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「仕事に適性はあるか」を考え直す ~約40年前の新人研修で思ったこと、思い直したこと・その3

大昔の某在阪放送局での新人研修時代の話、3つめ。

人事政策というのは往々にしてぶれるものです。いや、人事政策には限らないかもしれませんね。

とにかく何が正解なのか見えない中で、従来やってきたものより良いものにしようと試行錯誤することによって、とかくぶれるのです。

そういうわけで我社の新人研修では外部の講師を入れている年もあれば、社員だけで賄った年もあります。私の年には外部の講師が入っていました。なんちゃらプロモーション・ビューローという会社の鈴木さんという講師でした。

鈴木講師の授業はマナー講習みたいなものから始まって非常に多岐にわたっていました。

その中で忘れられないのは、「名刺交換の仕方」でした。

鈴木講師は言いました。「必ず自分の名刺を相手に取ってもらってから、相手の名刺を受け取りましょう」と。で、よく分からないのは、その後「それでは2人ずつペアになって実際にやってみましょう」と言い出したこと。

その教えを守って実際にやってみるとよく分かるのですが、双方が自分の名刺を先に渡そうとするので、いつまで経っても終わらんのです(笑)

あれは「原則にこだわりすぎると先に進めないから、何事にも柔軟に対応せよ」という教えだったのか、それとも単に何も考えていなかったのか…。いまだに時々あのときのことを思い出して首を傾げています。

ま、それは置いといて、こんなことがありました。鈴木講師が「皆さんは営業に適性があると思いますか?」と言い出したのです。

ちなみに僕らの時代には営業志望で放送局に入社してくる人間はほぼ皆無でした。番組作りに憧れているか、報道ジャーナリズムを志向しているか、ほぼこの2つに別れていました。僕の場合は前者です。

鈴木講師は最初にY君を指名して訊きました:

Yさん、あなた、営業に適性があると思いますか?

しかし、これは訊いた相手が悪かった。Y君は何をするにも不思議なくらい自信を持った人物で、「どうだ俺はすごいぞ」と言うような嫌味なタイプでは決してないのですが、一番にはなれなくても自分なりに何でもしっかりとやり遂げてしまう人です。

彼は迷うことなくこう答えました:

あると思います。

困った鈴木講師は別の新入社員を指名しました:

Kさん、あなた、営業に適性があると思いますか?

しかし、これも訊いた相手が悪かったです。K君は憎めないキャラクターなのですが、一見して起きているのか寝ているのか分からないようなぼーっとしたところがあり、研修中に某取締役からも「K君、私の話を聞きたくないのなら出て行きたまえ」と言われた人物です。

彼は考えることもなくこう答えました:

分かりませーん。

困った鈴木講師が3番めに指名したのが僕でした。

僕は上に書いたように制作志望でしたし、無愛想で引っ込み思案で、人づきあいも下手で、酒も飲めないことからコンプレックスがあり、何よりも番組作りのセンスがない人が営業に追いやられるのだと勝手に思い込んでいて、営業局だけには行きたくないと思っていました。

でも、素直に適性がないと認めてしまうのも悔しいというのが半分、こういう場で自分は営業に適性がないと言うのは良くないのではないかと忖度したのが半分あって、こう答えました:

どちらかと言うと、ないと思います。

そうすると鈴木講師は、我が意を得たりとばかりにニヤリと微笑んでこう言いました:

仕事に適性はないんですよ。

どういうことかと言うと:

仕事に適性というものはない。この人にはできるけれどもこの人にはできないというような仕事はない。仕事は誰にでもできる。その人なりのやり方がある。自分なりのやり方でまずは取り組んでみることが大事。

──それが鈴木講師の言わんとするところでした。

新人研修の期間が終わり、僕は意に反してテレビ営業局に配属になりました。そして、それから13年間にわたって、僕は大阪本社と東京支社のテレビ営業局に留め置かれました。その間「このまま営業局にいたい」と言ったことは一度もありません。

誇張でも何でもなく、毎朝通勤途上で吐き気を催しながら、首に茶色くてカチンカチンのアトピー性皮膚炎を患いながら、僕は辛い営業マンの生活を送っていました。

その中で支えとなったのが、実はこのときの鈴木講師の話でした。

仕事に適性というものはないんだ。この人には営業マンが務まるけれどもこの人にはできないというようなことはないんだ。きっと自分なりの営業マンのあり方がある。酒が飲めなくても社交的でなくても、やりようはある。

そう信じてこの13年間を過ごしました。そして、「営業が楽しい」「営業を続けたい」と思ったことは一度もなかったけれど、何かを乗り越えたという感覚はありました。

さて、それからまた十年二十年の歳月が流れ、僕も部長になりました。そして、社内で部長研修なるものを受けました。

このときもたまたま外部の講師を雇っていました。そして、その講習を聴いているときに、名前は憶えていませんが、その講師の方がこう言ったのです:

仕事には適性というものがあるので、そこをしっかりと見極めるのも部長の仕事です。

僕は叫びたかったです:

ちょっと待ってよ! 僕は仕事には適性というものはないと信じたからこそこの13年間を乗り切れたのに、今さらそんなことを言い出すのであれば、あの苦難の13年間を返してくれ!

人事政策というものはぶれるものです。そして、会社というのはそういう無慈悲なところです。

それは一社でずっと働き続けたとしても、何社も会社を渡り歩いたとしても同じだと思います。

自分勝手に信ずるところを推し進めるしか、仕事をして行くすべはないのかもしれませんね(笑)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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今回の記事は新入社員時代について書いていますが、長い長い会社員生活全体についても、ほぼ同じようなことを書いています:


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