思うなら、一回だけならチャンスは有ると思う。
いつぞや「置かれた場所で咲きなさい」と親が言ってきたことがあったけど、この言葉正直嫌いです。自分に言わせりゃ「何らかの存在や他人への配慮で渋々置かれた場所からはすぐ逃げろ」でしょうか。真逆やん。

はい、閑話休題。話を戻しまして…
先の季語を見た瞬間、ふと実家の墓を思い出したわけです。
そうすると続けて思い出すわけですよ。故郷の景色が。

稲刈りの終わった、あの砂色の禿げた棚田が延々と広がる景色。
淡く遠く感じる空と合わさることで、より一層何もないだだっ広いだけのあの光景。
あっちもこの東京のように冷たい風が吹いてるのかな、いや風通し良すぎたわ。びゅうびゅう吹いてるわ。普通にキツイ木枯らしに晒されてるわあの墓。

そんなこんなで色々思うわけでして、一首詠みたくなった次第です。

そういや実家の柿食べれてなかったなぁ。次は送ってもらおうか。

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