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自立と依存(続・鬼一則)

昨日は電通・鬼十則の第6「周囲を引きずり回せ」について書きましたが、今日はその続きです。

昨日も書きましたが、私は電通に鍛えられ、電通に育てられたという思いを非常に強く持っています。放送局の営業局にいて、他の広告代理店とはひと味もふた味も違う対応をしてもらったと感じています。

電通のある人は私に「取引先の若手をお互いに育てるのも、大事な仕事のうちのひとつだ」と言いました。彼は「お互いに」と言いました。つまり、「お前もやれ」という意味です。私はなるほどと思って、それ以来電通の若手を観察し、適切なタイミングで、できる範囲でアドバイスをしようと思うようになりました。

少なくともそんな視点を持って接してくれたのは彼以外にはいなかったように思います。その彼がたまたま電通マンであっただけなのかもしれませんが。

どこの会社にも、よくできる素敵な人と、とんでもないバカヤローがいると思います。それはウチの会社も同じです。でも、上に述べたような、印象に残る人物が多かったのは電通でした。

私は仕事で窮地に陥っているときに、電通の、私と同年輩の某氏に助けられたことがあります。何年か後に彼に「あのときは本当に『今度こいつに何か頼まれたら、何が何でもやってやらないといけない』と思ったよ」と言ったら、彼は「そう思ってくれたらそれで良い。そうは思ってくれない人もいるけど仕方がない」と言いました。

そんな人たちに、私は鍛えられ、仕事を教えられました。もちろん今の基準で考えると結構ブラックな鍛え方もされましたが、あの時代はウチの会社も同じようにブラックでしたから(笑)

で、この文章は別に電通賛美が目的ではないので電通から離れますが、私は「周囲を引きずり回せ」を手始めに、仕事を重ねる中で、実感として、次第にいろいろなことを学びました。

一体誰から聞いたのか、あるいはどこで読んだのか定かでないのですが、「自立している人間は適度に依存している」というのもそのひとつです。これは「周囲を引きずり回せ」にも薄く繋がっています。

私は若い頃から「誰にも迷惑をかけずにやろう」という考えに常に囚われてきましたが、しかし、人は根本的に互いに依存しあって生きているのです。むしろ他人に頼れないのは自信のなさの裏返しなのかもしれません。

気軽に頼めば良いのです。そして、自分が困ったときには助けてもらえば良い。

同じような話で、私は若いころは誰にも借りは作らないように必死になっていました。いや、それはそもそも会社に入った頃に同じ営業局の先輩に言われたのです。

彼は仕事でつきあいのある誰かに奢られると、決して借りを作らないようにすぐに奢り返していると私に言いました。下戸の私からすると、酒を奢られるだけでも有難迷惑なのに、お返しまでしなければならないとは地獄だなと思いました。

でも、その先輩と同じように、ずっとその考えに囚われていたのも事実です。

しかし、ずっと仕事をしているうちにそれは間違いであることに気づきました。

仕事をする際に(いや、生きて行くすべての局面でと言っても良いかもしれません)、一番良い関係は、お互いに貸しも借りも今までに山ほどあって、いつの間にかそれがぐちゃぐちゃになって、もういくら貸しているのやら借りているのやら分からないという関係です。

例えば、笑って「腐れ縁」と言える親友とか、とてもうまく行っている夫婦とかって、そんな関係じゃないですか?

借りれば良い。貸してやれば良い。貸したり借りたりすることを躊躇する壁──そこを超えた時に初めて、我々はお互いに適度に依存した自立した人間になれるのではないかと思います。

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