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脳出血闘病・リハビリ進捗報告

 脳出血を発症して入院してから一ヶ月経ちました。ご心配、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。沢山の方にお見舞い、そしてSNSでも激励の言葉をいただいて、本当に感謝しています。多くの方から愛を感じて、落ち込みがちであろう入院生活をポジティブにすごせています。まだ復活途上ですが、自分への叱咤と皆様へのご報告を兼ねて、これまでの出来事、顛末をまとめて記そうと思います。丈夫なのが取り柄で病気らしい病気をしたことが無い僕だけに、みなさんを驚かせてしまったことでしょう。
 最初にお断りしておきたいのは、今後似たような病気になる方の可能性も考え、包み隠さず書きますが、必ずしも参考にはならないかもしれないということです。入院後に、友人の紹介で脳梗塞に倒れられた財部誠一さんの闘病記録を読んで参考にもなり、勇気づけられましたが、それと比べても僕の症状はおそらく著しく軽微です。視床下部での脳出血にしては珍しく、肌表面の感覚を失うことはなく、また、左半身の症状だったので、利き腕には支障無く、言葉や記憶などにも全く影響は無いという幸運に恵まれました。僕の拙文を読んで、気を悪くされる方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。脳梗塞、脳出血で生じる症状は本当に千差万別だそうです、あくまで一つの症例、リハビリの記録と捉えていただけると幸いです。

 10月9日13時発症

 泉ガーデンのカフェでランチミーテイング。10/28のTECHS in TIMMで披露予定の新作のライブ演出について、アートディレクターとテクニカル面を整理。ランチ途中にちょっと違和感があり、自律神経が少しおかしいかと思いつつも特に問題なくmeetingを終える。立ち上がって歩き始めると左脚を引きずっていることに気づく。おかしいと思いながらタクシー乗り場に向かううちに、歩けなくなり周囲の人達に支えられて、なんとかタクシーに乗り込む。その時点では明らかに異常だったので、一番近い病院に向かってもらいました。虎ノ門病院の救急に着き、担架で運ばれる。緊張感の中、MRIとCTの検査を即座にされました。最初の医師の言葉は「脳出血です。おそらく手術は必要無いと思います。」その瞬間に看護師などの張り詰めていた空気が緩みました。それでも「このまま緊急入院ですよ」と言われて、僕の言葉は「電話してもいいですか?」「あなた、頭に血が出たんだから少し待ちなさい」と窘められつつ、オフィスに電話。アシスタントに「左半身が歩けなくなって、脳出血だった。虎ノ門病院に緊急入院したので、俺の今日明日のスケジュールをキャンセルの連絡しておいて」と伝える。腕には二本の点滴、膀胱にも管を刺され、集中治療室(脳関係の場合はStroke Care UnitでSCUと言うそうです)のベッドから動かない状態で過ごす。結局1週間ほどSCUの個室でした。

 実は発症から今日まで、痛い、気持ち悪い、意識を失うといった症状は一切ありません。点滴打たれて、ベッドから動けない状態が続くと、流石に何となく頭はぼーっとはしまたが、病気の症状としてシンドイ事はラッキーなことに特にありませんでした。緊急入院して少しずつ事態を把握して対応策を考え始めます。病院もすぐに家族に連絡しろとのことで、妹に来てもらいました。幸運にも職場が虎の門病院に近く、30分後には来てくれて、急ぎの身の回りのことは頼めました。アシスタントにも病室に来てもらい、情報共有をして、急ぎの対応策を頼みました。少し考えて、Facebookにベッドに横たわる写真付きで現状を投稿したのは翌日のことです。情報が中途半端に伝わって、ご心配をお掛けするよりは自分の言葉で発信するのがよいだろうと思いました。なんとSCU内も携帯の使用は自由で、メッセンジャーのやり取りやメールチェックやSlackなどのコミュニケーションツールが使えたのは助かりました。脳出血の入院で長期の療養が必要というそれなりにオオゴトであること、同時に命に別状はなく、意識もハッキリしていて、スマホで連絡取れることなどを、極力、過不足無く伝えたいなと思いました。

 数々の幸運に恵まれる

 落ち着いて考えてみたら、という話なのですが、脳出血の入院という事態にしては、随分と幸運に恵まれていたようです。視床下部への出血というのは、感覚や記憶、言語などを失ってもおかしくない箇所だと医師からも言われました。痛みや吐き気が無いこと、麻痺が左半身側で利き腕にには支障が無いこともそうです。虎ノ門病院にすぐに行けたことも今思えばラッキーでした。着いたときは医師看護師も殺気立った感じで「発症は何時ですかっ?」と訊かれ、「違和感があったのが12時20分頃、麻痺が始まったのが1時です」と答えていたのは13時20分頃でした。早い段階で処置に入れたのは本当に幸運でした。ちょっと調子悪いからタクシーで自宅に帰ってとか思っていたのですが、30分早く帰宅して仮眠でもしていたら、病院に行くのは数時間遅れていたでしょう。
 すぐ近くに虎の門病院という素晴らしい救急病院があったのも幸運でした。看護師の皆さんも優しくて、説明上手で、とても助かりました。白衣の天使が一日三交替で身の回りの世話を全部してもらえるなんて夢のようです。口の悪い僕は、お見舞いに来た友人たちに「どんなプレイだよっ?て思うくらい夢心地だよ」と言っていました(下品ですいません><
 1週間ほど経って、医師から「もう大丈夫なので、あとはリハビリ頑張ってください」回復期の専門病院に転院を勧められました。病状を知りたくて、いろいろ質問したのですが、脳外科医の立場では、処置は終わり、もろもろの数値も落ち着き、治療は終わったので、あとは神経の一部が損なわれたことによって生じている麻痺を、駄目になった近くの神経に覚えさせるという、いわゆるリハビリを「できるだけ早く、できるだけ沢山」やるのが「統計的に良い」との説明でした。今後の経過予測などは、誰も決定的な発言はしてくれないのですが、入院数時間後に「手術は必要無い」と言われて空気が緩んで以来、「この年齢でこの程度の症状なら、リハビリちゃんとやれば治るでしょう」な空気が皆さんから流れていて、悲壮感を持たずに済みました。

 回復の日々と計り知れない感謝

 ともかく一日でも早く本格的なリハビリを始めた方がよいということで、ソーシャルワーカーと相談。ネットや知人たちの情報から初台リハビリ病院の評価が高いので第一候補にしました。原宿も評判良く、立地がとても便利なので、まずはこの2つに打診をお願いしました。初台は、事前に家族が下見するとかいろいろ条件があるのと、そもそも空きが出るのに1週間以上掛かりそうだったので、値段が高くなる個室でよければ数日後に入れるという原宿リハビリテーション病院に決めました。空き次第大部屋に移るという条件で、10月23日に転院して、1日3時間のリハビリメニューを毎日こなす日々を今も続けています。
 発症から1週間は全く動かなかった左脚も徐々に復活し、毎日少しずつ良くなっています。これまで無意識に行っていた歩く、座るなどの基本的な動作に、こんなにも複雑に筋肉と神経が絡みあっていたのかと驚かされます。毎日新たな発見があって、変な言い方になりますが、自分の身体なのに面白いです。療法士の方の知識と技術にも驚かされています。頑張って動かそうとすることで起きる筋肉痛も上手に解しながら、筋肉を活性化させて、脳神経に働きかけることで、麻痺を解していくという作業を丁寧にやっていただいていて頭が下がります。虎の門病院、原宿リハビリ病院通じて、日本の医療スタッフの方々のスキルの高さと人としての暖かさが感動的です。本当にありがたいです。海外から日本の医療を受けたいと外国人がやってくるという話もこの質の高さなのだなと納得がいきました。

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 感謝することは多いのですが、たくさんの方にお見舞いに頂いてありがたいです。1ヶ月間経ったところで。數えてみたら、お見舞いにいらしていただいた方はのべ67人でした。Facebookを見ての方も多く、数年ぶりに会う人も少なく有りませんでした。たまたま東京にいたと、遠方(京都、富山、バンコク!)からも。寂しくて心細くなったりする入院で、毎日誰かしらと話をすると気が紛れて助かります。必要なミーティングは病室でもやらせていただいたもしています。SNSでの励ましの言葉も含めて、友人からの愛を感じて、心の支えになっています。感謝の言葉が見つからないほどありがたいです。

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 一番気になった仕事については、優秀なスタッフが頑張ってくれていて、大きな滞りは無く進捗していると思います。俺は別に稼働しなくてよいのでは?って苦笑いも浮かべつつですが、、。Zoomでの会議やmessenger、Slackといったツールの普及でリモートワークがやりやすくなっていることもありますね。講演やセミナーなどは、大袈裟と思いながら、車椅子で稼働しています。山口ゼミなどの登壇は「車椅子講師」です。今回、介護タクシーを初めて使っていますが、便利でした。車椅子ごと乗り込め、資格をもった運転手が移動のケアもしてくれます。これまでバリアフリーは、上っ面だけで捉えていましたが、こういう事があると、段差のないことや障害者対応トイレのありがたみがよくわかります。今まで持ててなかった視点を知ることができたのも人生経験として意味がある気がします。

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 これまで自分が知らなかったという意味でお金の話もしておきたいと思います。日本の医療システムは良質なんだなという感想です。まだ最終的な金額はわかりませんが、これまでのところ、経済的な不安で、医療の選択について悩む場面はありませんでした。基本的には社会保険の範疇でやれています。手続きをすれば、医療費負担に上限を定める制度があることを初めて知りました。前妻に加入させられた生命保険に入院手当金の制度があり、1日1万円の支給があります。リハビリ病院が混んでいて、早くリハビリに専念するために別料金が必要な個室を選ぶ時に、一瞬、逡巡した以外は全て成り行きで進めました。細かな把握はまだできていませんが、大まかに言って、日本の医療を取り巻く仕組みはよくできているのだなと言う感想です。

 120%回復という目標設定

 懸命にリハビリに取り組み、全く動かなかった左脚が、杖や歩行器を使えば歩けるところまで復活してきてます。手応えを感じながら、目標設定について考え始めました。せっかく軽症だったのだし、左脚の麻痺以外は異常がないこともわかったので、もちろん完璧に復活したいです。ただ、「100%ちゃんと歩けるようになる」ってどんなことなんだろう?とわからなくなりました、
 もともと、姿勢はあまり良くないし、足を引きずりがちで、靴底が変な減り方をする歩き方をしています。(この機会にそれも直そうと思いますが)「100%の歩行」が上手くイメージできません。一方で、どこかで妥協して不完全な状態で生きていくのは我慢なりません。そこで考えたのが、目標設定を120%にするということです。「病気になる前よりも健康になる」というテーマにしようと思いました。

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 左手の麻痺については、ピアノを弾くことがすぐ思いつきました。発症して1週間ほどで握力は復活して、利き手でないので、生活に支障はありません。ただ、PCを打つとミスタッチが多く、フラストレーションが溜まるような状態です。左指をなめらかに動かすならバッハかなと。平均律は難しすぎるので、10代に弾けたインベンションをあの頃より上手に弾くを目標にしようと思いました。聴く機会という意味では音楽の仕事をし続けていますし、人生経験も経て情操は豊かになったいるはずです。バッハが弾ければ麻痺を120%解消したと言って良いでしょう。

 一旦は完全に動かなくなった左脚はどうでしょう?原宿リハビリ病院のトレイナーと話して、5kmランニングに定めました。走るのは嫌いだったのですが、每日何時間も自分の筋肉と向き合う生活を続けるなら、この先にあるのはランニングかなと。出張先の朝に必ず走る外国人ビジネスパーソンのように、スニーカーを旅行鞄に入れる人になるのも悪くないかなと。ついでに言うと、腹筋を割るも目標に加えました。一日1600calの病院食で体重が落ちる中、腹のたるみが気になると話したら、「リハビリをちゃんとやれば腹筋割れますよ」と言われてその気になりました(笑) 「5kmランニング」、「バッハのインベンション」、「腹筋割る」の3つが来春目安としたリハビリの120%目標です。この目標のミソは、「挫折してもOK」というところです。バッハが下手で、1kmしか走れなくても、発症前の100%は超えてます。挫折できる安心感も良いなと思いました。大見得を切るのは恥ずかしいですが、ここでは120%目標を掲げておこうと思います。

 そして、これから

 痛みもなく、悲壮感を持つこともない、幸運な闘病ですが、実は一つだけ思ったことがあります。入院した翌日、何となく自分の置かれている状況がわかり、急ぎやるべきことを対処して、今後の人生について考えた時です。「あー。俺はもう一生アルコールは飲めないかもな。」僕にとって人生の楽しみのベスト5には間違いなく入るお酒ですが、その時にあっさり「まあ仕方ないな。もう普通の人の一生分の赤ワインも焼酎も飲んだかもだし」と思えて、意外に切り替え早い自分を知りました。実際は、ガブ飲みせずに節酒するという答えになりそうです。
 3年前に「LIFE SHIFT」を読んで、自分も百歳まで健康に生きようと決めました。ここ数年はそれなりには健康に留意して、糖質制限ダイエットを取り入れ、ビールをやめて、炭水化物も大幅に減らしました。ジムにも行き、7月の時点で健康診断に纏わる数字は血圧以外は総て正常値に戻しました。虎の門病院の医師が入院時に「糖尿もあると思うんですよね」と言ったので、「無いですから!血液取って観てください」と言い返しましたが、おそらくは僕の年齢で脳出血を起こして来る人は、大抵、なんらかの生活習慣病があるのでしょう。体質改善に努めていたことが、軽くて済んだ遠因かもしれません。逆に言うと、体質改善だけでは高血圧は完治させられず、脳の血管は切れました。いずれにしても、リハビリが完了したら循環器系の主治医と徹底的に話し合って、対処策を考えます。10年来の高血圧で薬は飲んでいましたが、自覚症状は一切なく、血圧を測って高くても正直、気に留めずにいました。再発だけは絶対に避けなければいけないので、血圧コントロールを徹底するつもりです。

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 気がつけば長文になってしまいました。ビジネスに関して檄文を書くことはあっても、自分のプライベートをくどくど書くことは珍しいです。
 最後にご心配とご迷惑をおかけした皆様にお詫びと、激励へのお礼を申し上げたいです。リハビリはあと数ヶ月かかる気がしています。お正月も一日も休み無くリハビリをやってもらえるそうなので、病院で年越しするのも貴重な体験と思うことにします。進捗はinstagramやFacebookで報告しつつ、退院したら続編をまとめます。

遅くなりましたが続編書きました


モチベーションあがります(^_-)