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僕がサラリーマン最後の日に語ったこと

2022年6月30日を以て株式会社毎日放送(MBS)を雇い止めになりました。

たまたまその日が定例の会議の日で、その席で挨拶めいたものを求められ、少し喋りました。以下はその時の内容を思い出しながら、少し添削、加筆修正したものです。

When I'm sixty-four

最近頭の中でずっと鳴っている音楽があります(こういうのを英語では earworm = 耳の中に虫がいる、と言ったりするようです)。

それは The Beatles の When I'm Sixty-four という歌です。

僕はビートルズの熱狂的なファンというわけでもないし、この歌についてもトータルで 10回も聴いていないと思うのですが、64歳というのがこの会社のシニア・スタッフの最終年度であるということがあって、僕の脳内でループし始めたのだと思います。

その歌詞はこうです:

Will you still need me, will you still feed me
When I'm sixty-four

"When I'm sixty-four" John Lennon / Paul MacCartney

need と feed で脚韻を踏んでいます。これはラブ・ソングですので、訳すとすれば、「僕が64歳になっても君はまだ僕を必要としてくれるかい? 僕を養ってくれるかい?」みたいな感じでしょうか。

で、この歌を(脳内で)聴いていて、僕は電撃的に悟ったのです──この歌に対する会社の回答が No! なんだと。

そんなことを書くと、泣き言・繰り言・恨み言を言っているように思われるかもしれませんが、いや、そういう感じではなくて、もっと虚心坦懐な感じです。

僕は若い頃に、しょーむないことばかり言う定年間近のおじさん社員とか、取締役とか、すでに辞めて何年も経っているのに偉そうに指図めいたことを言う OB を見て、「こいつら早う死んだらええのに」と思っていたのですが、今度は自分が死ぬ番なのだと気がついたのです。

「あゝ、ついに自分の番が来てしまった!」という感じじゃなくて、「あ、次は俺の番か」みたいな感じ。

僕は常に世代対立論的な考え方で仕事をし、生きてきました。世代が交代することによって世の中が良くなるのは進歩の定番だと思っています。年寄りが辞めたり死んだりした後は、会社を良くして行くチャンスだと思うのです。

だから、あまりつまらないことを言わずに(もう、多少言ってしまっているかもしれません、ゴメンナサイ笑)静かに去って行こうと思います。

皆さん、ありがとうございました。お元気で。さようなら。

で、これで済んだかと思ったら、何人かで昼食を取った席でまた挨拶めいたものを求められて、今度はこんなことを話しました。

イメージの詩

朝はビートルズの話をしました。あの歌の脳内ループはしばらく止んでいたのですが、昨日(6/29)がビートルズが初来日した日だというニュースを見て再び鳴り始めたわけです。

で、昨日もうひとつ音楽に関するニュースを見ました。それは吉田拓郎が年内で一線を退くというニュースです。

吉田拓郎は僕よりも1周りほど上の世代なので知らない方もいるかもしれませんが、僕らの世代にとってはとても大きな存在です。

僕は中高大、そして会社員の初めの頃まで、吉田拓郎がいてくれたからこそ、彼の歌を聴いて自分でも「越えて行け そこを 越えて行け それを」(『人生を語らず』、詞・曲・歌:吉田拓郎)と唱えながら、なんとか自殺もせずに生き延びて来られたのだと思っています。

そのよしだたくろう(当時の表記)のデビュー曲が『イメージのうた』という長い長い歌で、その詞の一部にこんなフレーズがあります:

古い船には新しい水夫が
乗り込んで行くだろう
古い船を 今 動かせるのは
古い水夫じゃないだろう
なぜなら古い船も 新しい船のように
新しい海へでる
古い水夫は知っているのさ
新しい海の怖さを

『イメージの詩』吉田拓郎

僕は船を降ります。あとは新しい水夫の皆さんで、この MBS という古い船を動かして、古い海にではなく、新しい海に漕ぎ出してください。

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