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囲い込まれ運動

僕が放送局で働いていたころ、「視聴者を囲い込め」みたいなことが社内でよく言われていました。あれはホームページというものが登場するもう少し前かな。

ここで言う囲い込みというのは 16~18世紀の英国経済史に出てくる囲い込み運動(enclosure)、つまり、共同で農作業をやっていた農地に容赦なく所有権を明確にして一部の農民の職を奪って追い出したりするようなものではありません。

土地の囲い込みではなく人の囲い込み、つまり、追い出すのではなくむしろ逃さないようにしろということでした。具体的には何かというと、ざっと言うと以下のようなことです:

毎日放送という放送局を見聞きしている人はたくさんいるけれど、全部の番組を見たり聞いたりしている人はいません。

ある人はお笑いが大好きでよしもと新喜劇やお笑い番組ばかりを観ており、またある人はドラマのファンでドラマだけを観ていたり、あるいは阪神タイガースのファンで、タイガース戦の中継があるときだけこのチャンネルを観ていたり、はたまたテレビはあまり観ていないけれどラジオのヘビー・ユーザであったりと、人それぞれでバラバラです。

もちろん毎日放送のファンという人もいるにはいましたが、どこの局でもそういう人たちはごく少数です。でも、もしも、いろいろな視聴者/リスナーを囲い込むことによって、この局ファンを増やして行くことができれば、安定的に視聴率(聴取率)が稼げるはずです。

それでまず考えられたのはファン・クラブみたいなもので、ともかくそこに入ってもらうと、お笑いファンの人もドラマ・フリークの人もスポーツ・マニアの人もみんなが「あ、このクラブに入っていると至れり尽くせりだなあ」とか「プレゼントとかいっぱいもらえて得だなあ」とか、そんな風に思えるような場を作って、皆がこのチャンネルから逃げて行かないように囲い込んで行こう

というのが趣旨でした。

そして、やがてインターネットというものが出てきて各社がホームページを持つようになると、それは Web上でいろいろな施策を弄してWeb上でファンを囲い込もうという動きになってきました。

ニュースからお笑いまで、ここに来れば誰もが満足できる会員制組織みたいなものを作って、ファンが他局に逃げないように囲い込もうと考えたわけです。でも、結局のところそれはあまりうまく行く試みではありませんでした。

だって、阪神戦を観たい人はそれがどこのチャンネルであっても良いわけで、放送していればどこだって観るわけです。良い解説者と巧いアナウンサーで良い中継ができたとしても、阪神がボロ負けしていたら視聴率は上がりません。

ドラマにしてもお笑いにしてもニュースにしても、あるいはラジオのいろいろな番組にしても皆その中身次第で見るか見ないか(聴くか聴かないか)を決めているわけで、そういうこととは無関係にファンを増やそうと考えてもそこには無理があります。

僕が編成部の調査担当をしていた時に「視聴者が持っている局のイメージというものは、各番組の総合的/全体的な評価で決まるのではなく、自分が見ているごく一部のヒット番組に強烈に引っ張られるものだ」というリポートを書いたら、「そんなことを言うと個々の番組を作っている社員の士気が下がる」と上司の不興を買った記憶があります。

でも、所詮そういうものだと思います。

視聴者にとってどこの局かなんてどうでも良いのです。視聴者が毎朝新聞のテレビ覧を見てどの番組を観るかを決めていた昭和の時代ならいざしらず、今はそもそもどこの局の番組だったか、何曜日の何時に放送している番組なのかなんてことを視聴者が憶えていない時代なのです。

そんな環境で局のファンを作ろうなんて考えても所詮は無理なのです。出版や映画のことを考えればよく分かります。あなたは前に読んで面白かった小説の出版社名や、観て面白かった映画の製作会社や配給会社の名前を憶えていますか?

まずは視聴者にとってどこの局かなんてどうでも良いのだという事実をしっかりとわきまえてかかることこそが重要なのです。

そんなわけで、どこの局でも(ではなかったかもしれませんが、少なくともウチの局では)その後あまりそういう無駄な試みはされて来なかったように思います。

僕らが目指すべきなのは、ただただ一つひとつの番組を見やすく面白くすることであって、それに加えて今の時代に求められるのは、たったひとつの番組しか見ていない人に対しても充分な利便性(あるいは満足感)を与えるということだと思います。

だから、「このクラブに入っているとこんなメリットがある」というのはまだ良いのですが、「このクラブに入っていないと○○はできない」みたいな施策は何が何でも避けるべきだというのが、今の時代に一番マッチした考え方ではないでしょうか。

他の業種に目を向けてみると、「会員になっていないと○○はできない」みたいなサービスをやっている会社は、昔から今に至るまで結構あるんですよね。たとえば、昔よくあったのはグループ会社の銀行預金からでなければクレジットカード利用料が引き落とせないみたいなやつです。

このタイプのものは今でも意外にたくさんあって、コンビニで使えるバーコード支払いアプリなんかでも、やっぱりグループ会社の銀行からでないとネット上でのチャージができず、店頭で現金チャージするしかない、みたいなことです。

かつてのクレジットカード会社は同じ金融グループの銀行とクレジット会社が共存共栄になるようなことを夢見たのでしょうが、今ではそういうやり方は徹底的に嫌われます。むしろ、今は映画サービスの“auスマートプレミアムパス”みたいに「au の携帯ユーザでなくても入れる」ということを強調して宣伝しているようなものこそが求められるのだと思います。

今のユーザは囲い込まれることを極端に嫌います。そう、今囲い込まれるのはむしろ企業の側なのです。

分かりやすく言うと、自分たちの作ったアプリがユーザのスマホの中にちゃんと囲い込んでもらえるのか、つまり、インストールしてもらえるかが勝負なのです。

大抵のユーザは同じ用途のいろんなアプリを入れるのを嫌います。なのに、自社グループの銀行からしか引き落とせないとか、自社専用のアプリを入れないことにはできないとか、そういうのは全くの時代錯誤なのです(だから、もっと端的なことを言うと、各放送局がバラバラに配信などをやっている場合ではないのです)。

とにもかくにもどんなユーザにも使いやすい汎用的なサービスを提供すること、そして、そのことによってユーザに囲い込んでもらうこと、それ以外には生きる道はないのではないかと思っています。

今僕らがやるべきなのは「囲い込まれ運動」なのではないでしょうか。あ、ごめんなさい、僕はもう退職しちゃったので、「僕ら」ではなく「彼ら」です(笑)

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