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【WBC・侍ジャパンメンバーのあの頃】WBCもう一人のMVP! 吉田正尚が評価されたのは、王さんが好きな打球のファウルを打ったから?

WBCことワールド・ベースボール・クラシックで日本一に輝いた侍ジャパン。世の中も大いに盛り上がり、触発されて野球熱が再加熱した方もいたことでしょう。
これから侍ジャパンの選手をNPBの試合で見たり、一球速報を追ったりする際に、アマ時代など選手のバックボーンを知っていると、よりおもしろく、より選手に愛着を持てるはず!
ということで、そんな選手の背景がわかる『野球太郎』の過去記事を公開します。

今回は吉田正尚(レッドソックス)をご紹介。村上宗隆(ヤクルト)と入れ替わり、大会途中から4番を務め、メキシコ戦では起死回生の同点本塁打! WBCではもう一人のMVPと言われる活躍でした。

硬軟自在の打撃はどう養われたか? 野球人生で刺激を受けあってきた選手は誰か? どんな点が評価されてのドラフト1位指名だったか?

『野球太郎No.017 2015ドラフト総決算&2016大展望号』で掲載した記事を用いて、プロ入りまでを紹介します。
(取材・文=高木遊)

パワフルな打撃で長打を量産するスラッガー

最後の秋に三冠王

「4年間は本当に早かったですね。もう終わりかという気分です」
 吉田は大学野球生活を終え、しみじみと振り返った。
 昨秋の1部2部入替戦で敗れ、今春から東都大学2部リーグで戦うこととなった青山学院大。
 舞台は、学生野球の聖地である神宮球場から各大学のグラウンドに移ったが、チームの主砲として吉田は黙々とバットを振り続け、最後の秋には、打率.400、5本塁打15打点という成績を残し、2部リーグの三冠王に輝いた。
 また1部6季、2部2季を合わせた参考記録ではあるが、4年間の通算安打は、節目の100安打を超えた。
 吉田は、「記録のためにやっているわけではないですが」と前置きした上で、「どうしても2部で三冠王だったり、2部も合わせて(100安打)なので、そこまでの嬉しさはないですね」と冷静だったが、プロへのアピールという意味では、十分なものだった。
 そして迎えたドラフト会議当日。開始から3番目となるオリックスのドラフト1位として、吉田正尚の名は読み上げられた。

オリックスが獲得を決めた瞬間

 今春も打率.389、3本塁打10打点と好成績を残した吉田は、大学日本代表の4番としても今夏のユニバーシアードで4試合5打点と活躍。大学日本代表として初めての金メダル獲得に貢献した。また、壮行試合のNPB選抜戦では髙橋光成(西武)から文句なしの本塁打を放ち、高校日本代表の壮行試合の相手を務めた試合でも2本塁打。注目度の高い試合でことごとく結果を残した。
 それでも吉田は、今秋に新たな取り組みを始め、試行錯誤した。それが打球にバックスピンをかけることだ。
 常々「自分は体が小さいので、力を逃さずに最大限出せるようにしています」と口にしていたが、打球の飛距離を伸ばすために、自らの意向で取り入れた。
 秋季リーグ2カード目の立正大戦では、3試合で13打数1安打という結果に終わるなど、習得は簡単ではなかったが、「結果が出ず、モヤモヤした気持ちはありますが、凡退の内容は悪くありません」と挑戦を貫いた。
 そしてその成果が表れたのが、3カード目の東洋大戦だ。
 東洋大のエースは「2部で数少ない、同じ目標を持っていた選手だったので、対戦を楽しみにすることが大きなモチーベーションにもなっていました」と吉田が語る原樹理(ヤクルト・ドラフト1位指名)。
 このドラフト上位候補同士の対戦を見ようと、東洋大グラウンドのバックネット裏には6球団15人のスカウトが詰めかけた。
 その第1打席。吉田はフルカウントから原がインハイに投じた146キロのストレートをフルスイングすると、打った瞬間に「おお」とスカウトが声を挙げるほど文句なしの一発をライトスタンドに叩き込んだ。
 この一発には「力のある高めのボールをしっかり仕留めた。打撃で1軍を穫れますね」と話すスカウトもいるなど、この試合で評価をさらに高めた。
 しかし、その本塁打とは別の打席で吉田の評価を高めた人物がいた。それがライトスタンドでこの試合を見つめていたオリックスの加藤康幸編成部長だった。
 加藤編成部長は野球経験こそないものの、ダイエー(現ソフトバンク)時代の王貞治監督のもとで監督付を務め、楽天ではチーム統括本部長として、球団創設初の日本一に貢献。2014年からオリックスの同職を務めている。
 担当の中川隆治スカウトからのレポートなどをもとに、既に吉田を1位指名する方針でいたが、その確信を深めたのが第2打席だ。
 カウント1ボール1ストライクから、原が投じたインローに食い込むスライダーに、吉田は体をギリギリまで残し、ライトへ大きなファウルを放った。
 これを見て、加藤編成部長は1位指名の方針を確固たるものにしたと話す。
「昔から王さんが、“ポール際にバックスピンの効いた打球を打てる選手”をいいバッターの条件のひとつにしていましたので、あのファウルを見て決めましたね。ほかのファウルも振り遅れのようなものはなかったですし、間近でライトの守備を見ていても、守備に取り組む姿勢や体のポテンシャルに問題がないと判断しました」と、当時を振り返った。

向上した守備

 加藤編成部長だけでなく、他球団のスカウトも「守備も、1軍のレギュラーと比べて遜色のないものになった」と声を揃える。
 特にその印象を残したのが、ユニバーシアードの壮行試合として6月に行われた大学日本代表対NPB選抜との試合だ。
 前述したように本塁打でも、大いにアピールができた試合だったが、左翼手を務めた守備でも、初回のピンチで本塁へ好返球し二塁走者を刺すと、8回には左翼線を破るかと思われた長打コースの打球を横っ飛びで好捕し、チームに流れを呼び込んだ。
 送球については、高校1年時に右肩を故障したこともあり、球質の改善には長らく取り組んできたという。
「大学日本代表の合宿で江越さん(大賀/当時駒澤大、現阪神)の送球を間近で見たり、社会人の練習に参加させていただいた時に指導をしていただいて、“肩が強い”といわれる選手がどういう投げ方をしているのか、つかめました。首を少し傾けて投げることにより、腕やヒジがスムーズに出るようになったんです」
 また4年間、吉田を見てきた青山学院大の善波厚司監督も「守備、そして走塁の意識も上がりました。様々なことを学んでいるのだと思いますし、特に大学日本代表の合宿から帰ってきた後は、毎回よくなっていますね。日本代表さまさまです」と笑う。
 守備でもどん欲な姿勢を見せ、能力を高めてきたことも、「打つだけの選手ではない」とスカウトに感じさせ、プロ球団からの最高評価を勝ち得た大きな要因のひとつとなった。

好投手と戦うとワクワク

 兄の練習の送り迎えに連れて行かれるうちに野球を始めていたという吉田は、小学校2年時から最上級生に混じって試合に出場するなど、早くからその非凡な才能を発揮していた。
 また中学時代に所属していた鯖江ボーイズでは元巨人捕手の李景一監督(当時)から「『プロに行く』という強い気持ちを持っておけ。高校に入ってからが勝負だぞ」と言われていたこともあり、プロの世界をその頃から意識していた。
 そして進んだ敦賀気比でも1年夏と2年春に甲子園に出場。順風満帆かのように思えた。
 しかし、2年夏に3季連続の甲子園出場を逃すと、2年秋の北信越大会で釜田佳直(当時金沢高、現楽天)の前に5打数ノーヒット。
「こういう投手を打てなければ、高卒でプロなんて無理だ」と大きな挫折感を味わった。そして、吉田はプロ入りの目標を4年後に変え、東都大学リーグの名門・青山学院大への進学を決めた。
 吉田は高校時代から今にかけての精神面の変化について、「高校時代はいい投手と当たると聞くと、“嫌だなあ”という意識だったのですが、今では“いい投手をいかにして打とうか”とワクワクするようになりました」と語る。
 そのように意識を変えられたきっかけは、やはり大学日本代表の存在があるようだ。
 大学日本代表・善波達也監督は、今年のユニバーシアードに向け、2年前から「3カ年計画」で金メダルを目指してきた。攻守の要として、守備面では捕手の坂本誠志郎(明治大→阪神2位指名)、そして攻撃面では吉田がその期待を背負い、2年時から3年連続で大学日本代表に選出され続けた。
「初めての代表合宿では大瀬良さん(大地/当時九州共立大、現広島)とかすごい投手がたくさんいましたし、中村さん(奨吾/当時早稲田大、現ロッテ)の一つひとつの物事に目的を持って取り組む姿勢には感銘を受けました」
 また同期の存在も大きかった。
「彼を超えなければプロには行けないという気持ちでした」と話す高山俊(明治大→阪神1位指名)、「自分のためにあれだけの練習をしている奴は観たことがない」と話す畔上翔(法政大)、「ストイックさとしっかりとした理論を持っていました」と話す茂木栄五郎(早稲田大→楽天3位指名)らから多くのことを学んだ。
 また、その理論を大学にも持ち帰り、今季は「選手兼任の打撃コーチです」と善波厚司監督が目を細めるように、様々なことをチームに落とし込むなど、最上級生としての自覚が大きく芽生えた。

同期たちの無念も背に

 今回のドラフトでは、大学日本代表で同じ釜の飯を食べ、尊敬し合い、刺激を受け合った選手の多くがプロ志望届を提出し、運命の瞬間を迎えた。
 だが当然ながら、その結果は大きく明暗を分けた。
 特に、野球に懸けるその姿勢に感銘を受けていた畔上の指名漏れには「ショックでした。あんなに努力していたのに……。苦しく、悲しい気持ちです」と心を痛めており、「畔上と茂木の存在が大きかったので、2人にはすぐ“ありがとう”と言いました。茂木もあの順位には納得してないと思うので、ドラフトは厳しいなとあらためて思いました」と話し、再び同じ舞台で戦うことを誓い合った。
 だからこそ、最高評価を得てプロの世界に飛び込む吉田の決意は強い。1年目の目標を尋ねると、まずは「プロの世界に慣れたい」と殊勝に話した。
 それは一方で、慣れて手応えや課題をつかみさえすれば勝負できる、という自信の表れのようにも聞こえた。
 周囲の人物やできごとから、様々な刺激を受け、それを自らの野球道に、柔軟に注ぎ込める寛容さもある吉田。
 その道の先にはどんな栄光が待っているのか。プロでのさらなる活躍に期待したい。


★(当時の)プロフィール★
吉田 正尚(よしだ・まさたか)

身長173cm /体重80kg /右投左打
1993年7月15日生まれ/福井県福井市出身/外野手

中学 鯖江ボーイズ
高校 敦賀気比高
大学 青山学院大

★ターニングポイント・青山学院大★
 2年時から3年連続で選出された大学日本代表の活動が、向上心・探究心にさらに火をつけた。高い意識で野球に打ち込む畔上翔(法政大)や茂木栄五郎(早稲田大)らから多くのことを学び、それを自らに落とし込んだ。

★こんな選手★
 大学入学直後から主力として活躍し、周囲が驚くスイングスピードで長打を量産してきたスラッガー。今夏のユニバーシアードでは大学日本代表の4番を務め金メダル獲得。今秋には東都大学2部リーグで三冠王に輝いた。

★プロでこんな選手に★
息の長い長距離打者

 スラッガーとして身長は小さいものの、体が開かず軸のブレない打撃はプロでも大きな武器になるに違いない。1年目から外野のレギュラーを担い、門田博光(元南海ほか)のような息の長い長距離打者を目指したい。

★ここを売り込め!★
パワー溢れる打撃

 プロの水に慣れれば、向上心・探究心にさらに火がつくはず。そこから長打力と確実性の高い打撃を生かして1年目から果敢にアピールし、好成績を残していきたい。また守備や走塁でも積極的な姿勢で技術を向上させたい。

★Column★
再び狙うアベックアーチ

 吉田と同じオリックスの10位指名では、青山学院大の2年先輩で、クリーンアップを組んだ杉本裕太郎(JR西日本)が指名された。
 ドラフト前に「正尚は、寮ではよく自分の部屋に遊びにきたり、タメ口で喋ってきたり、とても人懐っこくて可愛いやつでした」と杉本が言えば、吉田も「裕太郎さんは誰にでも優しくて、みんなに好かれていました。また一緒にやりたいですね」と話していた。
 吉田は、ドラフト会議後にさっそく杉本と連絡を取り合い、「(同じ外野手として)ライバルにもなるけど、また一緒に頑張れたらいいな」と声をかけてもらったという。 
 大学時代は3本のアベック本塁打を放っている吉田と杉本。長打力溢れる打撃が売りの2人が、2003年5月22日(対専修大1回戦)以来となる4本目のアベック本塁打をプロの世界でも目指す。

(取材・文=高木遊)
『野球太郎No.017 2015ドラフト総決算&2016大展望号』で初出掲載した記事です。