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関西人は常に話にオチを求める?

上野詩織さんの記事『「え?なんで今その話したん?」関西と関東の微妙なズレ』を読んで以来、自分に当てはめると、確かに概ね納得するんですが一部に違和感もあって、ずっと考えていました。

結論から言うと、僕も大阪で生まれて大阪で育ち、26歳までは途切れることなくずっと大阪府在住でしたが、でも、僕の場合は(年齢が随分違うからかもしれませんが)上野さんとちょっと違うなという気がします。

どう違うかについていろいろ考えてみて、漸く少しまとまったので書いてみたいと思います:

上野さんは上記の記事の冒頭で、

『関西人はトークにシビア』『オチのない話をすると怒る』みたいな論調があるけれど、関西人の私はずっとしっくりきていない。関西にいる時にオチをつけて話そうなんて思ってなかったし、当然ながら話し相手にもオチは全然求めてない。

(上記の上野詩織さんの note より)

と書いておられますが、僕の場合はなんか微妙に違う気がするんですよね。

決して意識してやっているわけではないのですが、自然とオチに向かっている気はするんです。なんか、ひとつの流儀として

相手の話にオチがなかったからと言って別に怒りもしないし馬鹿にしたりもしませんが、でも、オチがないまま終わってしまうと、やっぱり「で?」と訊いてしまいます。訊いてみてそれでもやっぱりオチはないのだと判ったら、「あ、そうなんや」っちゅう感じ。

上野さんが《フリ》というキーワードで関西人の習性をまとめておられるのは、それはそれでなるほど見事な観察眼と分析だとは思うんですが、でも、僕の場合はなーんか無意識に《オチ》を目指して話している部分も明確にあるな、と自分を振り返った時に感じるのです。

んー、なんちゅうかなぁ、文の終わりに句点(。)を打つようなもんですかね。そう、句点を打ったら文が終わるように、オチがついたら話が完結するのです。

「最後には句点を打たなければ」と意識してやっているわけではないのですが、しかし、もしも句点がなく、読点(、)で終わっている文があったら、やっぱり誰でも「で?」って訊きたくなりません?

僕は東京都出身の女性と結婚しましたが、長い結婚生活の中で彼女の話に「で?」って訊くことはしょっちゅうあります。「それで終わり?」と訊くことも。僕がそう訊いても、彼女は全く悪びれることなく「うん」と頷くだけなので、そこで漸く話は平和裏に終わるのです(笑)

そう、オチは「はい、ここで話は終わり」と知らせる印みたいなものでもあります。

音楽で言うならケーデンスですね。終息感のある和音を持ってくる、みたいな。

楽器をやらない人には解らないたとえかもしれませんが、例えばキーが C の曲で G7 や F の和音でぷっつり切れてたら、「で?」って言いたくなるでしょ?

でも、キーが C の曲で C のコードで終わるのがオチかというと、そうじゃないんですよね。それはフツーの終息、と言うか、それこそがフツーの終息なんですよね。

それに対して、オチというのは、言うならば(キーが C の曲で)最後に持ってくる C6 や C69、あるいは Cmaj7 かなあと思ったりします。

いつもそんな形で終わらなくてはいけないとは言いませんし、そのほうが高級な終わり方だなどと言う気も全くありません。

でも、「どや、ちょっと凝ってまっしゃろ?」みたいな感じしません? ひとりで嬉しがってる感じ。言わばノリで、そんな終わり方をついついしてしまう──それがオチじゃないかと思うんです。

関西圏以外の人が音楽の基本、音楽の定石として C で終わらせているのに対して、関西人はいちびって(この表現も関西人にしか通じないのかも知れませんが)やたらと数字がくっついたややこしいコードを持ってきてしまう。── 時にはそれは余計なことかもしれませんが、それがオチのような気がします。

しかも、それは努力したり考えたりしてやっているわけでは決してなくて、なんか子供の頃からそんな曲ばっかり聴いてきたから、みたいな感じで自然にやっている感じがします。

なんちゅうか、別に必死で考えなくても、関西人にはそういうちょっと余計なことをしたいという血が流れているみたいな気がします。

ごく自然にオチがつく、と言うか、ま、関西人としては結局落ち着くところにオチつく、っちゅうことかなと思うのですが、この話、これでオチがついてますでしょうか?

(できたらここで「もうええわ」とか、「ええ加減にしなさい」とか、最悪「しょーむなぁ」[註]でも良いので、何かツッコんでいただければ幸いです。ひょっとしたら会話はオチだけでは終わり切れずに、ツッコまれて初めて終わるのかもしれません──この辺りは上野さんの《フリ》分析に通じる気がします)

[註] 関西弁では「せやねん」「しょうもない」という表記及び発音をする人と、「そやねん」「しょうむない」という表記・発音をする人に分かれます。僕は後者です。

ちなみに、たちの悪い冗談で、「関西には3種類の人間しかいない。漫才師か商売人かヤクザだ」というのがありますが、僕はこれはとんでもない誤解だと思っています。

関西人の心の中にはこの3人が常に同居しているのではないでしょうか。

ほなまた。


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