私とあの日

皆さん、明けましておめでとうございます。今年も自分の心を文字で表現出来るように頑張ります。
さて、新年一発目のnoteで何を書こうか考えていました。今回は2つのトピックで書こうと思います。

「明日」も未来


私は、学生時代に親からのDV 、いじめに遭い自殺未遂をした経験があります。自ら「明日」を手放そうとしました。「死」を選ぶ事で生きる事から逃げました。自分を変える事・相手と向き合う事から逃げました。あの時、死んでいたら確かに当時の私は楽になれて幸せだったかもしれない。だけど、今目の前にある美しい青空を見れなかっただろう。今共に笑っているあの人に会えなかっただろう。

5年後や10年後も未来だけど、明日も未来なんです。皆さんは当たり前だと思っている明日は当たり前じゃない。今を必死に生きたから訪れる奇跡なんです。だから、私は今を必死に生きていきたい。例え望んでいない明日が来たとしても必死に生きた自分を否定したくないから。


自分の見つめ方

私は、とても面倒くさい性格をしています。基本的にポジティブな性格の私は急に心にヒビが入る。例えるなら、土の上を走っているつもりが気付いたら宙を走っている、みたいな感じ。そして、心にヒビが入ると自己嫌悪に陥って自分の存在意義も見失う。
今回、ヒビが入って考えたんですけど、人は環境によって大きくかわると思うんです。私は親からも友達からも愛情を受け取る事が少なかった。それ故に「人」に固執すると言うか大切にしすぎちゃうタイプなんです。だから、急に(俺って必要?)とか(俺っている意味ある?)とか考えてしまう。でも、それをストレートに相手に言うと面倒くさい人になってしまうから、オブラートに包んだり自分の中で葛藤して答えを見つけていくんだけど、今回は少し違って、私の仲間が残してくれた「言葉」が私に寄り添ってくれた。

私の仲間は良く言う「人は多面体というより球体なのかもしれない」と。様々なコミュニケーションの場で、そこに合った仮面を被る自分がいる。演じている自分がいる。私は、「人は万華鏡のような生物である。」と思う。
ビーズの角度や見え方によって形は変わるけど、どれも素は変わらない。どれもその人自身だと思う。ポジティブな面の裏には、対称的なネガティブな面がある。そんな自分を受け入れられるか。許せるか。人生を豊かにするのに必要な考えだと思う。


まだまだ、感じた事を言葉に出来てない自分がいます。声に出してもまとまらない自分がいます。でも、感じているんです。ここに書いてある何倍も。だから、いつか私の感情を言葉や写真・行動にして共有出来るその日まで私の表現は止まらない。


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