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テレワークの監視者に告ぐ

監視という理不尽(あるいはバカバカしさ)

テレワークの際に、部下がサボらずにちゃんと働いているかどうか、上司がネットを通じて監視している会社があると聞いて心底驚きました。中には何分に1回かずつ、PC のカメラで写真を撮られていて、しかも撮られたほうはいつ撮られたのか全く気づかないような仕組みを構築している会社もあるとか。

それで、上司は問い詰めるんでしょうかね?

「お前、2時20分ごろ、パソコンの前にいなかっただろう。何してた?」

なんてね。私なら以下のようにのらりくらり、終始はぐらかし作戦で行きますね。

「あ、ちょっとトイレ行ってました」
「その20分前にもいなかったじゃないか。それもトイレか? そんなにトイレ近いのか?」
「あ、ちょっとお腹壊してまして」
「なにぃ、昨日もそんなこと言ってなかったか?」
「いやぁ、夏はダメっすね。寝冷えしちゃうもんすから。あとかき氷とかね(笑)」

だって、そんな理不尽な労働強化、今どき産業革命期の製糸工場の女工じゃあるまいし、まともに取り合うのもバカバカしいですから。その程度にあしらっちゃうのが正しいんじゃないかな、と。

幸いにしてウチの会社はそこまでひどくはありません。でも、やっぱりまだテレワークが根付いていないということもあるのか、会社の決めているルールや手順にはやっぱり大いに不満があります。多分、今はどこの会社でも、多かれ少なかれそういうことはあるんじゃないでしょうか。

それでも監視をすると言うなら

冒頭の極端な例に戻って、少し私論を展開してみましょうか。

もしも勤務時間中は息つく暇もなく、決して席から離れず働き続けろというのであれば、じゃあ私が勤務時間外に仕事のことを考えていた時間、仕事のメールを読んだり、それに返事を書いたりしていた時間、そして、土日に家で書類書いたりしていた時間を、ぜーんぶ残業時間に参入して、残業代払ってからにしてくださいよ──と言いたいところです。

勤務時間外に仕事のこと考えるって、ま、確かにほんの一瞬のこともありますが、逆に1時間2時間考え続けたこともあります。でも、そんな時間に残業なんかつけたことないですよ。

メールだってそうです。

世の中に、仕事のツールとして“電子メール”というものが出てきた当初は、「勤務時間外に家でメールなんか絶対見てはいけない。それは精神衛生に良くない」なんて言われたものですが、今はそんな時代じゃありません。

だいいち、もしも金曜日の退社後から月曜日の出社時まで一切メールを開かないでいたりすると、月曜の朝には(ま、分量は人によって違うでしょうが)大量にメールが溜まってしまっていて、それを読んで、整理して、必要なものには返信しているだけで完全に午前中が潰れてしまいます。

つまり、今では土日にメールを開かないほうが完全に精神衛生に悪いんですよね。それを避けるために、言わば月曜の仕事を軽減するために土日にメールを見るんです。

でも、昔と違ってメールを見るのに家のデスクトップの電源を入れてモデムのスイッチを入れてというような面倒なことは全くありません。今はスマホで簡単に見られるんだから。

仕事以外にもプライベート・メールもあれば LINE や他のメッセージも四六時中見ているわけで、そのついでに会社のメールをチェックするのは屁でもありません。

それは紛れもなく仕事ですが、でも、だからと言って私は勤務表にそれを書き写して残業代をもらおうなんて思っていません。でも、勤務時間外に社員が仕事をしても知らん顔をしているくせに、勤務時間内にちょっと休憩しただけでとやかく言われるのであれば、それは言語道断です。

あと、平日の夜や週末に、デスクワークを家に持ち帰ってやったことなんてみんなあるでしょう?

ものすごく分かりやすい例を引くと、部下の人事考課の書類なんて会社で書いたことないですよ。会社で書いていて横から覗かれたらマズイし、部下のほうも覗く気なんてなかったのに上司に話をしにきて見えちゃったりすると気が悪いものです。

だから、人事考課の書類は 100%家で書いてきました。昨今はコンピテンシーだとか目標管理だとか、ほんとに面倒ですよ。1時間や2時間で終わる仕事ではありません。でも、それに残業代を払えなんて、言ったことも思ったこともありません。

私だけではありません。みんながやっていることです。

私がテレビ編成部にいた時代に、“タイムテーブル・リセット計画”と称して、大規模な編成見直しをやったことがあるのですが、それなんか当時の私の部下がお正月休み中に、考えて考えて考え抜いて書いて、休み明けに私が読ませてもらった分厚いリポートが発端です。

もちろん彼はその時間を勤務表に加算したりはしていませんでした。

勤務時間中だけが仕事ではない

私の2年先輩の某氏は、家で書類を書いていたら奥さんに怒鳴られたのだそうです。

「あんた、何してんの! そんなこと家でやっても一銭にもならへんやないの! 今すぐ会社行っといで!」

まあ、これは笑い話ですが、要するに社員は勤務時間中だけ働いているのではないのです。なのに、勤務時間中にちょっと席を離れたからと言ってとやかく言われる筋合いはありません。

会社にいるときだって、朝から晩まで、昼食時以外は全く休憩もせず、一心不乱に仕事に打ち込んでいるわけではありません。家だっておんなじです。そんなことちょっと考えりゃ分かりそうなものなのに、それでも労働者を監視しようとする上司の頭の悪さとさもしさにはうんざりします。

そもそも適度に休憩したり、同僚と雑談して、時には馬鹿話に大笑いしたりすることが、逆に仕事の効率を上げるものです。でも、私が言うのは、効率が上がるから家でも休憩を認めろという理屈ではありません。

効率が上がるか下がるかの問題ではないのです。そもそも仕事と私生活を峻別しようという発想が馬鹿げているのです。

仕事と私生活が切り分けられるはずがない

仕事とプライベートは分けられません。それは多分何十年も前からそうだったのですが、でも、ほとんどの会社は労働時間で給料を支払う体制を組んでいたので、表向きは仕事と私生活を分けているようなフリをするしかなかったのです。

しかし、そこから時代は進みました。今や、そういうフリを続けるにはあまりに社会構造が変わってしまいました。

生活にインターネットが組み込まれてきて、そのコミュニケーションの広がりと伝達速度の進化、そして知識の集積とネットワークの拡大。──そんな時代が来た今、仕事と私生活はもうきっちり分けられるはずもないし、分ける必然性もないのです。

私たちは仕事をしながら「ああ、今夜は何食おうかな」と考え、晩飯食いながら「そうだ、あの件、明日はこうやってみよう」などと考えているのです。

落合陽一氏が言う“ワーク・アズ・ライフ”というのも、それに近いものではないかなと、私は捉えています。

それでもまだ多くの会社では、管理する側からすれば、便宜上勤務時間を決め、残業をつけさせるのは仕方がないかもしれません。でも、そんなものは建前に過ぎず、単に便宜上のことだと労働者はみんな分かっています。

それを分かっていないのは、低脳な上司と経営者だけなのです。

冒頭にも書いたように、幸いにしてウチの会社はそこまでひどいことは言ってきません。でも、コロナに追われて慌てて作ったテレワーク規定の文章には「お前らは1時間いくらで働いてなんぼじゃ!」みたいな居丈高な思想が垣間見えてしまうのも事実です。

詳しいことはは書きませんが、テレワークに関する時間や経費の扱いなどにおいては、どうも納得の行かないこともあります。

そして、それら全ての諸悪の根源は、仕事と私生活は分けられるという誤った労働観、生活観だと私は思うのです。

切り分けられないと分かって初めて管理ができる

管理の都合上、どこかで線を引かなければならないのは分からないでもありません。

でも、私たちが「ああ、とりあえずここに線を引いておくのだな」と思っているのに、経営者や上司が「お前はここにくっきりと線が浮かび上がっているのに、これが見えんのか!」などとがなりたてるのであれば、私たちは「アホか」と返すしかありません。

仕事と私生活をきれいに2つに切り分けられると思っている限り、もはや労働者を、あるいは彼らの労働を管理することはできないでしょう。仕事と私生活は不可分で切り分けられず、したがって管理ができないのだと知っている者だけが、部下の管理をする資格があるのです。

私たちは仕事のために休養を取るのではありません。

逆にひたすらアフター5と休日のために働くのでもありません。

仕事と私生活の両方が、と言うか、すでに渾然一体となった仕事と私生活ができるだけ滑らかに転がって行くように、ひたすらそれだけを目指して生きているのだと思います。

監視するかしないかは、部下を信頼するかどうかという問題ではありません。

監視するのとしないのと、どちらが効率が上がるかという問題でもありません。

それは管理職と言われる人たちが、世界をどのように捉えているかという問題なのだと、私は思っています。

おい、そこで監視してるおっさん、逆にお前の働きぶりも逐一見せてみろや。

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