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#山尾三省の詩を歩く 1月

       台所で 
 
     台所で ふきんを洗いながら
     ふきんでも洗わねば汚れる
     まして 人間のこころはと ふと思った

     人間はなにで心を洗うのか
     山を眺めて心を洗う
     雲を眺めて
     水を眺めて
     椎の実が実る 椎の木を眺めて心を洗う
     赤まんまの 赤い花を眺めて洗う
     そしてまた
     ふきんを洗うことによって心を洗っていたのだった
     大変うれしくなって
     洗い終ったふきんをよくしぼり
     丁寧に四角にたたみ
     そっと額に当ててみた             

『五月の風』(野草社)

2023年の新年は穏やかに明けた。
年末年始は、例年北西の風が吹き荒れて寒いという印象があるせいか、おだやかな陽ざしがふりそそぐお正月というのはいいものだなあと心底思った。
年末に心細くなってきた風呂用のまきにするために頼んでおいた材が来たのが嬉しくて、まき用に切り分ける仕事を元日のその日にもちょっとだけした。そんな材の上に腰かけて、陽ざしを受けていると、どんなに厳しいできごとがあっても、なんとかやっていこうという気持ちになる。それが新年を迎えた日であればなおさらのことだ。こんなふうにして、人は青空を見て、  目を洗い、心を洗いして生きてきたんだなあとつくづく思う。

私は三省さんの台所でのできごとや洗濯ものを干したり畳んだりする詩が好きだ。
昭和13年生まれの三省さんはある時まで、家事などというものは女の仕事と思っていた節がある。その意識を大きく変えたのが、先の妻である順子さんの死だった。くも膜下出血という突然の妻の死に、三省さんは心の底から反省した。そして、私と結婚するまでの短い期間、すべての家事を引き受けてやらざるを得ない状況の中で、家事という仕事に対する認識を新たにした。それは彼にとって、とても大事な経験だったと思う。
「台所で」の詩も順子さんを亡くして、茫然とした日々の中で生まれた。台所の布きんに心を寄せる……布きんが自分の人生に大事な示唆をくれるという発想は、それまでの三省さんの人生にはなかったはずだ。
最愛の妻を亡くすという深い悲しみの中で、本当に大事なことに気付いていくというのは、なんとも厳しい。そういうことがなければ気付けないのが人間だとも言える。そして人生というものはそういうものなのだと思わざるを得ない。
「洗濯物をたたむことにほどのことに/人生はあるか/三年間をかけて/そんなことを考えていた」と始まる「洗濯物」という詩も併せてぜひ読んでもらえたら嬉しい。

…………
山尾 春美(やまお はるみ)

1956年山形県生まれ。1979年神奈川県の特別支援学校に勤務。子ども達と10年間遊ぶ。1989年山尾三省と結婚、屋久島へ移住。雨の多さに驚きつつ、自然生活を営み、3人の子どもを育てる。2000年から2016年まで屋久島の特別支援学校訪問教育を担当、同時に「屋久の子文庫」を再開し、子ども達に選りすぐりの本を手渡すことに携わる。2001年の三省の死後、エッセイや短歌などに取り組む。三省との共著に『森の時間海の時間』『屋久島だより』(無明舎出版)がある。