ネット上の書き手と読み手の、自由と自由のタイの関係
facebook の「過去の思い出」機能が、7年前に私が書いた記事をリマインドしてくれました。読み返してみて、あまりの理路整然さに我ながら感嘆しました(笑)
この「自由と自由のタイの関係」という考え方は今も変わっていません。ということもあって、この記事を note に(つまり、自分と直接の交流のない皆さんにも見ていただきたくて)再掲することにしました。
いや、と言うほど大層なものではありませんので(笑)、期待せずにお読みください。
ちなみに、その後まもなく、件の彼は根負けして去って行きました。
7年前の思い出──2013年4月10日
最近僕のブログに僕が記事を上げると必ずその記事にコメントしてくる輩がいる。
別に誹謗中傷が書いてあるわけではないし、書いてあることから利発な感じも読み取れる。しかし、書きっぷりが気に入らない。
曰く、自分は自己啓発のために他人のブログにコメントを書き込んでいる。曰く、自分はブログのコメントというものは基本的に後出しジャンケンだと思っていて、著者がグーを出したらチョキをコメントする。云々。
つまり、他人のブログを借りて、僕に練習試合を挑み、僕を打ち負かそうとしているのである。
最初のうちはたまにこちらもコメントを返したりしていた。ところが、ここまで毎日毎日書かれるとストーカーと同じである。明らかに書きたいことがあるから書いているのではなく、書くために無理やり考えているのである。しかも、打ち負かす方法を。
正直うざくなってきたので、ここのところ彼が書いたコメントは公開していない。つまり、彼がせっかく書いたものは誰の目にも触れない状態にしている。もちろん、それに対して僕も一切反応しない。
そうするとちょっと必死になってきた感がある。
僕の書いたことにいちいち「僕はそうは思わない」と書いているかと思うと、一転して「さすが!」などと褒めてきたりする。挙句の果てに、投稿名を変えて書き込んできたりもする。
しかし、「そうは思わない」と書きつけられても僕は別に何も反応する気にならない。「さすが!」と褒められても別に返したい言葉もない。投稿名を変えてきても、文章のトーンも記入元のIPアドレスも同じだからバレバレである。
他人のブログを借りて自己啓発をしようなんて虫の良い話だと思うし、全部の記事にコメントを書くなんてどうかしてると思う。
しかし、コメントというものは誰にでも書ける仕様になっているので、彼がどれだけ書くのも自由である。そして、ここは僕が会費を払って運営している僕のブログであるので、どのコメントをオープンにするかは完全に僕の自由であり、その基準を説明する必要もない。
言わば自由と自由のタイの関係である。この理屈は彼には分からないのだろうなと思う。
このまま無視していると、きっとどうしてなのか説明しろと言ってくるのではないかと思う。説明する義務があるなどというロジックを展開するのだと思う。ああ、めんどくせー。
しかし、僕のブログは彼とそういうやりとりをするためのスペースではないので、どんだけ絡まれても何も説明する気がない。
そのうちに、会社を出たところで僕は刺されるかもしれない。その場合は彼の仕業なので、警察に通報してほしい。
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