クソ雑魚クリエイターの端くれの卵として思うこと。

かれこれ進む道を経済から美術に変え、1年が経ちました。

体感としては確実に良い方向・良い体験へこの身を置くことが出来た、一人の人として(主語がややデカイ)良い選択だったなと思ってます。
少なくともこの1年で接してきた人間、友人との出会いはかけがえのないものであるのは確かです。

正直、以前の妥協で入学した大学の空気は今思うとあまり良くなかったんだなーと思ってます。
あのこぢんまりとしたキャンパスの中、当時の自分も含め妥協の匂いが染み付いた学生が集うせいか、悪い意味で活気のさほどない静かな大学。
そんな無味微臭な人間の中で、よりによって「変に陽の血が入った勘違い集団」に身を置いてしまったのは、その集団で得られたアレコレよりもデメリットの多い、最大の失敗だったなと断言できます。
…なんか今更だけど、自身の心を徐々に苔むし、カビの根を張るように心が死んでいっていたあの頃が今更ながら気の毒に思えてきた。なぜあんな環境に身を置いたんだろうね。そりゃ大学受験で色々妥協したからよ。

そんな訳で今は美術、ことデザインの世界に身をおくことになったわけですが、全くの悩みがない人はいないわけでして。

それまで、自分の行っていた創作行為というのは、あくまで「趣味・娯楽」の範疇で収まっていた、いわば「その後の人生を生き抜く責任」がないものでした。(別にそれが悪いってわけじゃないです。むしろ必要です)
ですが、まぁ美大でアレコレするなら進む道も基本はそういう道なわけで。

そんな中、ふとこんなことが頭を過るわけですよ。

「自身がクリエイターとして歩む上において、果たして一体何を成せるのだろうか。」

そんな考えを脳の片隅で見つけちゃった。
その瞬間、泥のような重く濃く暗い霧が自分の周りで濛々と立ち込め、あっという間に包まれる気がしてならない。
多分この濃霧は、時たま晴れることがあっても、ふと遠くを見つめれば一生立ち込めているものなんでしょうね。ツライナー。コワイナー。
そんな時のためにも、濃霧の中で迷わない「灯台」を早く見つけるか、いっその事建設しちまいたいところです。

ただ1日2日の短期間ではどうすることも出来ない問題でもあるので、そういった際に没入できる読書や映画鑑賞なんかは、ある種の現実逃避とインスピレーションの摂取が両立出来る、救いの様な存在一つなのかもしれませんね。

ということで美大生活2年目、頑張っていきましょー。


追伸
前の大学で入ってた「変に陽の血が入った勘違い集団」ってのは自主制作映画を作るサークルだったんですけど、そこで当時「君の名は。」がロングラン上映されていることが話題に上がりました。そんな中、別に上手いってわけでもないのに将来役者志望、加えて制作でもほぼ役者しかしない(できない?)奴が「おれネットで落としたやつで見たから良いわwwww」とどこか誇らしげに言ってたのを思い出しました。
「ネットで落とした」というのは、当時円盤も発売されてない中で、ネット上に本編(恐らく白箱)がまるごと流出した事件があり、恐らく彼は動画共有サイトのやつをDLなりして見たのでしょうね。
多分人生で一番人間を軽蔑した瞬間だったと思います。仮にも自主制作作ってる人間がそれしちゃ失格だろ。役者もクソもねぇよ。社会に出てからはもうモノ作りに携わらないでくれ、頼む。
あいつも今頃、周りの空気に当てられて就活してるんでしょうか。

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