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仕事のモットー──僕はこんなことを考えながら働いてきました

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今の若い人に通用するかどうかは知りませんが、僕はいろいろ仕事を重ねて行くうちに、こんなことやあんなことに思い至りました、という感じの寄せ集めです。
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#ことば

僕がサラリーマン最後の日に語ったこと

2022年6月30日を以て株式会社毎日放送(MBS)を雇い止めになりました。 たまたまその日が定例の会議の日で、その席で挨拶めいたものを求められ、少し喋りました。以下はその時の内容を思い出しながら、少し添削、加筆修正したものです。 When I'm sixty-four最近頭の中でずっと鳴っている音楽があります(こういうのを英語では earworm = 耳の中に虫がいる、と言ったりするようです)。 それは The Beatles の When I'm Sixty-fou

お疲れさま

デスクで仕事をしていると背後から「お疲れさまです」と言われて、「え? 俺、何かしたかな?」と思うことがあります。私たちの世代はそういうときには「すみません」とか「今いいですか?」などと声をかけるのがフツーの感覚だから。 「お疲れさま」という定型句は昔からありましたが、それは何かが終わったときの表現でした。 何かのイベントや行事などが終わったときに、あるいは一連の苦労が報われて漸く一段落したときなどに、「大変だったね」「よく頑張ったね」というねぎらいの思いを込めて、「お疲れ

上から目線

今の若い人たちは「上から目線」というのを徹底的に忌み嫌うみたいですね。 彼らが使う「上から目線」という表現は今や相手の全人格を否定できるほどのモンスター・ワードになったような気がします。でも、私は彼らがそんな風に言うのを聞くと、時々「そこかよ!?」と思ってしまうんですよ。 何しろ我々の若い頃は「全出勤日=パワハラを受ける日」だったので、「上から目線」慣れしちゃっているのかもしれません(笑) 我々の世代からしたら、全社会的に言葉遣いは乱暴だったし、誰彼なく上から目線でもの

網羅的に語るな 象徴的に語れ

私は会社の若手に対してよく「網羅的に書くな。象徴的に書け」と言います。書くときだけではなく、語るときも同じです。 前にも書きましたが、例えば、何かのセミナーを聴いてきた時に、そこで講師が喋っていたことを全部報告する必要なんかないのです。 私の上司にもかつて「俺に全てを報告しろ」と言っていた人がいました。しかし、全てとは何か?と考えると、全てを報告するなんて無理に決まっていると気がつくはずです。 網羅の方向に行こうとすると無理が生ずるのです。 無理が生ずるだけではありま

敬語の稽古

若い人たちが敬語を使えなくなった──これは事実でしょう。 ただ、それはここ最近の傾向ではなく、多分ここ何十年も言われていることです。 一方で、若者たちの側でも、やはり会話によって人間関係を円滑に保って行きたいという思いがあるのは確かであって、それが彼ら独特の、物事を曖昧に表現したり断定を避けたりする言い回しに繋がっているのです。 若者独特の表現ついては多くの人が指摘しているので、ここではあまり詳しく書く気はありませんが、例えばむやみに「とか」をつけたり(最近では「だった