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[高校野球]恩師との再会 #4

昨日4月23日
朝から僕は春季奈良県大会を観戦しに佐藤薬品スタジアムに向かいました。

7:00すぎに大阪難波駅から電車に乗り
途中でお腹を下しながらなんとか佐藤薬品スタジアムに到着。

到着時は1試合目の序盤でした。

*春季奈良県*
4月23日 試合結果[2回戦]

1試合目 智弁学園 10-0  磯城野
2試合目 高田 5-4   畝傍
3試合目 奈良 19-0  県立大附属
4試合目 西大和学園 7-6   西和清陵

大差のコールドゲームが2試合
試合展開の読めない素晴らしい接戦が2試合
といった4試合。

試合観戦もさることながら
自分の中でこの日1番の出来事となったのは高校時代の恩師(野球部監督)との再会でした。

1番お世話になった恩師。
まさか今日佐藤薬品スタジアムで久しぶりの再会を果たすとは.…。


ここからは少し僕の高校時代の話を書かせて頂きます。

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僕は高校時代野球部に入っていたのですが
珍しい事に1.2.3年と全て監督が違いました。
全ての監督さんは共通して素晴らしい方ばかりだったのですが、そんな中でも1番想いが強く
特にお世話になったと感じているのが3人目の監督。

僕の中で1番の恩師はこの方。
↑本日再会したのがこのお方であります。

その3人目の監督は、自身も現役時代は名門校でプレーされており監督としても甲子園で指揮された経験のある方。
しかし、僕がその監督に1番引き込まれたのはそんな実績ではなく、圧倒的な人間力でした。

僕の当時通っていた高校は偏差値でいうところの55〜60弱くらいの普通の公立高校。
野球部人数は3年間全ての年で3学年合わせると70人くらいはいて、1.2年時は夏の県大会でベスト4と野球部はわりと活発なほうでした。

ただその学校の野球部の中で僕は極めて不真面目。周りは勉強も頑張る生徒が多かったものの
僕は赤点をとる。
2年次から試合には主力メンバーで出場させて頂く事もあったものの、私生活の乱れ、勉学の成績不振でメンバー外になる。
などなどとても良い生徒とは呼べない
そんな全てにおいて中途半端な男でした。

そんな時、(僕が2年の時)母校に新しく赴任してこられたのがその監督さんでした。
※2年の夏から監督に就任

その方は雰囲気がある方で、初めは話すのも萎縮する空気感があったものの、物腰は柔らかく…
そして発する言葉が当時の僕には理解しかねるような事が多数ありました。

「バッティングを良くしたいんやったら、毎日家に帰ったら脱いだ靴を並べて、家族に元気にただいま!って言う習慣をつけなさい」

であったりとか

「多尊自信、相手があるから試合ができる。試合中は相手の好プレーには拍手する。そのくらいの心のゆとりを持ちなさい」

などなど例をあげると数えきれないくらいの語録があります。

練習内容も2年生の時までにしていた練習内容とは大きく変わりました。

身体の使い方、礼儀作法、気の流れ、武道の精神、間合い、などなどを取り入れた練習が追加され
技術指導に加えた人間修行のようなものに触れる機会が極端に増えました。

※この数年後、母校は甲子園に出場した時
チームの所作や雰囲気、言動の特異さが少し話題になりました(笑)

それぐらい周りから見てもかなり特殊な指導が始まり、
確実に我が母校野球部に今までには無かった「確かな流れ」が生まれた、その一歩目の代が僕達やったわけです。

その監督さんとの思い出(主に迷惑かけた事)は数えきれないほどありますが
今から心に残っているエピソードについて1つ書かせて下さい。

僕は先程も書いた通り、真面目な学校の中に混ざっている中途半端な問題児でした。

2年の夏
先輩の最後の大会を控えた大事な時期
僕はしょうもない事をして謹慎処分を受けました。

期間は忘れましたが(多分1〜2週間)練習にも参加できない。
そんな僕は、その監督さんに呼び出されます。

僕は死ぬ程怒られる覚悟で監督の元に行きました。

緊張しながら監督の元に行くと
監督は怒声を浴びせる事もなくただ一言

「週末の土日、体操服着て朝7:00に体育館前のトイレに来い」

そう言われ帰らされます。

心の中は
「は?」

「怒られへんかった!」
の2つの気持ちで溢れている状態。

で、週末になり監督から言われたとうり
朝の7:00に体操服を着て体育館前のトイレに行く…
するとその監督はジャージ姿で、すでに僕の事を待っていました。

何が始まるのか?
と思いながら挨拶をすると

「今から一緒にトイレ掃除するぞ」

そう言いうと監督は体育館前の共用トイレの中に入っていきました。
そして監督は男性用小便器の中に手を入れ、1番汚れている尿が流れる部分をカポっと取り出すと
地べたに座り、ヘラを使って素手で便器を磨き出します。


「??」

と思って少しの間硬直していたものの
10秒後くらいには僕も監督のとなりで便器のよごれを擦っていました。

口数少なく2人でトイレの男性用小便器のこびり付いた汚れを擦り続けます。

僕は初めは汚さのあまり抵抗がありましたが、
さすが人間。ちょっとやり始めると不思議と慣れてくるもんで、
途中からはムキになって力を入れてヘラで便器にこびりついた尿石を擦ります。

でも力を入れて擦れば擦るほど上手く汚れが落ちなくて、無理やりいっぱい洗剤をかけてみたいりしてもなかなか汚れは落ちなくて…。

すると、黙々と便器を磨いていた監督が
悪戦苦闘している僕を見て
優しい笑顔を浮かべてボソッと口を開けます。

監督は

「〇〇、(※〇〇は僕の本名)無理やり汚れ落とそうと力ずくで便器擦っても思ったようには汚れ落ちへんやろ?
なんならかえって便器に傷つけてしまう。
やからな、「絶対に俺が綺麗にしたるからな〜」って優しい気持ちで、寄り添うようにゆっくり磨いてみ。ほんなら不思議と徐々に綺麗になっていくんや」

そう言いました。


僕はその言葉を聞いて涙が込み上げてきました。
いつも監督は確信(答え)の部分は言いません。
やから深層心理は分かりません。

でも僕はこの一言、この一緒にしているトイレの便器磨きを通して

「俺はお前を力ずくで、無理やり綺麗にしようとはしない。ゆっくりでもいい。時間かかってでもいい。俺は寄り添ってお前の成長のために向き合っていくからな」

っていうそんなメッセージを感じ取りました。

↑↑↑
のエピソードは何歳になっても鮮明に覚えている監督との思い出です。

かなり長くはなりましたが
そんな恩師と4月23日に偶然佐藤薬品スタジアムで再会したわけです。
※ある学校の野球部部長をされていて、それで球場に来られてました。

僕は恥ずかしながら高校卒業以来1度も会いにいてはいませんでした。
どこか、自分の中で会いに行くのはまだ今じゃない。と思いながら10年以上過ごしていました。

ただ、今、このタイミングで
僕は恩師と再会するチャンスを与えて頂いたわけです。


僕は遠目から恩師の存在に気づいたら
少し緊張しながら早歩きで前に行き

「〇〇先生ご無沙汰しております」
と挨拶をしました。

するとすかさず
「〇〇か!久しぶりやな!」
とすぐに気づいてくれました。

10年以上ぶり、髪型も変わって、マスクもしていた
そんな僕を恩師はすぐに僕と理解してくれた。

気づいたら佐藤薬品スタジアムで涙を流していました。

そして、そこから少しの時間会話をしました。

なかなか会いに来れなかった事、感謝の気持ち、幸せにすごしている近況報告などなど。

恩師は最後に

「〇〇は面白い選手やったな!1年生の時から仕込んであげたかった。お前と一緒に野球できて楽しかった!」

笑顔でそうおっしゃってくださいました。

さらに涙が出ました。


人生においての様々な気付きを与えて下さった恩師。
見捨てず寄り添って下さった恩師。
感謝してもしきれません。
心から「ありがとうございます」

とまあそんなこんなで僕はこの日
どの球児よりも佐藤薬品スタジアムで涙をながしていた
そんな1日やったわけでございます(笑)

春季奈良県大会の話やと思わせて
長々と自分の思い出話

失礼致しました(笑)


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