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ドラフト会議に思う

昨夜、TBS でやっていたプロ野球ドラフト会議の特番を観ました。生中継は2位指名までで、あとは言わば企画モノでした(多分毎年そういう構成なのでしょう)が、見始めたら面白くて、今回初めてほぼ全編を見通しました。

そこで近年のドラフト対象選手について感じたことをいくつか。


我がままな選手たちの消失

まず一つ目は、昔みたいに、特定の球団(そのほとんどは巨人軍でした)でないと絶対に行かないなどと言って自分から球団を逆指名したり、2位指名だったことに怒って、訪れたスカウトに「なんで2位なんだ!? だったら、もっと高く評価してくれる大学に進学する。ウチには二度と来ないでくれ」と言ったりするような(高校生の分際でそんなことをほんとに言った選手がいたんですよ)、我の強い選手がいなくなったということ。

ずっと弱小球団を応援してきた僕は、当時そんな選手たちを軽蔑し憎悪していました。

ファンとして好きな球団を応援することと自分が働く場を決めることの違いも分からんのか、と。
選手層の薄い球団に行ったほうが活躍できる可能性が高いのに、馬鹿じゃないの、と。
何様だと思っているのか。傲慢にもほどがある、と。

でも、昨今はそんな選手たちをほとんど見かけることがなくなって、「どこの球団でも何位指名でも選んでくれたところに行きます」(中には「育成でも構いません」)みたいな、球団側から見て扱いやすい選手ばかりになってしまいました。

巨人軍に行きたいと子供みたいに駄々をこねる選手たちを僕は軽蔑してはいましたが、しかし一方で、戦う集団としては、我がままで威勢の良い、暴れん坊の選手もいたほうが良いのになあと思ったりもします。

昨日見たうちのひとりの選手は子供の頃からソフトバンクのファンだったらしいのですが、「できればソフトバンクに行きたい?」と訊かれて、「できれば行きたいです」と答えた後、「もしも他球団に入ったら、ソフトバンクとの対戦では燃えると思います」などという極めて“大人の対応”の答えを返していたのでびっくりしました。

これが今どきの高校生、大学生なんですね。

「お母さん」と言う選手たち

あともう一つ驚いたのは、そんな大人の対応ができる生徒・学生たちなのに、誰もが自分の母親のことを「お母さん」と言っていたことです。

作家の檀一雄は子供が外で「うちのお父さんが」「お母さんが」と言うのが嫌で、自分の子供の太郎とふみ(女優の檀ふみ)に自分のことをチチと呼ばせていました。そうすることによって、家庭内では子供が自分に「チチー」と呼びかける変な感じになってしまいますが、外では「チチは◯◯です」「チチが◯◯した」という大人の言葉遣いができるという寸法です。

当時の大人たちにとっては、よその人に対して「お父さんが」「お母さんが」と言うことに対してそれほどまでに抵抗があったということです。

(ま、一応書いておきますと、「お父さん」「お母さん」の「さん」は敬称ですので、自分の両親に直接呼びかける場合は「お父さん」「お母さん」で構いませんが、よその人に身内のことを話す場合には、敬称はつけずに「父」「母」と言いましょう、ということです)

今ではそんなことは誰も考えないんでしょうね。きっと親も先生もそんな教育はしていないのだろうと思います。

親孝行な子どもたち

それにしても最近の若い子たちは親孝行ですね。昨日の番組でも多くの選手が「育ててくれた両親に恩返ししたい」とか「苦労してきたお母さんを助けてあげたい」みたいなことを言っていました。

そう言えば、最近のプロ野球のヒーロー・インタビューなどを見ていても、初ヒットや初勝利を記録した若い選手たちが「記念のボールはどうします?」と訊かれて、「育ててくれた両親に贈ります」みたいに答えるのをよく聞くので、僕としたらちょっとびっくりです。

もしも自分がそんな若い選手だったらと考えた時に、僕は母には感謝していますが、でも、記念のボールは自分が投げたり打ったりしたものなのだから、何が何でも自分のコレクションにする以外はありえないと思います。ま、母には別の何かをプレゼントしたかもしれませんが。

一方、ことあるごとに「誰が今日まで食わせてやったと思てんねん?」「誰のお陰で大きくなったと思てんねん?」と僕を恫喝していた父に対しては、子供を育てるのは親の義務であり、もしも子供に食わせなければ逮捕されるのに、それをあくまで善意で養ってきたかのように言って恩を着せてくる態度を憎み、忌み嫌い、反発してきました。だから、何があろうとも記念のボールを渡したりはしません。触られたくもないです。

そんな風に書くと、僕はやたらと憎悪ばかりしてきたみたいですが、しかし、あの時代、若かった僕らにとっては憎悪はひとつのエネルギー源だったんですよね。

今はお行儀の良い、親思いの子たちが増えました。それはそれで良いことなのかもしれません、と言うか、少なくともその良い面はあるんだろうなとは思います。

世の中は変わり、人々も変わり、言葉や表現も変わって行きます。
きっとこの先、プロ野球も少しずつ変わっていくのだと思います。

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