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型から入って心に通じる

年をとってくると自分の知見を何かの形で若い人たちの役に立てたいと思うようになるもんです。

それで、

「敬語はしっかり身につけて、できるだけ使ったほうが良い」

とか

「会社で嫌な奴だと思う人ほど、しっかり会話したほうが良い」

などと、余計なおせっかいをここに書きまくっているわけです(笑)が、私が言おうとしていることは概ね次の2点に集約できます。

1)考え方から改めるなんて大層なことじゃなくて、単なるテクニックで乗り切れることがある
2)心から入るのではなく、型から入って構わない

敬語を使うというのは単なるテクニックです。相手を敬う心があるかどうかという問題ではありません。

そのテクニックを使わずにいると、「あいつは俺に敬語も使わない。なめやがって」などと相手を怒らせてしまうケースがあるのです。つまり、このテクニックはは使うことのメリットもさることながら、使わないことのデメリットが大きいのです。

そのことを知っていれば、相手が唾棄すべき下劣な人間であっても、心穏やかに敬語を使うことができます。敬語を使うことによって、相手は「少なくとも敬語を使う程度には俺のことを尊重している」と感じるので、無用な軋轢を避けることができるかもしれません。

相手があまりにひどい奴だと、そんな奴に敬語を使う気にならないというのも解らないではないですが、逆に「私はこんなひどい奴に敬語を使えているぞ。私はなんと正しいんだろう」という自負も芽生えてきませんか?

そうなると、自然と心が落ち着いてきます。

相手が嫌な奴であればあるほど、しっかり相手と会話する手間と時間を取れと言うのも、「そういう心構えがないと仕事なんてできないぞ」というような偉そうな話ではないのです。

相手と心が通じていないのであれば、まず、相手と事あるごとに頻繁に事細かくコミュニケーションを取るという型を実践して行けば、心の問題は軽減するかもしれないよ、ということなのです。

だから、もしあなたが仕事上の人間関係で悩んでいるなら、もう真面目に悩むのはその辺でやめて、ただ型から入ってテクニックを実践してみてください。

少し軽くなるんじゃないかな。いや、少し軽くなってくれたら良いなあ。そう、そういうことに自分がお役に立てれば良いなあと、かつて生真面目に悩み続けて苦しんできた年寄は、今になってそんなことを思ったりするわけです。

案外悩むほどのことではなかったのかもしれません。そんな風に今は思います。一番大事なことは自分の心が落ち着くことです。

そのためには型から入っても良いのではないでしょうか。

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