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映画「正欲」

映画「正欲」を見た。

「多様性」という言葉から思い浮かぶものってなんだろう。思い浮かんだもの以外にも私が想像できないほどの多様性があって、それは定義できないし誰にも分からないのだと思う。

「多様性の時代だからね。」ある人が言った。
多様性を認めることは素晴らしい、かもしれない。
でもその人が言ったその言葉は、「私は多様性の人間ではないけど、多様性の人間も認めますよ。」っていう意味にも感じる。
多様性側=少数派みたいな解釈になっていないだろうか。
多数派の人間が多様性を都合のいいように解釈して、使っていないだろうか。
多様性という言葉で誰かを傷つけていないだろうか。
多様性という言葉を使うことで、相手を勝手に理解した気になっていないだろうか。

理解できないこと、したくないことを多様性から外してしまっているのかもしれない。
でも多様性の外側は理解できないし、無理に理解しなくていい。ていうか理解できないんだと思う。私が想像できないことはこの世に数えきれないくらいあるし、私の感情が誰かを傷つけたりすることもあるかもしれない。
理解しなくてもいい、受け入れなくてもいいけど、それでも「ただ存在する」ということだけは理解してほしい。

オードリーの若林さんに何度も私は心を救われた。私と同じような感情を持つ人がこの世にいるんだと思えた、それだけで安心した。若林さんが自分のことを必死に探して、それを言葉にしてくれて、本当にありがとうございます。と言いたい。この生きづらい世界を生きていくためには、「つながる」ことはとても大切なのかもしれない。そういう人が一人でもいるだけで、私は明日も生きていける気がする。

誰もが、息しやすい場所・人と出会えていますように。


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