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僕たちはどう老いるか

毎日何してるんですか?

「仕事辞めて、毎日何してるんですか?」とよく訊かれます。最初は大抵「何もしてないよ。ただのお爺さん」などと答えるのですが、さらにしつこく訊いてくる人に対しては、まともに答えるのも面白くないので、

午前中は盆栽に水やったりして、午後はだいたい写経かな。あと、夕方になったら縁台将棋。

みたいな返しをするのですが、これをマジで信じる人が意外にいて、びっくりします。

確かに盆栽とか、写経とか、縁台将棋などは老人の典型的なイメージなのかもしれませんが、しかしそれは昭和40~50年代ぐらいのステレオタイプじゃないのかな?

僕はわざと時代感覚をずらして遊んでみたつもりだったのに、それがすんなり受け入れられてしまって逆にびっくりするのです。

僕らの世代もいまだにそんな風に見られているんでしょうかね?

老人の嗜好

僕がテレビ局の編成部で調査担当をしていた頃(1980年代半ば)の調査結果では、老人たちの圧倒的大多数が演歌と時代劇を好んでいました。あとは強いて言うなら橋田壽賀子ドラマかな(だから平日夕方の時間帯は『水戸黄門』か『渡る世間は鬼ばかり』の再放送が鉄壁の編成でした)。

当時の僕はもちろん演歌や時代劇が好きだったわけではないし、じゃあ老人の粋に達した今は好きになったかと言えば、そういうことも全くありません。

まあ、演歌は小さい頃からテレビで親しんできたのでジャンル自体に拒否感こそありませんが、でも、好んで聴くものでもありません。演歌には歴史に残る名作や新しい要素を取り込んだ画期的な作品も確かにあるのですが、その一方で、旧態依然として進歩も変化もまるで感じられないものも多くて、そういうのは聴きたくないですしね。

一方、時代劇は、昔からあまり観なかったなあ。特に正統派時代劇は。僕は昔の時代を描いていても、どこか無理やりひねってあるような、わざと踏み外したような作品が好きなんです。でも、なんであれ、「時代劇が好き」という感覚はずっとなかったし、今もないですね。

そういうことを考えると、僕らは従来の老人像からは少し違うところに来ちゃっているんじゃないかと思うんです。上で書いたのはあくまで僕個人の好みの問題ですが、しかし、僕らの世代全体を見渡しても、やっぱり僕らの親や先輩たちの世代とは趣味趣向がかなり違っているように思うのです。

そのひとつの原因は第二次世界大戦ではないでしょうか──そう、第二次世界大戦による文化的な断絶。

文化的断絶

戦争による断絶があったから、戦前/戦中に青春時代を過ごしてしまった人たちは、戦争が終わって一気になだれ込んで来た西洋文化(それは彼らにとってはまさに「異物」だったわけです)に素直に親しめなかったのではないかと思うのです。

そんな彼らには、昔からあった演歌と時代劇と、その世界観/価値観から大きく外れない橋田壽賀子みたいなものが良かったんじゃないかと思うのです。

でも、僕らの世代以降は、幸いにして日本は戦争をしていません。戦争に巻き込まれてもいません。「戦後」という名の混乱期も経験していません。

その断絶をきっかけに文化が激変するようなこともなかったのです。海外から入ってきたものもコンスタントに消化して行きました。

僕ら以降の時代では、文化はずっと連続的だったわけです。だから、僕らは若者たちと同じ音楽を聴き、同じテレビや映画を、あるいはアニメを観て楽しめるのだと思うのです。若い世代と一緒にゆるやかに変化して行けたのではないでしょうか。

逆に今では、時代劇の再放送では高齢者層の視聴率も稼げなくなってしまいましたしね。

僕の指向性

一方で僕は(また、ここで僕ひとりの話になってしまいますが)、若い頃から今に至るまでの間に、「あんな大人にはならないでおこう」とか「あんな上司にはなりたくない」などと思った瞬間がたくさんありました。

そういうことも僕(ら)が昔の老人たちとは違う指向性を持つに至った大きな要因なのではないかと思います。

というわけで、僕は盆栽も写経も縁台将棋もやりません(笑) たくさん盆栽を置くスペースもないし、書道は昔から苦手だったし、将棋は最後にやったのが多分小学生時代です。

でも、それだけじゃなくて、多分僕らは上の世代の人たちと同じじゃないほうが、そして、僕自身は(同世代も含めて)他のみんなと同じじゃないほうが嬉しいんです。

最初の問いに真面目に答えるなら、今の僕は習い始めた英会話が楽しくて、家でも暇があれば英語の映像を観たり英語の文章を読んだりしています、ということになるんでしょう。

でも、その前に、ついつい質問にまともに答えないという遊びをやってしまうんですよね(笑)

もちろん盆栽や写経や縁台将棋が悪いとは言いません。みんながやっていないだけに、盆栽やってる人は個性的で魅力的かも、と思ったりもします。写経も、やってみれば心がすーっと落ち着いてくるのかもしれません。藤井八冠に惹かれて将棋を指すのも悪くないでしょう。

ただ、なんかね、「そんな昔の爺さんみたいなことやってんのか!」と笑ってほしい、と言うか、「なんでやねん」とか「誰がやねん」と突っ込んでほしいところで、そんなに素直に信じられてしまうと、なんか肩透かしされた気分なんですよね。

そんな風な老人でいてほしいのかな? いや、そもそもそんなことどうでも良いのか。でも、どうでも良いなら訊かないでよね。

僕たちは、そして僕は、こんな風に老いてきました。そしてこの先、君たちはどんな風に老いるのでしょうね?

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