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お疲れさま
デスクで仕事をしていると背後から「お疲れさまです」と言われて、「え? 俺、何かしたかな?」と思うことがあります。私たちの世代はそういうときには「すみません」とか「今いいですか?」などと声をかけるのがフツーの感覚だから。
「お疲れさま」という定型句は昔からありましたが、それは何かが終わったときの表現でした。
何かのイベントや行事などが終わったときに、あるいは一連の苦労が報われて漸く一段落したときなどに、「大変だったね」「よく頑張ったね」というねぎらいの思いを込めて、「お疲れさまでした」と過去形で言ったものです。
あるいは、まだ働いている人を残して先にその場を辞する人に対して、
「お先に」
「お疲れさまでした」
「お先に失礼します」
「お疲れ」
などと使ったものです。
「ご苦労さまでした」というのも同じ意味ですが、こちらは今で言うならちょっと上から目線の表現、と言うか、別に相手を見下したニュアンスを伝えるための表現ではなくて、これは単に上司が部下に声をかけるという TPO で使うべき用語なのです。
それが、何か言うと「お疲れさま」が乱用されるようになったのは、一体いつごろからで、一体何故なのでしょう?
私が新入社員のころに、午前中に若い社員に「お疲れさまでした」と言われて、「別に疲れてなんかないわい!」と激怒した取締役がいました。
それが、今では、誰かに話しかけるとき、電話に出たとき、メールの冒頭で──と、ほとんどオールマイティな頭語として使われます。
私が思うことは2つあって、
1)若者はとかく「万能の解」を求めがちで、その答えのひとつとして「お疲れさま」をオールマイティに使っている。
2)若者は若者なりに、「冒頭で何かを言っておかなければ失礼に当たる」と思っており、その深慮が「お疲れさま」を繁用させる。
の両面があるのだろうと思います。
1)を考えると、「それはボキャブラリの貧困ではないのか?」と思わないでもないですが、逆に2)を考えると、それは単に私たちが「いつもお世話になっております」と言うのと同じなのであって、そんなに目くじら立てることではないという気もしてきます。
会社対会社として、本当にお世話になっているか、一体どれくらいお世話になっているか──そんなことを考えずに私たちはその言葉を使っています。
だからと言って、どれくらいお世話になっていたら使うべきなのかなどと考え始めたら境界線が分からないし、たまたま電話に出ただけなのであれば相手が何ほどのものなのか全く知らなかったりします。
そして、それよりも何よりも、冒頭で「お世話になっております」と言っておかないと、「こいつは礼儀を知らん」などと怒る輩がいます。
それで面倒くさいから、とりあえずそう言っておく。──そんな自分の普段の行動を考えると、若い人の「お疲れさま」をあながち非難する資格はないように思えてきます。
むしろ私たちのほうから、若い人たちに、「いちいちお疲れさまって言わなくて良いよ」と言ってあげるべきなのかもしれません。せっかくメールをやめて Slack を使い始めたのに、そこでもまだ一生懸命「お疲れさまです」と書いている人がいるのを見ると、そこは解放してあげたほうが良いのではないかという気がします。
「お世話になっております」は社外の人への言葉だからある程度仕方がありません。でも、社内の人への「お疲れさま」はもういいんじゃないでしょうか?
大丈夫、私は全然疲れていませんし、だから、そんなことで気疲れしなくてもいいよ、と。
考えすぎですかね? 「いや、気疲れなんかしてませんよ。フツーに使ってますから」とか言われちゃうんでしょうか?
私が「お疲れさま」を嫌いなのは、つまるところ自分が「お疲れ様」なのかもしれませんね(笑)
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