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ぼくがプロデューサーという肩書きをやめた理由

昨年末に長年、山本さんって仕事なにしてるんですか?って聞かれた時に言うプロデューサーという肩書きをやめることをSNSに発作的にかつ静かに発表した。

理由はいろいろあるのだけれど、主なものを3つ記しておきたい。(長いよ笑)


1つはプロデューサーって一言で何してるかよくわからない。
未だにうちの母なんか理解していないと思う(笑)
あと誤解も多い。

音楽、映画、広告、イベント、テレビなどを作っていくのにプロデューサーという名前の仕事があるけれど、それぞれが同じ名前だけれど、やってることが違う部分が結構あると思う。

ぼくはもともと広告制作のプロデューサーだった。

クライアントから課題をヒアリングし、最適なチームを編成し、クリエイティブを提案する(ときには一緒に計画する)。そして合意したら予算をクライアントに確保してもらい(最初から決まっている場合も多々ある)、制作の指揮をとり完成までクリエイティブに責任をもつといった立場だ。ざっくりとだけれど。

独立してから、その割合は少しずつ減っているものの、今もこのプロデュースという仕事はしている。

冷静に振り返ると”プロデュース”ってなんかすべてをたばねられる便利な名前だったりするのでめんどくさいからプロデューサーって名乗ってたふしがある。

が、しかし、but... 実態がよくわかりにくい言葉によって、有名にしたりブレイクしたり、お金を集めてくるとかといった期待からお誘いをうけることが幾度とあった。

そういう仕事をしてきたわけではないのに、それに応えられるよう努力してきたりした。

でも正直その努力はしんどかったし、期待にも応えられなかったと思う。
いや、そこを突き詰めようと思えなかったという方が実感に近い。

いくつものプロジェクトやアイデアにジョインした経験から身にしみてそう感じているのだ。
自分がしたいことはそこじゃないだろと。

独立後、クライアントワークのみの状況に危機感を覚えて、自分サイドから発信するコンテンツを世の中に出していく仕事を作っていこうと考え、いろんなプロジェクトをいろんな人とタッグを組んでやっていきたけれど、誰かの何かを実現することをプロデュースする仕事では、僕自身が納得がいっていないことに気づいたのだ。

だからプロデューサーと名乗るのをまずはやめました。結果的にプロデュースの仕事はするのだけれど。


2つ目。
奇跡的にコーヒーの仕事に出会い、はじめることを決めたことは大きかった。
0からプロデュースしていく仕事だし、新規事業だし、クリエイティビティもかなり必要。トライアンドエラーの連続だ。

だけど、とっても充実しているし楽しい。
でも、前述のプロデューサーという仕事ではくくれない。


3つ目。

自分自身の手と体を動かす仕事にシフトしていきたいと考えたこと。

2011年の震災以来、ずっと”生きるチカラ”について考えてきた。
自分の生きるチカラ、自然の生きるチカラ、社会の生きるチカラ。

便利な世の中が進む中で同時に失われつつある、”手応え”みたいなものが自分にも、社会にも、これから必要になるよなあ、ってことを考えた。
結果ばかりでなくプロセスを大事にする。

何かを作り出したり、探し出したりするのに自分の手や体を動かすことの気持ち良さ。人間らしさというものかもしれない。

これまで僕はそこらへんを蔑ろにしていきてきたんじゃないかと。

だから自分もできることから実践していこうと思ったし、世の中にも僭越ながら伝えることをしていきたいなと。

こうしてアウトドアや自然、スローライフなどを題材に活動を少しずつスタートしてきた。

2015年から自ら企画して2016年1月にクランクインしたYAMANOVAの映画プロジェクト。プロ冒険家の阿部雅龍氏の冒険人生を追ったヒューマンドキュメンタリーだ。

彼とはぼくが立ち上げた冒険やアウトドアにまつわるインタビューとストーリーを掲載するWEBメディア、ドキュウ!(現在はお休み中)の取材からのお付き合いで、彼自身も自分の冒険の記録を映画にしたいと思ったいたことから、意気投合し、あまりお互いを知らない時期から映画プロジェクトを開始した。

当初はプロデューサーとしてぼくが企画とプロジェクト全体のプロデュースときどき撮影みたいな立ち位置で、映像作家の野澤邦男氏が監督、撮影、編集という役割だった。そしてそれはうまく機能していたと思う。

だけど、もともと映像クリエイターを目指してスタートしたぼくの映像人生で、このドキュメンタリー映画を現状、手弁当で作り続け、ロケに行き、時には自ら撮影もする中で、プロデューサーという名前とそれに特化した役割に違和感を覚え始めたのだ。
プロデュースはするけど、プロデューサーじゃないよな、自分のやってることやろうとしていることは。って。

そう思い始めていたところ、その野澤くんからプロジェクト脱退の相談をうけることに。(詳しくはこちら>>>映画プロデューサーからフィルムメイカーへの道 


ということで、これからアウトドアコーヒーとフィルムメイカーとして進んで行くのでどうぞよろしうおねがいします。
そこを軸にしつつもイベントやライティング、スピーカーやインタビュアー、クライアントワークや各種プロジェクトワークなどもやってきますのでよかったらお声掛けもお願いします。

プロデューサーはやめますが、プロデュースワークは仕事の中の要素のひとつとして必須なので。

では、長文お読みいただきありがとうございます。



山本喜昭
YAMANOVA主宰/ヤマノバコーヒー代表
アウトドアコーヒー・フィルムメイカー



アウトドアとスローライフのレーベルYAMANOVA主宰。生きるチカラ探究者。ネパールの女性の雇用を生み出し森を育てるナマステヒマラヤコーヒー販売中。