網羅的に語るな 象徴的に語れ
私は会社の若手に対してよく「網羅的に書くな。象徴的に書け」と言います。書くときだけではなく、語るときも同じです。
前にも書きましたが、例えば、何かのセミナーを聴いてきた時に、そこで講師が喋っていたことを全部報告する必要なんかないのです。
私の上司にもかつて「俺に全てを報告しろ」と言っていた人がいました。しかし、全てとは何か?と考えると、全てを報告するなんて無理に決まっていると気がつくはずです。
網羅の方向に行こうとすると無理が生ずるのです。
無理が生ずるだけではありません。そもそも長くなってしまいます。長い文章は読まれませんし、長い話は聞かれません。
きっちり分析してきっちり説明しようとすると、どうしても長くなってしまいまうものです。
例えば、「誰でもみんな知っている」ということを言いたい場合、科学的に一番正しい方法は、「Aさんは知っている。Bさんも知っている、CさんもDさんも…Zさんも知っている。故にみんな知っている」と網羅することです。
でも、そんな言い方をするより、ひと言「あほの坂田でも知っている」と言えば、「ああ、誰でも知っているのか」と、みんなすっと納得するはずです(あほの坂田の代わりに職場やクラスのお友だちでも良いのですが、ようするにみんなががアホと納得できる人wであれば誰でも構いません)。
それが「象徴的に語れ」ということです。分かりやすい一部分を取り出して、それを提示するのはひとつの方法です。時間を短縮し、印象をくっきりさせます。
どこから語り始めるか、ということもあります。
冒頭に現状の分析や時代的な位置づけなどの能書きめいた記述が延々と続く企画書は読まれません。
例えば、何でも良いです、仮に『論語』について何かを伝えたいとしましょう。
その時に冒頭に概論めいたものを置いて、『論語』は孔子の死後に弟子たちがまとめた書物で、「四書」のひとつであり、言ってみれば儒教の教科書みたいな本で、第一「学而」以下20の篇に分かれていて、等々と延々と語ったら、みんな耳を傾けてくれるでしょうか?
それよりも、例えば「『論語』に『鳥獣は与に群を同じうすべからず』というフレーズがあります。これは…」などと切り出したほうがよほど聞き手の興味を掻き立てるはずです。
真面目な人ほど網羅的になりがちです。決していい加減なほうが良いと言うわけではなくて、あくまで伝え方の工夫の問題です(笑)
正しい論理がものごとを正しく伝えて納得させるものとは限りません。伝えるための象徴を見つけ出すこと。──それはきっとあなたのコミュニケーション力を高めてくれるはずだと、私は思っています。
さて、網羅的に堕ちないうちに、この辺で(笑)
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