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【書評】毒母は娘に何を遺したのか?〜水村美苗『母の遺産−新聞小説』



読むたびに、異なる主題がみえてくる


10年前に読んだ時には「介護や女の自立を描いた」と理解していたこの作品に、以前とは異なる感想を持ったので書き留めておく。さすが水村美苗、いろいろな読み方ができる小説に出会えるのは、いつだって幸せ。


みんな毒親だったかもしれない

どんな親でも「毒親」的な部分を持ち合わせているのではないだろうか。そして、親から受けた毒を子が糧(かて)として活かすには、親の背負う歴史を理解できるかどうかが分かれ目になるのかもしれない。

水村美苗著『母の遺産—新聞小説』は、母の秘蔵っ子だった姉の陰で育った女性が、母の看取りを通して自分の人生を見つめ直し、納得して生きたいと願って自立してゆく物語である。

介護をしない姉の言い分とは?


ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?p.252

中央公論新社『母の遺産-新聞小説』(2012年版)


母親の情熱とお金を集中投資された長女奈津紀は、幼い頃から音楽の道に進み、現在は資産家の妻としてかなり恵まれた暮らしを送っている。いっぽう、次女の美津紀は特許の翻訳や非常勤講師をしてささやかに稼ぎつつ、大学教授の妻として、それなりの余裕も社会的地位もある境遇である。

ある日、姉妹の年老いた母親が大腿骨骨折で入院し、その後は施設に入ることに。先の見えない介護と施設通いのストレスと、よりわがままになった母に振り回されて、姉妹の日常は荒んでゆくいっぽう。

高齢の親が病を得て子供たちが世話するようになると、どうしたってそれまでのわだかまりが思い出されるもの。姉の奈津紀は溺愛されたにもかかわらず、母への感謝どころか<自分の人生を生きられなかったんだから。p.221>と恨みすら抱えており、美津紀に母親の世話を押し付ける。

老いた母の中に、老後の自分の姿を見る

欲望に突き動かされ続ける母の存在—諦めというものを知らず、虎視眈々と隙を狙い、何かに感動し、生きていることの証を欲しがり続ける母の存在は、なんとおぞましかったことか。p.478

中央公論新社『母の遺産-新聞小説』(2012年版)


母紀子は、庶子として生まれたのでなければ得ていたはずの「芸術と知」に満ちた生活を追い求めたひと。美貌を武器に、理想を実現するためならば周囲を傷つけることも躊躇わず、容姿を受け継いだ長女に叶えられなかった夢を託して、資産家に嫁がせるのに成功する。

その後、病に倒れた姉妹の父を冷酷に切り捨て、他の男に走ったその母が、いまやポータブル・トイレや高カロリー輸液の世話になり、無聊を安定剤で慰めている。自分の欲望を第一に、他者に求め尽くして生きた末の母の無惨な姿を、美津紀は苦い思いで眺めるのだ。

「人生で一番大切なもの」を分かち合えなかった相手とは?


舞い上がって結婚した相手は、どこにでも転がっている、自分が一番の人間であった。p.344

中央公論新社『母の遺産-新聞小説』(2012年版)


介護で疲弊した折も折、いつもの火遊びではなく、夫が新しい愛人と再婚する計画を立てていると知った美津紀は、ついに、それまで蓋をしていた夫との関係に向き合うのだ。

それはたとえば、夫が仏文学者なのに実は文学にも芸術にも関心がなく、世渡りだけが得意なただの見栄っ張りな男なのを認めること。そして、いつも自分の都合を優先し、妻に関心を示さないのは妻への愛情がないからという悲しい事実を、認めることでもあったのだ。ずっと蓋をし続けてきた現実を直視した美津紀は、ここからは自分の力だけで生きようと腹をくくり、教授婦人としての社会的な地位や安定した暮らしを、捨てる決意をする。

良かれと思ってしたことが、毒になってしまうこともある

娘というものは自分の母親を恨みながら生きるものなのか。p.446

中央公論新社『母の遺産-新聞小説』(2012年版)


親たちが経験した理不尽、不幸、悔しさから生じる負の影響が、世代を超えて子の人生に影を落としてしまうのが克明に描かれているのも、この小説の面白さ。

日本最初の新聞小説『金色夜叉』を愛読し、お宮貫一に心酔して理想の恋愛を追求した末に庶子を生んだ祖母、生まれながらに背負わされた「愛人の子」という理不尽に反発して理想の人生を追い求めた母紀子、そんな母の言いなりに生きた姉も、姉との不公平に悩んだ美津紀も、世代を越えた負の連鎖から逃れることはできなかった。

美貌を母に話題にされ続けたのを嫌った奈津紀が、自分の娘の容姿をあえて誉めずに育てたら「おかあさんのせいで容姿にコンプレックスがある」と、娘に責められる。よかれと思ってしたことでも、負の連鎖が続いてしまうこともある。親の毒への理解が、深まってゆく。

「好きなことをできる自由」を得たことこそが、母からもらった最大の遺産

母のおかげもあって、母よりも恵まれて育った。名状しがたい夢は、あの母よりももっと分不相応に、大それたものを志すべきではないか。p.521

中央公論新社『母の遺産-新聞小説』(2012年版)


相続した遺産で、美津紀は離婚後の住処を得る。けれど、多くの毒を残した母が美津紀に遺してくれた何より大切な遺産は、母自身が生涯追い求めた「美と知」への愛だったのだ。姉の留学期間と比べて短く、よほど安あがりであったとはいえ、母の用意してくれた資金で留学できたからこそ、美津紀は「美と知」の感覚をより磨くことができたのだから。

求める価値のあるものへの愛を遺されたのは、美津紀にとって幸いであったはず。「美と知」への愛を屈託なく肯定できる自由を得た美津紀が、以前、報酬の低さを理由に夫に反対され諦めてしまった『ボヴァリー夫人』の翻訳にもういちど挑戦しようと心に決め、明日を見据えたところで、この物語は締めくくられる。


*ご参考までに、婦人公論で昨年公開された著者インタビューのリンクを貼ります。実際の関係は、小説よりもっと、複雑であったよう。

婦人公論掲載
水村美苗「強烈すぎる母の愛情を一身に集めてきたピアニストの姉。私のよりどころは祖母だった。離婚で母に見捨てられた姉は私に依存し…」


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