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勝手に傷ついたり、知らずに人を傷つけていた話

ふと思い出した過去の話です。
(長文になります)

私が母親に音楽を習うことになった経緯

物心ついたときから家には電子オルガンがあって
音を紡ぐことが普通の生活の一部でした。

母が電子オルガンの先生をしていたからです。
家で電子オルガン教室が週3回。
出張で週2回、母は夜遅くにならないと帰ってこない生活。(たまに早く学校から帰って間に合うと一緒に連れて行ってくれた)

私は一人楽しく電子オルガンを見よう見まねで弾いていましたが
小学校3年生に上がったころだったと思いますが、私を駅近くの教室に入れてくれました。

私の初めての電子オルガンの先生はまだ若く、きっと20代だったのではと思います。
「先生の娘さんなんて、私には恐れ多いです。ご自身で教えたらいかがですか?」
とその先生が母に言っているのを聞いて
「先生は私を教えたくないんだな・・・いやいや教えるのかな・・」と(当初は自分がダメダメダメ子と思っていたのですぐネガティブ思考)
申し訳なく感じていました。

それでも、自分一人で適当に弾いているのは違い、楽譜の意味を教えてもらったり、弾き方を教えてもらうのは楽しかったです。先生のことも大好きでした。
しかし1年も経たない頃先生が、迎えに来た母に
「○○ちゃん(私のこと)は、やはり私には・・・先生が教えたほうがいいと思います」
と言っているのを聞いてしまいました。
先生に嫌われてた…と悲しくなりました。私も小さかったし、話の内容の詳細はわかりませんでしたが、先生を好きだったのでひどく傷ついたのを覚えています。
その後、母が「違う先生とお母さんが教えるのどっちがいい?(その先生から外れるのは確定)」と聞いてきて、やっぱり先生が嫌がったんだと確信しました。一人で隠れて泣きました。

いくら先生が変わっても、私はどうせ嫌われてしまう。
だったら、と私は母親に習うことを選択しました。

実は、この話の真相は別にありました。

傷ついたことだったのでしばらく母にも言えなかったのですが、大人になってから「私の何がいけなかったの?」と聞いたことがあります。すると母は驚いて真相を教えてくれました。
「先生は、結婚するから引っ越したんだよ。○○ちゃんは上達スピードが速くて、あの教室でやってるコースにはすぐ該当しなくなるから、別の教室にいくしかないから、どうせなら私(母)が教えたほうがいいのでは、と言われただけ」とのことでした。

子どもって、変に聞いてることがあるし(耳が無駄に良い)、言葉もよくわからないから勝手に解釈するんですね。こわいこわい。
ただ先生には嫌われていなかったと知って、本当にうれしかったです。
(10年以上たってから発覚(*´ω`))

これは私が母に習うことになったエピソード。(母は、自分が私に教えるのを良く思っていなかった。自分では甘くしてしまったり、逆に厳しくしすぎてしまうと感じていたらしい)←他の生徒より厳しかったと私は感じている

私は母親の生徒でありながら、母親の生徒のほとんどの練習を聞いていました。(団地住まいだったので聞き耳立てていなくても聞こえてくる。出張先では同じ部屋で待っていたのでいつも聞いていた)
だれがどの曲に挑戦していて、どれくらい上手くなったかなど詳しく知っていました。

発表会の順番でもめた話

母の開催する1年に1回ある発表会では大人の部と子どもの部が分かれていました。子どもの部は中学3年生までの子が対象です。
発表会というのは、基本的には一番上手な子がトリ(最後)をつとめます。

私が小学校5年生の年、母は私を最後のトリにしようとしました。
それは、私が母の子どもだったから(発表の順番を)事前に知る事が出来たのです。

私は、自分が一番上手だとは思っていなかったので変えてほしいと言いました。その当時、私より1個下の女の子(仮にA子ちゃんとしましょう)が一番うまいと感じていたからです。
A子ちゃんをトリにしたらいいと、生意気な事にも進言したのです。

母は、私の方が上手だと言いました。
それに対して、私は母が「自分の子どもだからひいき目でみている」とまで言ってしまいました。母はそんなことしていないと怒っていましたが、私は自分が母の(先生の)子どもだからと特別扱いされるのが嫌だったのです。それに、絶対に自分よりA子ちゃんのほうが上手だと確信していたのです。順番表ではA子ちゃんは私の前に弾くことになっていました。

当時中学生も生徒として在籍していましたが、私の見立て通りというか、明らかに私(小学校5年生)とA子ちゃん(小学校4年生)の方が上手だったそうです。
そして母から見ると、‘明らかに‘ 私の方が上手だと感じていたそうです。
(このことは後で説明します)

そこまで母に言われても、私は自分がダメダメダメ子と思っていたので、ぜったいに自分がトリを弾くのは間違っていると言い張りました。

相当母も困ったと思いますが、結局私の希望通りの順番にしてくれました。
(電話で自分が本当に「自分の子どもだから(甘く)うまいと思っているのかしら」と別の先生に相談しているのを聞いていました。相当悩んでいたのだと思います)

順番が発表された時、A子ちゃんがトリは私がした方がいいと言ってきたそうです。A子ちゃんは出張先の生徒の一人で、出張先では空いた時間に私が電子オルガンに触っても良かったので、私の演奏を聞いたことがあったのです。

母は、今ならまだ直せるけどどうする? と再度確認してきましたが、私は首を縦に振ることはありませんでした。

当日、発表会が終わった後
A子ちゃんが舞台袖で泣いていました。その原因が、私の方が上手に弾けていて恥ずかしかったからだ、ということだったと知って驚きました。
A子ちゃんのところに行って、「Aちゃんのほうが上手だよ」と言いましたがA子ちゃんは「違う違う」とずっと泣いていました。

私は自分のわがままで、自分がA子ちゃんと同じ状態になりたくなくて、強引に母の子どもだからと主張を通してしまった。それによって本来は傷つくはずがなかったA子ちゃんを傷つけてしまったと、自分は自分で反省して傷ついていました。

その後、それが原因で私は母から習うことをやめてしまいました。だからといって他の先生に習うということもできませんでした。また先生に嫌われると思っていたからです。自己流で好きな楽譜を演奏する日々でした。

出張先でA子ちゃんと話しました。
「先生から期待されてトリにしてもらったのに、○○ちゃんのほうが上手だったからくやしかったの。自分が期待に応えられなくて、つらかったの。○○ちゃんも嫌な気持ちになった? ごめんね」
とA子ちゃんは言ってきました。(なんといい子!!!)
さらに「私、もっと練習して○○ちゃんみたいに弾けるようになる」と宣言してきました。
「A子ちゃんの方が、今だって上手だよ」本心から言いましたが、A子ちゃんも譲りませんでした。
「○○ちゃんの発表会のテープ、何回も聞いてるんだ。絶対に上手くなるからね」と言われました。

A子ちゃんに救われる

その年の発表会の順番を見て、A子ちゃんは初めて私が電子オルガンをやめていたことに気づきました。私の名前がなかったからです。

「私は中学校に入ったら、もう続けられないって言われてるんだ。最後は一緒に発表会に出ようよ」と言ってくれました。

次の年、私は中学1年生で彼女は小学校6年生、最後のチャンスでした。
母の発表会では個人の発表の他にバンド発表もしていたので、一緒にバンドもやりたいと言ってくれたのです。

A子ちゃんに誘われて有頂天になる私。
私は母にお願いして、また習い始めました。

そして、その年の発表会はA子ちゃんとバンドもやれたし楽しいものになりました。
個人発表のトリはA子ちゃんでした。母の目から見てもトリはA子ちゃんで間違いなかったのでしょう。

終わってから聞いてみると、「今年のトリは、どっちでもいいと思ったよ。だけど、やる気でA子ちゃんにしたんだよ。気持ちの問題だよ」と母は言いました。

母によると
A子ちゃんは本当に真面目な子だそうです。練習も宿題も、やってといった2倍はしてくる。学校の成績もとても良いそうです。
でも、正確に弾くことしかできなかったそうです。
譜面通りに、真面目に、確実に。

「しか」って・・・なにが悪いの? と私。

そこで母は初めて、昔の、あの時の発表会のテープを私にくれました。
(別に隠していたわけではなく、私が欲しいと言わなかっただけ)

聴いてごらん、と母。

私は自分が弾いたものを客観的に聴いたことはありませんでした。弾くのは楽しいけど、別に聴きたいとは思わなかった。聴くのなら上手な人のを聴いた方がいいから。

私の音楽は譜面通りではありません。(もちろん譜面には沿ってますが)テンポ、強弱、自分の感じたように弾いているからです。

それは、母の教えでした。母は、曲をみるときに物語を自分で作って、その物語を思い浮かべながら弾くんだと教えてくれました。「起承転結」「喜怒哀楽」豊かな感情を音に乗せる。

だから、本来の曲を知っている人は私の弾いた音楽を聴くと、オリジナルの曲との違いにハラハラしたり、ドキドキしたり次第に私の世界に惹きこまれるんだ、それが魅力なのよ、人の心を動かすのよ、と母は言ってくれました。

たしかに、私の曲の後に流れる当時のA子ちゃんの音楽は、まるでロボットのようでした。正確な音。譜面通りのテンポ、強弱。
私はA子ちゃんの弾く正確な音楽が正しいと思い込んでいました。

「あの時は、本当にA子ちゃんには悪いことをしてしまったけど、そのあとA子ちゃんの弾く音には感情が乗るようになったのよ。それはA子ちゃんの努力の賜物だけど。きっかけはあの時。あれがきっかけで「A子ちゃんの曲」が弾けるようになったの」

A子ちゃんは、私立の頭の良い中学校に受かったため、勉強も忙しくなるし(おそらくお金の問題もと今なら思う)音楽を続けられなくなったそうです。A子ちゃんは私の弾く音が好きだと言ってくれていたことも知り、恥ずかしく思いました。

間違っても、失敗しても、物語の一部だと思う

私は、A子ちゃんが成長したことによって気づくことができました。おそらく、最後の発表会がなければ母親の言葉に耳を貸さなかったと思うし、A子ちゃんの音の変化がなければ納得しなかったと思います。

鈍感で、いつもその場では気づけない。
人を傷づけたり、無駄に傷ついたりしていた私。
いつも自分が傷つきたくなくて、そればかりで人のことを思いやれない私。

私がちゃんとしていれば
最初の先生にもっと笑顔でお別れが言えたのに。お礼もちゃんと言えたのに。

私がちゃんとしていれば
A子ちゃんが泣くことはなかったのに。もっと音楽の話ができたかもしれないのに。

私がちゃんとしていれば
もっと音楽を学べたのに。(1年のブランクは大きかった)

後悔ばかりの人生。
失敗ばかりの人生。

でも、最近知ったんです。
自分の人生にも物語をのせていいんだよって。

音楽だって、物語があるから感動する
小説だって
漫画だって
映画だって
成功しかない物語はない。

ちゃんとしてないから、少しずつ成長するから盛り上がる。感動する。

最後は、せっかく自分で生まれてきたんだから
自分の物語で感動して涙を流しながら息を引き取ってもいいのでは・・・

「ちゃんとしていなかった自分」を
ちゃんとしてなかったけどがんばってもいた・・・
それは物語の一部でしかない、そこからどんな音を奏でていくか
自分次第なんだなア・・・(*‘ω‘ *)

譜面通りではない私の音楽を、いいねと言ってくれる人がいた。

そんな風に思えるようになりました。
後悔が一つ減りました。

悔やむのではなく、今の自分に託せるようになれば
その時の自分も間違ったかいがあったというものですね。

長文を読んでいただきありがとうございました(≧▽≦)



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