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音楽教室とJASRACの不毛な争いから考える音楽は誰のためかと、デジタル時代の著作権徴収分配

 まだやってるのか?とため息をつくニュースでした。不毛な訴訟だなと思います。原告被告ともにどちらもどちらでがっかりします。

徴収した著作権をJASRACは何を基準に分配するのか?

 これが一番のポイントだと思っています。僕は何度かBlogなどにも書いているのですが、もしJASRACが、全ての音楽教室にセンサーを設置して、全楽曲の使用データを集めて、それに基づいて分配するという態度なら支持します。この透明性への鈍感さが、今のJASRACの最大の問題点です。
 世の中のアンチJASRACの人が主張するような、「アンフェア」が行われている訳ではありません。70年の歴史を持つJASRACのノウハウを使って、他の様々な分配データを組み合わせて、「フェアな分配ルール」を決めるつもりなのでしょう。その感覚こそが、JASRACを時代遅れな存在にしていることに早く気づいてほしいです。
 70年前と違って、今は技術的には、かなりのレベルの透明性を持って、徴収分配することが可能な時代です。JASRACの体質である「取れるところから取って、大体で分ける」というやり方を改めないと、使用者からも、音樂ユーザーからも、作曲家からも支持されない時代になっているのです。

音楽教室は何故、著作権を払わないのか?

 僕はこの理由はわからないです。「せこい人たち」というのが率直な印象です。教室に通う音楽好きのユーザーからこの裁判が共感を得ると思っているとしたら、かなり感覚がズレています。音楽教室というビジネスを行うために楽曲を使用していることは明らかで、著作権使用料を支払うべきだという指摘には、支払う方向で真摯に向き合うべきでしょう。適切な料率はどのくらいなのか?分配データをどうするのか?使用者側からも何らかの提案があって、しかるべきだと思います。
 演奏権という支分権を当てはめるJASRACの主張が適切かどうかは、法律解釈の話になってくるので、ここでは言及しませんが、「楽譜を買っているから」とか「音楽業界に役立っている」とか「教育は、、」とかいうロジックはあまりに稚拙でびっくりします。僕は最初にこの訴訟を聞いた時には、正直「弁護士に騙された」のかと思いました。今回、一部勝訴というのは、こちら側の弁護団も優秀な人はいるのでしょうね。

音楽振興のためにやるべきアイデアは無いのか?

 僕が何より残念なのは、両者から音楽界を活性化するような姿勢が見られないことです。不毛な訴訟にお金とエネルギーを注ぐよりも、やることはあるのではないでしょうか?
 音楽教室を受講するような人たち向けに、クラウド上に有料で譜面サービスを行う。その費用を両者で出し合って、そこから著作権使用料も発生させていく、というような賢い発想が欲しいです。
 徴収分配の透明性が担保され、音樂振興にも繋がるはずです。そんな中で、PD(パブリックドメイン・著作権期間が切れた楽曲)の場合はどうする?、NexTone管理楽曲、自己管理楽曲などJASRAC管理外の場合は?などを知恵を出し合えばよいのです。(おそらくそういう話なら、NexToneは経費負担にも加わる姿勢を見せるでしょう)

昭和は終わっている。発想を変えていこう

 デジタル技術を活用して、音楽ファンと作曲家のために音楽振興につながる努力をしていかないと、JASRACは、グローバル化とブロックチェーン技術によって、従来型の音楽教室は、eラーニング型のスクールによって、存在価値がどんどん下がって、衰退してしまうでしょう。
 発想さえ、今の時代にアジャストすれば、これまでの経験が役立つこともあるはずです。この不毛な訴訟が最高裁まで行くのではなく、音楽界を活性化する「和解」が起きることを、心底期待しています。

 たまたまですが、こんなタイトルの無料オンライントークイベントいます。新時代感覚を持った作曲家と若い弁護士とのクロストークです。興味のある方はご覧ください。


モチベーションあがります(^_-)