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一人っ子という選択

ウチには5歳の息子がいる。
子どもは1人だ。

まさに目に入れても痛くない可愛さである。

だったらもう1人や2人欲しいと思うことも自然なことだろうけれど、欲しいから授かろうとする選択肢を純粋に選べるのは1人目だけではないかと思う。

私は、欲しいか欲しくないかと聞かれれば100%欲しいと答えるだろう。
では授けます、ともし神様から言われれば断固拒否の選択をさせていただく。
なぜなら、体力的にも気力的にも自信がないから。経済的にも今よりはキツくなるに決まっている。

誤解されないために再度述べておくと、私は息子を授かり一緒に生きていることを人生最大の幸福と思い続けている。目に入れても痛くないなんてことが本当にあるのだと息子に教えてもらった。

きょうだいがいないと可哀想という考えを持っている人は今でも多いようで、愛情を持って日々一生懸命、精一杯、時にはぶっ倒れても起き上がって子どものために食事の用意をした日もあったりしている身としては、兄弟を産んであげていないなんて可哀想と言われてもピンとこない。いや、もし息子が無い物ねだり気質に育ったら、兄弟が欲しかったと悲劇のヒロインぶるかもしれないが・・だとしたら、兄弟がいないことではなく悲劇のヒロインぶる子に育ってしまったことに関して可哀想なことをしたなと親として反省するだろう。

でもまあ、きょうだいがいた方が良いという理由があることもわかる。
私には歳の近いしっかり者の妹がいて、両親やら祖父母やらそれらの関係性やらに対して色々想うことを話せるのは彼女だけだ。この先、両親が他界した際のあれこれを協力できるのも彼女だけだろう。それ以外にも、きょうだいだから共有できることや相談できることや協力できることはなきにしもあらずは確かな気もする。

でも、この世のきょうだい全てがこんな感じではないはずだ。
ウチなんかより遥かに良い関係性のところもあるだろうし、どうしようもないヤツに育ってしまった弟の面倒を兄が見る羽目になっているところもあるだろう。

きょうだいがいないということだけこの子は可哀想だと結びつける発想は、やはりピンとこない。
強いて、一人っ子の可哀想な点を挙げるとすれば、一人っ子というだけで、可哀想のレッテル貼りをされてしまう可能性が普通にある世の中で生きなければいけないことだろうか。
「一人っ子は可哀想だから、もう1人産んだ方がいい」と普通にアドバイスするご年配の方に出会ったこともあれば、私の母は一人っ子であることを嘆いている。母は何かにつけて自分はら可哀想であるような物言いなので、本当に一人っ子であることを嘆いているのかは誰も知る由はないけれど。

息子を育てているなかで、誰になんと言われようと、私は『子どもは1人』という選択をした。

下の子が生まれたら生まれたでなんとかなるというのが一般論としてあるようだし、実際問題、親の責任としてそうなるようにしなければいけない。

私もそうするだろう。

だけどきっと今よりも、
イライラすることは増えているだろう。
叱るを通り越して理不尽に子どもを怒っているだろう。
息子のちょっとした感情の変化に気づけていないだろう。
ヘトヘトバテバテであまり子どもと遊んでいないだろう。

じゃあ、今がそんなに息子と遊んでいるのかと聞かれればそうとは言えない。
イライラすることも少なくない。最近は減ったけれど。
息子の気持ちに完全に寄り添えてるとも向き合えてるとも言えない。というか言えるかどうかはわからない。

恐竜やらアニメのキャラクターやらのエンドレスな話は適当な相槌を打ちながら聞き流しているし、公園に連れて行っても鬼ごっこの誘いはお断りしている。
ごっこ遊びも、5分が限界だ。
一緒に絵本を読みたいけれど、息子は図鑑か動画がお好みで、そこに付き合い切れてはいない。
家はいつもおもちゃでとっ散らかっていて、うまく息子に片付けさせることができない。たまにカミナリ落とす勢いで叱りつけてようやくスッキリ片付くが、翌日には元通りとっ散らかっていてなんとも言えない。でもおもちゃでたくさん遊んだり工作したりお絵描きすることは、5歳児にとって、とってもとってもよいことだと思って、まあいっかと思っている。保育園や外出先ではちゃんと片付けているし、私もパパも、家ではちゃんと片付けているとは言いがたいというのもある。

洗面所やトイレを使う度には言い過ぎだけど、ちょこちょこ掃除している私を見て、息子もちょこちょこ真似して掃除をしている。自分で手に負えない感じに汚してしまったらちゃんと報告もできる。お風呂掃除も率先してくれるし、ゴミの分類もちゃんとする。脱いだ服は「今日は洗濯機とカゴ、どっちに入れるの」と確認してから入れるように気づいたらそうなっていた。靴下だけは、パパと同様にリビングに裏返しで脱ぎっぱなしだ。

もしいま、5歳児よりも手のかかる幼子がウチにいたとしたら・・・。

可愛すぎてたまらない幸せと、脱ぎっぱなしの靴下見るたびに激昂しているような、感情の大波乱と体力の消耗により、しょっちゅうぶっ倒れていることだろう。

ウチは子ども1人が限界。
という選択は、色々差し引いても、それで良かったと思えるのだ。

#あの選択をしたから

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