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誕生日と父の話

しばらくお休みしていましたが、更新を再開します。
今日は占いとは直接関係ない話になります。
昨日、58歳の誕生日を迎えました。呟きに多くの方からお祝の言葉をいただきました、皆さま、ありがとうございました。(これを書いている今、まだお返事中)改めてお礼申し上げます。

今年の誕生日はいろいろ例年と異なる1日になりました。
一緒にお祝いする家族が1人少ない。(息子が仕事の都合で社員寮に引っ越したので)そして、例年なら夫と休みを取って出かけたりするんですが、夫は研修、私は外せない仕事があり、普段とほぼ変わらない1日に。

そういう、形としての例年とは異なった1日とは別に、私の内面として特別な誕生日になりました。
それは「父親の享年をこえた」ことでした。

私にとっての父は本当に特別な人です。父が年を取ってから生まれた私はとても大事に育てられたと思いますが、幼少時の記憶は母より父の方が多いです。(母が弟を出産後しばらく入院していたため)また、今は母に似ていると言われることも多いのですが、幼少時は父に似ていると言われることが圧倒的に多かったです。
さらに、私自身、父親との方が母親よりも折り合いが良かったように感じています。とはいえ、昭和の時代の父と娘なので今のような仲良し親子、ではなかったですが。
それでも、大学の入学式直前に足を手術して歩行に支障があった私のために会社を休んで車を出して入学式に付き添ってくれるような父でした。
他にも受験、浪人、就職など、人生の節目に父は私の人生に関わっていました。

そんな父との想い出は私が大学を卒業して、無事に就職したその年の夏に唐突に終わりました。自宅で突然倒れて、入院。そのまま意識が戻ることはなく。享年57歳。
真夜中の大学病院の廊下で「早すぎる」と1人で泣き続けました。

それ以来、30年以上経ちますが人生の節目や悩んだ時に「父だったらなんと言ってくれただろう」と思うことが時折ありました。20数年の付き合いで終わった父との時間ですが、私の中では今も大きな存在です。

その父の年齢を昨日で越えることができました。私は、今まで家族に何をしてあげることができたのか、父親ではないけれど、母親として、妻として、仕事をしている人間としてどうなんだろうか。年齢と言う数字は越えてきましたが、人としての中身はまだ、父の背中を追いかけているような気がしています。

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