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個性的すぎる高校経営者 “パワフル理事長”の夢

近森正久理事長と高知中央ナインが視界に捉える甲子園

※この記事は2015年6月に発売した『野球太郎No.015』に掲載した記事を再掲載したものです。所属、役職、成績などはすべて取材した当時のものです。ご注意ください。

高知中央の躍進を牽引する「パワフル理事長」
 5年連続甲子園出場を続ける「明徳義塾」。
 4年連続決勝戦で明徳義塾に涙を呑んだ「高知」。
 そんな二強時代に風穴を開ける躍進勢力が今夏、高知県に現れようとしている。
「高知中央」
 昨年8月の新人大会において準決勝では高知、決勝戦でも高知商を連破し初優勝。直後の秋はリベンジに燃える両校の粘りに屈し、あと一歩で秋の四国大会初出場を逃したが、今春は明徳義塾を倒しての県大会初優勝。第3シード発進となる今夏の高知大会では、2年連続ベスト4の壁を越える勢いを感じさせる。
 ところが、高知県野球関係者の反応は冷ややかである。
「近森さんがねえ……」
 どうやら理由は高知市議や各種企業社長としてマルチな才能を発揮しつつ、同校理事長を務める近森正久氏にあるようだ。聞けば、硬式野球部の試合にも足繁く通い、人事にも介入するらしい。
 高校野球界の怪人物……。これは『野球太郎』向きの人物に違いないと、逆に興味が湧いてくる。さっそく取材を申し込んだ。

廃校寸前の高知中央を立て直す
「2002年12月、最初に僕が理事長になって高知中央に行ったら、煙が上がっているんです。近づいたら、50人くらいが『タバコ消しツイスト』してました」
 廃校プロジェクトが進行する中、理事長を任された当時を振り返る近森氏。その笑顔の裏には、確かにそこはかとないバイタリティーを感じる。
 それもそのはず。20歳で食品加工会社を設立した後は、数々の業態を軌道に乗せる一方で、数々の代議士を当選に導く選挙参謀も経験。ついに4年前には自らが高知市議に立候補して、当選を果たしてしまった。
 取材中もひっきりなしにかかってくる電話とLINEとFacebookメッセージ。そのすべてに即断即決で対応していく。学校経営の対応もまた同じだ。
「最初は『挨拶・笑顔・規範・食育』から取り組む中、食育があまりにひどかった。そこでウチも食品会社を経営していますから、食堂も部活後すぐに温かいものを食べられるようにしたんです」
 かくして理事長に就任した当時の生徒数466人から12年が経過した今、高知中央は1129人の生徒が狭い校内にひしめく。土佐や明徳義塾、高知を超え、県内1のマンモス校へと成長を遂げた。もちろん、タバコ消しツイストどころか、タバコの吸殻すら一切見当たらない。
「ウチの学校は、昔は多く入れて50人から60人くらい退学者を出す“乱打戦”をしていたんです。『8対7』とか『9対6』とか。そこで学校経営を変えて、『3対0』とか『2対1』にするようにした。受験でも不合格者を出すようにしたんです」
 やたらに野球でのたとえが多い。実は近森理事長のルーツには「野球」が密接にかかわっている。

「高校球児→高校野球ファン」の目線を大事に
 中学時代は甲子園でのプレーを夢見る球児だった近森少年。通っていたのは「土佐中」。名門・土佐の付属中学である。当時の土佐は籠尾良雄監督(故人)の下、第1次黄金期の真っただ中。2歳上には後に慶應義塾大、新日鐵八幡で活躍する左腕・萩野友康が大エースとして君臨していた。
「当時は中学の夏が終わると、高校の野球部寮に入るんです。この代の土佐中の同級生は2人しかいない。『副キャプテンにはなれるな』と思いましたね。
 ただ、いろいろあってそれから1年あまりやった高校1年の3月で野球部は辞めて、第2のステージへ進んだんです」
 16歳で味わった大きな挫折。だからこそ、受験のハードルを上げる一方で、硬式野球部を含め転校生の受け入れもいとわない。
「僕自身が高校野球を十分にできなかったので、今来ている子たちには高校野球を楽しんでやってもらいたい」
 旧チームであれば、育英(兵庫)から転校してきた坂田直輝(現・関東学院大1年)。過去には明徳義塾からの転校生も受け入れたことがある。
「僕はね。純粋な高校野球ファンなんですよ」
 小回りの利くバイクを駆り、高知中央が出る、出ないにかかわらず主要な大会には必ず近森氏の姿が。ネット裏席に座り、いわゆる「桟敷席ファン」と談笑する光景は、いまや高知県高校野球の日常風景と化している。

「野球観」が「ビジネス観」だからこその厳しさ
「四国大会準決勝で負けた後も理事長は『ベスト4なんだから、自信を持って帰ろう』と言ってくれました」(現主将の伊澤魁星)
 選手たちに温かい激励を送るその一方で、野球部指導者への評価は極めて厳しい。ここで高知中央の過去10年間の監督変遷を振り返ってみよう。
1 福谷 祥監督(2004年11月〜2008年3月)
2 楠井克治監督(2008年4月〜2011年3月)
3 角田篤敏監督(2011年4月〜2014年1月)
4 重兼知之監督(2014年2月〜2015年3月)
5 河内紘宇監督(2015年4月〜現在)
 実に5人。低迷中のNPB球団もびっくりの頻繁な監督交代ぶり。思わず「暴君」という二文字が頭に浮かんでしまう。だが、そこには近森理事長ならではの理由が存在する。
「僕はピッチャーがバッターに対峙する気持ちでビジネスをやっています。バッターの顔を見れば『強い顔、弱い顔』がある。そこに何の理由があるのか考えれば、配球も考えられる。相手の顔が弱ければ突っ込んでいけるんですよね。こうやって野球観をビジネス観に変えて人生を過ごしてきました」
 野球と直結するビジネス観で修羅場を無数にくぐり抜けてきたからこそ。さらに「ウチは甲子園へ行くことだけを目的にしていない。社会における人間力を付けること目的にしてやっている」からこそ。近森理事長は高いノルマを野球部監督に与え続ける。
「僕が監督に言っていることは上善如水(じょうぜんみずのごとし)。縦型社会ではダメです」
「勝とうとするから負ける」
「『お前に任せた』。これはビジネスでは経営権の放棄です」
「『でも』、『しかし』、『だから』はウチでは全部禁止です」
「甲子園は神様が行かせてくれるところ、人知の及ぶところじゃない。9割方うまくいっても最後の最後で逃してしまうのがビジネスの世界ですが、高校野球を通じて修羅場も学んでほしい」
 高校野球にかかわるすべての人間に向けられたような訓話集。高校野球への思いが強いがゆえに、この要求に応える監督は大変だが、そのぶん勝つ喜びもまた、大きいに違いない。
 その後、近森氏へのインタビューは過去の高知県高校野球の歴史、高知中央が戦った試合分析にまで渡り、3時間近くにも及ぶことになった……。

「難しい」から「面白い」

 インタビューから数日が経過した5月23日、高知県体育大会1回戦。高知市東部球場のネット裏には、いつものように近森理事長の姿があった。だが、試合中の表情は眉間にしわが寄っている。
 視線の先には、創部4年目の土佐塾に苦戦、2年生左腕・三福徹の前に凡打を繰り返し、勝負どころで痛打を浴びる高知中央の選手たちがいた。そして春季四国大会準決勝で新田の軟投派・田中蓮(2年)に苦杯を喫した課題を克服できないまま初戦敗退が迫った終盤。理事長に近づいてみる。
「野球は難しいね」
 本音に近いつぶやきに筆者は思わずこう答えた。
「だから面白いんですよ」
 ひょっとしたらビジネスより、学校経営より目標達成が難しい高校野球の世界。だからこそ人は魅了され、のめり込む。選手たちに優しく、指導者に厳しい近森氏の本心が垣間見えた瞬間だった。
 そしていつか自分がかなえられなかった夢を高知中央のユニホームを着た選手たちが体現する日のために。
「甲子園に行って慌てない準備はしてあります。そして試合当日、高校野球ファンとして高知中央硬式野球部に拍手を贈りたいです」
 そう公言するパワフル理事長は今日も「成功につなげるため」の道筋を模索している。

※この記事は2015年6月に発売した『野球太郎No.015』に掲載した記事を再掲載したものです。所属、役職、成績などはすべて取材した当時のものです。ご注意ください。

ライタープロフィール
寺下友徳(てらした・とものり)

1971年生まれ、東京都出身。2004年にライターへ転身。愛媛県松山市に居を移し、四国のスポーツを中心に取材、執筆活動を行う。著作に『甲子園! 名将・馬淵語録 : 明徳義塾野球部監督・馬淵史郎の教え』(東京ニュース通信社)がある。

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