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今、アーティストとテクノロジーが取り組みべきこと


 存じ上げない方ですが、武蔵野美術大学の志田陽子教授による、きちんとした論考です。勉強になりました。そしてそこから気づきがあったので簡単にまとめます。

 ここでの指摘自体は概ね正しいと思います。公的支援策の種別が(1)休業補償、(2)活動への補助・助成、(3)公共事業、の三つのに整理されれることなど、適切な指摘と整理だと思います。その上で2点を指摘したいと思います。

 「筆者の経験からいうと、ポピュラー音楽の場合には、遠隔で一人一人が演奏したものを後から合成することは、比較的容易にできる」との前置きで、星野源の『家で踊ろう』の事例を提示した上で、「クラシックの場合にはリズムに揺れがあること自体が芸術的表現なので、全員が同じステージ空間にいることが必要」とあります、指摘自体はその通りなのですが、「これまでのテクノロジーでは同時に同じ場所にいることが必須だった」というのが正しい認識で、その状況を変えていく、超えていくのがテクノロジーの課題だなと思います。また音楽家側は「同じステージ空間にいないとできない」と開き直るのは僕から見るとサボタージュとも言えます。「リズムに揺れがあり直接空気が届き、出した音が混じる状態で行ってきた表現を遠隔地でも可能にする、もしくは、遠隔地でやることで新たな表現が生まれる」ということに僕は期待します。実現のためには、表現者側とITサービス側の両面からの努力が必要でしょう。必要は発明の母であり、危機こそがチャンスなのかもしれません。

 こんな風に僕が思うのは、芸術家が今やるべきことは、コミュニケーションに対して問題を起こしているコロナ禍を自分の作品で表現することだと思っているからです。

 COVID-19は、人類がこれまで戦ってきた感染症と比較した時に、特別に強力な訳ではありません。医学的科学的に将来的に克服できない大きな課題がありそうだという話は聞きません。ただ社会的な意味で対応が難しくて世界中が苦しんでいる訳です。コロナ禍が毀損しているのは、(広義の)人間同士のコミュニケーションです。率直に申し上げて、この社会状況を作品に反映させることがない芸術家がいることは不思議です。ウィルスが人のコミュニケーションを邪魔している事態に対して、芸術家が社会でどんな役割を果たすべきなのか、しっかり向き合って欲しいです。
 ニッポン放送の番組でサカナクションの山口一郎が、「僕らはこのことを歌にしなくてはいけない」と言っていたのは象徴的で、やはり素晴らしいアーティストだなと思いました。自分の課題を直感的に理解しているのでしょう。ちなみにこのニッポン放送の特番は、意義深く素晴らしい内容でした。

 もちろん、伝統芸能を守っていただくことも文化としてはとても重要なので、これまでのやり方が頑なに変えられないスタンスの芸術家をサポートすることも必要です。芸術家にもいろんなスタンス、カテゴリーがありますし、多様性こそが文化的な価値ですから。
 ただ、芸術家として自分を規定している人は、この「SNSパンデミック」とでも言うべき、コミュニケション不全社会に真摯に向き合ってほしいなと願う気持ちも強いです。ソーシャルディスタンスで恋愛は成立するのか?国境が高くなってしまった地球をどう捉えて、如何に行動するべきなのか?自分の演奏は空気を通さないと他者と交わることはできないのか?エンタメなドラマのプロットになるネタや、哲学的に人間を掘り下げて考える切り口が、今、満載です。

 世界中で、COVIDー19と(広義の)人間のコミュニケーションをテーマにした作品がこれからたくさん出てくることでしょう。本質的かつ衝撃的な視点を社会に投げかけること、歴史の審判に耐えうる作品を提示することがまさに芸術家に求められている役割です。テクノロジーに関わる人は、その可能性を広げ、前提となってしまって思考を妨げる制約を無くすことが求められていると僕は思います。危機に瀕している文化支援は本当に必須です。焼け野原になってしまってからでは遅いですから。

 ただ同時に、芸術家もテクノロジーサイドも今こそこれまでのやり方は疑い、アップデートする時期だと思います。僕自身、アーティストとテクノロジーに向き合う、何ならそこをつなぐことを生業としてアイデンティファイしていますので、本気で考え、真摯に取り組むつもりです。まずはビジネスレイヤーで危機に向かうことを優先しますが、同時に思索を深め、メディアアート的なフィールドで意味のある問題提起をしたいです。意欲のある方はご一緒しましょう!

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モチベーションあがります(^_-)