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僕の青春10年

高校入学をして、最初の部活。
先輩から「お前たちの好きな女優を教えてくれ」と言われた友達が
「芦田愛菜」と答え、爆笑をかっさらった日。

今、同じ質問をされて「芦田愛菜」って答えたらきっと、「わかる!」「いいよね!」とか、共感の嵐が出るくらい芦田愛菜は可愛くなった。大人になった。あんな色っぽい感じになると誰が予想できただろう。

大好きだあああああああ

そう、高校入学から10年経ったのだ。
高校入学から10年が経ち、4月から晴れて社会人としてスタートを切ることになりました!

この10年を振り返ってみようとnoteを書くことを決めました。
東京都代表でアメリカ留学、起業、フリーランス、大学受験勉強、うつ病、スタートアップ、VRでエヴァに携われたり。色々あったなあなんて。

全ては、歴史的遠近法の中で古典になっていくのでしょう。
けど、それでも、この10年は胸を張って「我が青春、順風だった」と言える。そんなものになりました。


全てのはじまり

結局、僕の人生のスタートは、ジョブズにあるのです。
スティーブ・ジョブズがAppleを創業し、iPadを作り、それが僕に届き、そして人生が変わった。これだけです。

あんなふうに生きたい!テクノロジーを使って偉大なことをしてやるぞ〜っと言った僕は、「偉人だったら何をするか」を考えていました。
そんな時に中学の先生から、それだったら若い時に留学に行った方がいいと助言をもらったんです。

まあ、そうは言っても、留学なんて大学の時に交換留学とか行くくらいだろうと思っていたわけです。

ところが、高校に入って、ある情報が入ってきました。

それが”次世代育成リーダー道場”でした。

なんとこのプログラム、費用は安い!東京都の手厚いサポート!次世代のリーダーを育成するためにさまざまな研修を盛り込んだものだったのです。

もう、興奮して挑戦することを決めました。

なんだかんだあって、次世代リーダーには合格。
東京都代表としてアメリカに渡りました。

アメリカで出会ったのは、本当にわがままというか自己中な人たちばかりw w w
そして、常識なんて存在しないことに初めて気づきます
それがいかにくだらなくて、どうしようもないと思ったんです。

大学行きませ〜ん

そんなこんなで、留学から帰ってきて、また”偉人”になるための生活がスタートするわけですが、

「あれ。偉人になるために大学いらなくね?むしろ邪魔じゃね?」って思い始めました。

そして大学生と接していく中で、確信に変わっていきます

共通テストをぶっちした僕はフリーターとして働きながら起業準備を始めました。

絶望のフリーター時代

世の中、色んな人がいて高校生のときからそんな活動してて凄い!って言ってくださる方に拾ってくださりフリーランスとしてお仕事をくださいました。

バイト経験もほとんどない僕が経験したのはまさにHARD THINGSでした。

フリーランスでも、うまくいかず。しかもやっていることはどんどん自分のやりたいこととかけ離れていく。

起業も、仲間もお金も集まりませんでした。
投資家の人から「なぜ、大学にも行っていないお前の話を信じられると思っているのか」と言われたこともあります。

そんなある日、
僕がやりたかった事業の専門家の方々とお話できました。

3社の技術者とお話させてもらったのですが、僕の考えている事業は、そもそも通信がもっと速くならないとできない世界線だということを教えていただきました。

そして、通信について調べていくうちに通信は大手のNTTやau,KDDIが通信発展計画を立ててるわけではなく、国が立ててるものだと知りました。

そして、その国が5Gが一般的なものになるのに5年かかるという施策を出していたのですから、ああ、これは何か変えなきゃなと思いました

やっぱ大学いっとくか

まあ、5年あるんだったら、とりあえず大学いっとくかということで大学に!

そして、コロナで大学生活はオンラインスタートでした
そんな時に出会ったのが某サークルです。

オンラインで寂しい中、頼れるのがそこだけで、依存してしまいました。そしていざこざがあり。。。

内部、崩壊。
山田は、うつ病になってしまいました。

そしてこれまでの自信も全て失います(その片鱗は、大学に行こうって言ったあたりからあったのかもしれないけど)

うつ病になり、自殺未遂もしましたし、隔離病棟に緊急入院まで行きました。

でも支えてくれる人たちがいて。
その人たちのおかげで徐々に元気は取り戻せました。

ですが、うつ病の怖さは、前の自分の人生を歩めないことにあると思います
もう前の自分では生活できないのです。

なので色々見直しました。

起業って本当に俺の幸せに繋がるの?って解いた時
いやあのHARD THINGSはもう無理だと純粋に思いましたw w w w

けど、プロダクトとビジネスの決断をしていきたいと考えていった時にさらなるチャレンジが進んでいきました。

ああそうかプロダクトマネージャーになればいいんだ!って思えたんです

そこからは最初はディレクター業務を、
そして今では一つのプロダクトの開発業務、経営戦略立案も担えるようになりました。

なんだかんだあったけど!!!!

いろんな挑戦と行動をしてきたから
だから就活では無双できました

でも、本心で、うわ、こいつ狙ってんなって思われても言いますが、
僕を救ってくれた、支えてくれている人たちがいて僕はようやく半人前になれるそういうダメダメ人間です。

心から。
みなさん、本当にありがとうございました!!!!

そして、今年の4月から新しくこの10年を経て、
社会人になります。

社会人でも、もっと面白いこと、素敵な人たちに出会って仲間になっていきたいと考えているので今後ともお付き合いのほどよろしくお願いいたします!!

山田

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