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アーティストプロデュースにおけるコンセプトとシーンづくり

 『ミュージシャンが知っておくべきマネージメントの実務』第3章「ネット時代の音楽ビジネス」にあるようにコンセプトメイクは大切だ。特に新人アーティストのプロデュースにおいては、コンセプトと戦略が最重要だ。本稿ではこれからプランニングする人の参考になるように、僕の実例と反省について書いてみたい。
 2004年に東京エスムジカというグループをデビューさせた。ワールドミュージックの要素と匂いを取り入れた、これまでにない新しいJポップというコンセプト。石垣島出身と在日KOREA4世の女性ツインボーカルと東大大学院生が作編曲するという3人組の組合せ。島唄要素も取り込み、英語や韓国語歌詞バージョンもリリースし、アジア各国でもリリースするというインターナショナルなイメージ。訴求要素も多く、コンセプトも明確で、自分的にはプランニングは完璧だった。

当時元気だったタワーレコードなどCD店がインディーズ盤を数万枚売ってくれた。メジャーデビュー曲「月凪」(作詞:こだまさおり)は、当時のFM局パワープレイ数新記録を樹立と好調だったが、その後もヒット曲を出し続けて、世間を席巻するところには届かなかった。
 当時は何とかしようと必死にもがいていたからわからなかったけれど、客観的に見ると、「新しい音楽シーンを作る」という視点に欠けていたと思う。ワールドミュージックをガッツリ「Jポップ」にするというのは、差別化としては抜群だし、音楽として潜在的なニーズはあったと思うけれど、これまでに無いカテゴリーの音楽をやるのだとしたら、音楽シーンを作っていくという姿勢が必要だった。ライブで集客を伸ばすためにはイベントブッキングも大事だし、一緒にファンを増やしていくアーティストとの組合せが必要だった。独自性が強すぎると一緒につるむアーティストの幅は狭くなる。でも、シーンを作り出すにはアーティストの横の連携が肝要だ。「新しいJポップを作ってやる」と肩に力が入りまくっていた僕にはそこが見えていなかったのだと思う。
 諦めが悪いのが取り柄でもある僕は、マハラ・ライ・バンダというルーマニアのジプシーバンドを呼んでレコーディングとコラボライブを行ったり、インドネシアやモンゴルでレコーディングしたり、前代未聞なことに挑戦を続けていった。


 成功に届かなかった理由は、おそらくメンバー側にもあって、心が弱かったり、音楽制作経験が乏しかったり、アーティスト同士の横つながりや他の音楽家からのリスペクトが弱かったり、という要因があるのだが、自分で選んだド新人であるメンバーの責任にはしないという責任感と「俺がなんとかしてみせる」というマッチョな力の入り方が、幸運の女神のお眼鏡にかなわなかったのかなと今振り返ると思う。
 それにしても、海外レコーディングをする際に、その国の大使館の文化担当にアポをとることから始める音楽プロデューサーはなかなかいないと思う。モンゴルで馬頭琴やホーミー奏者と共演、インドネシアでジャワガムランを録音した。0から1を創る、熱意と行動力があれば無二の作品を生み出せるのだ、そんな経験は僕の中で生きているから後悔はしていない。

『ミュージシャンが知っておくべきマネジメントの実務 答えはマネジメント現場にある!』(2017年9月刊)Chapter.3「ヒットとブレイクを作るプランニング」から


モチベーションあがります(^_-)