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twitter を始める前に決めたこと

先日はここ ↓ にブログを始める前に決めたことについて書きました。

今回はその流れで twitter を始める前に決めたことについて書いてみたいと思います。

最初に書いておくと、私が勤めているのは大阪の放送局で、twitter初期のころのエピソードについてはここ ↓ にも少し書いています。

twitter 前夜

私が twitter を始めたのは 2009年7月9日でした。その前の月に、同じ部(ホームページ作成などのインターネット業務を担当している部でした)の同僚に突然訊かれたのが発端でした。

「twitter って知ってます?」
「ああ、知ってる。最近ちょっと流行ってきたね」

実は私は2007年に一度登録していたのでした。アメリカで流行っていると聞いてアカウントを作ったのですが、当時 twitter をやっている日本人は、皆無ではなかったにしても、そのほとんどは英語を日常語として英語でつぶやいている人たちでした。

私は、登録して何かつぶやいてみよっと思って「腹減った」とつぶやいたのですが、当然誰からもフォロー(当時は follow ではなく add と言いました)されておらず、また、誰をフォローして良いかも分からず、結局つぶやいても誰からの反応もなく、無性にシーンとした感じを今も忘れません。

それから2年経って、日本でも漸く広まってきた感があったので、おもしろそうだからやってみよか、ということになったのでした。

もちろん会社に届け出たり、許可を求めたりはしていません。ホームページ作成の延長であるというくらいの認識で、そんなことが必要だとは夢にも思いませんでした。

でも、同じ時期に twitterを始めた一部上場企業である某キー局の某氏は、まず法務部に許可を取りに行って、法務部は当然何のことだか分からなかったので、twitter とは何か?から説明したと後から聞いて驚きました。

ただ、それでも、いきなりやって下手こいて問題を起こしたらつまらないという思いはありました。

私に一緒にやりませんかと言ってきた同僚は全国ネット番組のホームページ担当をしていて、いきなりそんな大きな番組で失敗(当時は、そういう言葉はありませんでしたが、今で言う「炎上」のイメージです)するとえらいことになると心配していました。

そういう意味で、「悪い言い方だけど、なんか傷ついても平気なキャラクターないかな」という話になったので、私は「ひとつあるよ。あのキャラやったら失敗したら即棄てたらええから」と言いました。

それは私が 2002年10月から視聴者向けのメールマガジンに6年ほど連載コーナーを持っていた「ほなね君」というキャラでした。業界の薀蓄や裏話、バカ話を書いて最後に「ほなね」(=標準語の「じゃあね」)と結ぶので、そういう名前になっていました。

それで、私が「ほなね君」、彼が全国ネット番組名を冠したアカウントを取って、同時に twitter を始めたのでした。結語の「ほなね」は twitter でも継承しました。

で、当初は「一般人をフォローしても大丈夫かな?」みたいなところでまず躊躇していて、そういう場合はまずは私がやってみて、問題なさそうなら彼が追随して、「よし、じゃあ、次は一般人触ってみよか」などと少しずつ冒険を広げて行ったのでした。

twitter を始める前に決めたこと

さて、ここからが本題です。私は会社の許可を得たわけではないので、当然公式アカウントではありません。と言うか、最初からそんなものになる気はまるでなくて、「未公認・非公式アカウント」と名乗っていました。

で、そんな立場で twitter を始めるにあたって、一応始める前にいろいろ考えて決めたことがあります。それを列挙したいと思います。

1)放送の世界の人間が放送の世界から twitter を使って呼びかけるというスタンスではなく、twitter を使う Web の住人がたまたま放送局に勤めていたというスタンスでつぶやこう

ま、なんと言うか、社員である前に日本国民であり、日本国民である前に人間である、みたいな発想ですね。twitter というインターネットの世界に身を任せるのであれば、対岸の、異なる足場に立つのではなく、インターネットの流れの中にいたいと考えたのでした。

2)番宣ツイートはするけれど、それは1割程度に抑えて、ほとんどは仕事と直結しないことをつぶやこう

番宣というのは自局の番組を褒めることです。自分としては全然興味がなくても、あるいはまだ見ていない番組であっても、ともかく素晴らしい点を並べ立てて褒めるのです。

そればかりになると(もちろん特定アイドルの情報を取り逃がさないようにテレビ関連のアカをフォローしまくってあらゆる情報を集めまくっているヲタクの人にはフォローしてもらえるかもしれませんが)、一般の人を相手にしようと思うのであれば、もし9割が番宣ツイートになってしまったら、多分9割の人は読んでくれないだろうと思ったのです。

まあ、実際には番宣の割合は1割を超えていたとは思いますが。

3)安全運転ではおもしろくないので、問題になる(今で言う炎上する)かならないかの境界線ぎりぎりのところをつついてみたい

そもそも私の役割がそんな感じでしたから──私がやってみて大丈夫なら私の同僚の全国ネット番組アカウントが追随する。

やるからには楽しみたいし、面白くやりたい。局の公式広報みたいなことなら、自分がやることはない、と思っていました。まあ、でも、そうは言っても、所詮は企業人ですからやはりそれなりの自制心は働くもので、それほど危ないことはやっていないと思いますが(笑)

4)他局の番組であっても、他のメディアのコンテンツであっても、面白いと思ったものは褒める

上の話と直結するのですが、自局の番組だけ褒める奴、そして、自局の番組以外は全く褒めないような奴は、いくら巧言を重ねて褒めちぎっても、世間は決して信用してくれないだろうと思ったのでした。この際、系列も媒体も関係ない、ということに勝手にしました(笑)

5)twitter上でメディア論を展開しよう

これは私の興味の対象を実現しただけのことです。ま、やるからには「中の人」(当時そういう言葉もありませんでしたが)の個性が出るのは当然だし、個性を出さなくてどうする?みたいな気でいましたから。

6)ネガティブなことはつぶやかない、ではなくて、ポジティブなことをつぶやこう

ネガティブな言説はネガティブな反論を呼びます。悪感情は相手に伝染します。罵詈雑言は自分にはね返ってきます。

だから、ネガティブなことは言わないでおこう、ということになるのですが、そういう発想自体を根本から変えて、ネガティブなことを言わないのではなくポジティブなことを言おうと決意したのでした。


そんなもんかな? まだ他にもあったかもしれません。ま、でも、ともかく始める前にこれくらいのことは考えて決めたのでした。

そして、いざつぶやき始めてみると、これは体験した人にしか解らないと思いますが、初期の非常にハッピーな時代の twitter は楽しくて楽しくて、もう毎日毎日めちゃくちゃ盛り上がりました。

今みたいに「FF外から失礼します」なんて変な挨拶はもちろんなくて、FF外からどんどんちょっかい出して繋がって、どんどん広がることこそが twitter であり、さっきまで知らなかった人が翌日からは延々つぶやき交わす相手になり、挙句の果てに何人もの人とオフラインで会って、リアルに親しい友人になってしまいました。

あれから11年が過ぎ、うっかり忘れていた1日を除いて毎日毎日つぶやき続けていますが、幸いにして大体あのころと同じような心構えでやってこれています。

いや、これが正しいあり方だなんて言いたいのではありません。ただ、私はこんなことを考えてやってきました、こういうのはどうでしょう?という、皆さんへの、これも長いつぶやきのひとつなのかもしれません。

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