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【GTA5二次創作小説】GTAシリーズお馴染みのスカッとしないエンド

 前回はジュンの成長物語についてお話しました。

 今回はジュンのバッドエンドについて。GTAシリーズのエンディングに関する考察も踏まえます。ネタバレがあるのでご注意ください。


悪事の報いは存在する

 多くのGTAシリーズに共通するのが「悪事の報い」という要素です。

 シリーズを通じてハッピーエンドとは言えないスカッとしない内容が多いのは、主人公と主人公側の周囲の人間も強盗や殺人を繰り返した悪人であるからというのが理由なのかもしれません。平たく言えば因果応報です。何かそこに、クライムアクションゲームの世界的タイトルを背負ったロックスターゲームスの矜持のようなものを感じてしまうのですが、どうでしょうか。もちろんGTATBoGTのような例外もありますが。しかし、私は、この「悪事の報いは存在する」という解釈に大いに賛同しております。

プランA。

 話をGTA5に戻します。大胆な分岐エンディングを組み込んだGTA5では、A・B・Cという3つの分岐ルートがあり、プレイアブルキャラクターが死亡するという衝撃的な結末が用意されています。Aでは数々の罪の報いとしてトレバーが焼死し、Bでは裏切りの報いとしてマイケルが転落死し、いずれのエンディングでもフランクリンが裏切りという業を背負ってその後の人生を生きることになります。悲惨な結末ではありますが、Cエンドがあまりにも爽快感があるため「元々はAとBしかエンディングがなかったのでは?」というファンの考察も根強いです。ハッピーエンドで終わらないのはGTAシリーズの醍醐味と捉えられている節があるのです。

プランBが正史?

 余談ではありますが、興味深い意見をネットで見たことがあります。それは「プランB」におけるマイケルの死に顔のアップを理由に「プランBが正史なのでは?」という考察です。

 GTAシリーズでは、意図しているのかは不明ですが、名前のついたキャラクターが死ぬ時でも、その死に顔をアップで映しません。これはグラフィックが向上した所謂HD版であるGTA4以降も同様で、GTA5においてムービー中の死亡でキャラの死に顔を中心に据えたことは、たった1回の例外を除いて存在しません。その例外が「プランB」のマイケルです。この表現方法がロックスター側の意図によるものなのでは? という点から発したプランB正史説なのですが、非常に興味深いと思います。

プランB。たしかにこのような死に顔アップはGTAシリーズでは稀な演出です。

ジュンの悲惨な最期

 GTAVJKのプレイアブルキャラクターであるジュンにとって悲惨なエンディング「プランD」を用意することは、小説執筆当初から心に決めていたことでした。主人公ということで看過されがちですが、ジュンも立派な犯罪者です。人生があり家族がいた同じ人間を何人も殺しています。ですから、彼女にも「悪事の報い」は絶対なのです。

 しかしいざ考えてみると非常に難しい。思いつかないのではなく、いくつも思いつくせいでどれか1つを選べないような状態でした。物語を作る上で、好きな主要キャラクターを殺すシーンを考えることほど楽しいことはありません。しかしその機会はたった一度きり。もったいないなぁ。たった一度きりなんて。そんな感じでグダグダになり、度重なる現地取材の後、「プランD」が完成したのは2023年11月でした。つい最近のことです。

ジュン最期の地。

 プロットを作る上で注意したのが、マイケルとトレバーの死に方と被らないこと。つまり、転落死と焼死を除外したことです。それと、GTA4のオマージュにすることで、決めかねていたジュン死亡はスムーズに決まりました。ニコをアメリカに運び、ディミトリとの戦いの地でもあるばら積み貨物船の同型艦“オクトパス”がロスサントス港に停泊していると気づいた時は、ビビッときました。ここにしよう! ということで、ジュンの死亡の地が決まりました。

GTA4での同型艦Platypus。GTA5に登場させたのはイースターエッグなのでしょうか。
ジュンとフランクリンもこの船倉で戦ったという設定です。

 タイトルだけは数年前から考えていた「女子高生ワイプアウト!」ですが、これはGTA3の「Waka-gashira Wipeout!」のパロディです。また、クレーンに吊るされたものを落下させることで始末されるシーンは、映画『リーサル・ウェポン2』を参考にしています。

GTA5ではマドラッゾ愛人の豪邸破壊シーンのオマージュでも知られています。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00FIX58JM/ref=atv_dp_share_cu_r

 Pixivでは常に作品説明に書いてきましたが、この小説で描写した行為などを作者である私が推奨するものではございません。ジュン・カサイがしてきた多くの犯罪行為は到底許し難いものであり、その報いを受けるエンディングを作ることは作者としての責務であると思ったため、この「プランD」は絶対に作ろうと決めていました。そして、その最期は他の者と同様に惨めで、呆気のないものであるように細心の注意を払い執筆しました。

 それでも、当初は「コンテナにべちゃっと潰される」とか「溺死する」などもっと呆気のない死に方が想定されていました。それはマイケルやトレバーのような呆気なさを再現したかったためです。しかし「せっかくの二次創作なのだから」と、少々時間をかけた死に際にしました。自分が無宗教であると自覚しているにもかかわらず、最期の時に巨大な何かに縋るように謝罪を連呼するシーンは、ジュンの宗教観と倫理観の歪みを端的に表現できたではないのかな、と思っています。

錯乱状態のジュンが走行した線路の昇開橋。プランBのオマージュです。

 次回は閑話休題ということで、ジュンを古いロックオタクにした経緯についてお話します。

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