母からもらった古い指輪を地球からの贈り物と思えたから、使ってみようかと思う

どういう風の吹き回しか、思い立ってジュエリーボックスを開けてみた。そこには、母から譲られた古いデザインの指輪をしまってあり、使うこともないだろうと文字通り棚上げしてあった。

何年前になるだろうか、母は、普段使いの使い古した指輪ばかりを送ってきた。終活のつもりだったのだろう。良い品は手元に置いているのだから、捨てられず処分に困ったものを人に譲るという、よくある話。

だから、眺めて心ときめくというわけでもないのだが、母が指にはめていた情景を思い出した。さんごの指輪などは墓参りのときにしていて、墓石を洗ったりして傷つかないかと私はハラハラしていたが、母はまったく気にしていなかった。そんな使い方だから、案の定、傷だらけになっていたけれど、私のところにきたときには磨き直されてつるんとしていた。

それから、色の薄いサファイアは、母がよくはめていたな。それには目立つクラックがあって、私は全然好きじゃなかった。もらったところで使う気もないのに、捨てづらいから困る。

「おばあちゃんが使っていたのよ」などといいながら体よく譲れる子どももいない。たいした指輪ではないから、私が死んだらゴミになってしまうのかと思うと、忍びなかった。石も金やプラチナも、長い年月をかけて地球が育んできたものだから。

どうしようかと思いながら、ちょっとはめてみた。もらってすぐの頃には、まったく板につかなかった指輪が、この齢になると馴染むようにも感じられる。せめて生きている間は、使ってみようかという気持ちが湧いてきた。

さすがに普段使いはできかねるけれど、パワーストーンとして験を担いで家の中で使ったり(うん、家事をするには邪魔だけどね)、観劇やコンサートとか、たまの外出にするのはいいかもしれない。

母が要らないものを送ってきたと思っていた指輪を、地球からの贈り物と思えるようになったのは、自分の終活が気になる年齢になったからだろう。元気なうちは愛おしんで使い、できれば納得できる行く末を決めて後悔が残らないようにしよう。