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「え?なんで今その話したん?」関西と関東の微妙なズレ

『関西人はトークにシビア』『オチのない話をすると怒る』みたいな論調があるけれど、関西人の私はずっとしっくりきていない。関西にいる時にオチをつけて話そうなんて思ってなかったし、当然ながら話し相手にもオチは全然求めてない。

でもその一方で、東京にいると確かに”関西の子らと話すのと、微妙になんか違うなあ”という感覚はある。東京に来た頃から、この感覚をいつか文章にしてみたいと思っていたけど上手く出来る気がしなくて、今もとりあえず見切り発車で書き始めてみる。

地元の友人達との会話中たまに「え?なんで今その話したん?」という言葉が飛んでくることがある。これはウケる…みたいなほのぼのしたテンションではなく、結構真顔で飛んでくる。関西人あるある(?)だと勝手に思っているのだけど、もしかしたら私の周りにそういう人が多かっただけかもしれない。

そして関西と関東の会話における微妙な感覚の違いは、この辺りにヒントがなかろうか…と思っている。
これだけ見ると「やっぱトークにシビアなだけだ」と思われそうだけどもうちょっと頑張って説明したい。

関西にいると《フリ》に凄く敏感になる。
特に「人に話すまでもない瑣末なネタ」や「言わずとも自明なこと」や「明らかに場違いな何か」を目の前に差し出された時に、それは《フリ》だと認識して、突っ込まないといけないみたいな使命感に駆られる人が多いというイメージがある。

これだけだと分かりにくいと思うので極端な例を2つほど出してみる。

たとえば梅田で友人とパフェを食べていたとする。誰かが「パフェ甘いわあ」と言う。すると「甘くないパフェってどんなやねん」という突っ込みが飛んでくる。
パフェが甘いなんて自明だ、でもそれを敢えて言うということは、これは《フリ 》である。だから突っ込まないといけない。
あと例えば、別に特段お洒落でもなんでもない普通の服を着てきた子が「今日はめっちゃオシャレしてきた」って言ったら「いやどこがやねん」と突っ込まないといけない。そういう世界線。

東京に来て一番困ったのが、この《フリ》か《フリじゃないか》の判断だった。多分ほとんどの場合はフリじゃない。突っ込んだら変な空気になる。頭では分かっている。

人事で東京に転勤してきた私は、チームを任された。メンバーのほとんどは東京生まれ東京育ち!な後輩たち。
その中の1人に、本田圭佑に憧れている面白い男の子がいた。新人だというのに口調とマインドだけは本田圭佑。

営業は3か月に1度戦略シートを作って戦略発表をする。そこに”今期のテーマ”を書くのだけど、他の人が「上半期で成績〇位以内に入りたい」とか「顧客から信頼される営業になりたい」とかまあそういった事を書く中で、彼はひとりだけ「リスクのない人生なんて、逆にリスクだ(※本田の名言)」を書いてきてめちゃくちゃ面白かった。
もうこれは大きすぎる《フリ》でしかなかった。仕事中彼の一挙一動、毎分毎秒すべてに突っ込みたくて、いじりたくて、うずうずが止まらなかった。でも彼はとても真剣なのだ。本気で全力で本田圭佑になろうとしている。いじってはいけない。

関西人のなんでもフリだと思ってしまう&突っ込まないといけない衝動に駆られてしまうのは、長年あの文化の中で育ち刻みこまれたタトゥーだ。環境を変えても恐らく簡単には消えてくれない。

今後も東京で暮らし続ける私は、心の中で静かに突っ込みをいれつつ、香ばしい文化の違いを感じてこれからも生きていくのだろう。

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