Pyan

趣味で大和絵やってます。 大胆不敵にも国宝「平家納経」の模写を始めました。のんびりです…

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趣味で大和絵やってます。 大胆不敵にも国宝「平家納経」の模写を始めました。のんびりですが。 模写から気づいたことや、「平家納経」の歴史背景、平安時代から現代に至る関わった人々のことを、少しずつ、知っていく楽しみを綴ってます。

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「平家納経」をさがして

「平家納経」を一昨年から少しずつ模写している。 といっても、お経の頭にある見返しという絵の部分だけの模写、それも素人の模写だから技術も知識も素材も無いので、まあ推してしるべしだ。 ただ描いてみると、素人目にも謎も世界も次々と広がる「平家納経」の底知れない魅力に徐々にハマっていった。 「平家納経」は平安末期、平清盛(1118-1181)が一門の繁栄を祈願して広島県宮島にある厳島神社(いつくしまじんじゃ)に奉納した三十二巻の国宝の写経だ。 子供の頃、教科書に載っていた写真を見

    • お経の謎解きから、平安時代の想いを知る

      国宝「平家納経」の薬王品模本は、これまた夢のように美しいため、ついつい現実を忘れてしまっていたが、れっきとした法華経の一部、お経だ。正式名称が、薬王菩薩本事品第二十三、という。 お経というと辛気臭いというか、難しそうで避けていたが、模写をやる上でとうとう無視出来なくなった。薬王品にまた葦手(絵の中に文字を忍ばせる技法)があったのだ。それも、お経の一部を表現しているらしい。 絵の意味も文言の内容によって変わってくるし、そこには平安時代の絵師や発注者の意図があるはず。 さあ、

      • 笹の葉さらさら♪ 七夕のうたの「金銀砂子(すなご)」とは

        「笹の葉さらさら、のきばに揺れる〜♪」 童謡『たなばたさま』の歌詞にある【金銀すなご】。何のことだか、知ってますか。私は知りませんでした。 この砂子(すなご)は、金箔や銀箔などを粒子状にしたもので、何かにまくと、金や銀の砂が天の川のようきらきらと広がって見える、日本画や漆器などで使われる材料のこと。 お星さまきらきら〜♪に続く金銀砂子は、夜空に無数に広がる、輝きわたる星々の情景を伝えていたのだな、きっと。 さて、砂子がどう作られるかというと、 金箔や銀箔を、片側にスチー

        • 銀とプラチナの輝きの違い

          銀とプラチナの違い。 当然、見ればすぐわかる、と思っていたけれど、これが実はわからず、結果、わたしは数ヶ月悶々とすることになった。 東京国立博物館での田中親美サンの模本「平家納経」にすっかり魅了された私は、「厳王本」の次に「薬王本」と「湧出品」の模写に取り掛かることにした。 それがうっとりするほど綺麗だったというたわいない理由でだ。 展示で見た地の色は銀だ!と思い、先生に銀泥(銀の泥のように細かい粉)で塗るプランを話したら、 銀がこんなに黒く変色せずに残るのは変だ、きっと

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        「平家納経」をさがして

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          「平家納経」模本プロジェクトを進めた人々〜益田鈍翁、高橋箒庵、田中親美〜

          「平家納経」の模本プロジェクトを託された高橋箒庵と益田鈍翁は、幕末に生まれ、維新後黎明期の財界で活躍、近代の茶人、数寄者として著名な人物だ。 今なら…戦艦「武蔵」を見つけたマイクロソフトのポール・アレンや、南禅寺の何有荘を買ったオラクルのラリー・エリソンみたいな感じ? うーむ、やっぱり想像がつかない。 騒乱の時代を生き抜き、財界で巨万の富を築きながら、引退後は数寄者として茶道、日本美術を盛り上げた2人。 彼らが牽引した財界の茶道ブームのおかげで、維新後に没落した大名氏族

          「平家納経」模本プロジェクトを進めた人々〜益田鈍翁、高橋箒庵、田中親美〜

          なぜ国宝「平家納経」の模本は作られたのか?

          原本があるのに、なぜ模本を作ったのだろう。 「平家納経」の模本の存在を知った時、私は思った。 素人の浅はかさで、模写は修行中の練習というか、原本より下に思ってしまったし、全部作ってどうするつもりだったのだろう、と考えていたのだ。 ところが、東京国立博物館で見た田中親美サンの「平家納経」の模本は、豪奢かつカンペキで、独自の輝きを放つ、すでに文化財クラスに見えた。 それもそのはず、親美サンの模本は修行などではなく、文化財の保存と伝統の継承が目的なのだ。 大正時代。「平家納経」

          なぜ国宝「平家納経」の模本は作られたのか?

          まさに極楽浄土。トーハクで田中親美サンの「平家納経」を見た。

          東京国立博物館で田中親美サンの「平家納経」模本の展示「平家納経模本の世界―益田本と大倉本―」展があった。私が1年近くかけて「平家納経」厳王本見返しの模写をやっと仕上げかけた2019年秋のことだ。 「平家納経模本の世界―益田本と大倉本―」👇 展示のタイミングがもっと早ければ、模写をする時にここは何色なんだろう、とかあれこれ悩んだり、苦労しなくて良かったのに…、とも思うが、 なぜか、こういうことはよくあるもので、 扇面古写経を模写した時も、仕上がった直後にサントリー美術館で展

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          「引き目かぎ鼻」人のワナ

          「引き目かぎ鼻」って、平安時代の人物の絵の特徴として、歴史の授業で出ませんでしたか? 私は「引き目かぎ鼻」って、浮世絵のようなうりざね顔か、おたふくさんのような下ぶくれの顔に、細い眼と平仮名の「し」のような鼻がつくもの、平安時代の人物画はみんなそうなのだと長年思い込んでいた。 だからなのか、平安時代の人物画は定型的で、顔表情が無くてつまらないなぁと勝手に誤解していた。 でも違うんです。 大和絵の模写を始めてみたら「引き目かぎ鼻」の人は意外に少ない。大和絵で有名な「信貴山

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          見えない色は何色なのか?

          田中親美(シンビ)サンの「平家納経」の模本の展覧会図録を参考に、ノロノロと私は模写を進めていた。 ノロノロにも一応理由があって、単に真似するのだから簡単そうに見えるけれど、そもそも色がついていない、何色かわからないところがあるのだ。 これは現状模写なのか。 実は模写には「現状模写」と「復元模写」がある。 「現状模写」は今ある状態をそのまま模写するとさこと、「復元模写」は制作された当時を再現する模写のことだ。 「平家納経 模本の世界」図録によると、田中親美さんは厳島神社に奉

          見えない色は何色なのか?

          渡来した臙脂(えんじ)色

          実は戦前(太平洋戦争)に使われていた日本画の絵具は様々な理由から失われてしまった色もあるそうだ。 だから平安時代どころか戦前と同じ色を求めるのは、想像以上に難しい。 まして日本画の岩絵具は「岩」を粉にして作っているので、個々の「岩」の色によって当然変わる。あの鉱山はこの色だったけど、とか、この坑道の岩石がいい、などあるのかもしれない。 日本画の画材屋さんに行くとたまに「数十年前の岩絵具だから、この色はもうこれだけだよ」と言われたりする。 いい色に出会えるかどうかはタイミン

          渡来した臙脂(えんじ)色

          絵に隠された文字

          西洋画で聖母マリアの絵に描かれる百合が清純の象徴であるように、国宝「平家納経」にも、直接的に表現しなくても、特定の印で何かの意味を伝えることがある。まるで謎かけのように。 単純にきれいだからと国宝「平家納経」の厳王本の模写を始めた私は、今更ですが、改めて不思議な絵だなと思い始めた。 画面を見てみると、右端に寄った2人の人物の左には大きく空間が広がっている。 画面左に壺が転がり、下には何故か巻物も転がっている。壺の右にある青い岩の上には同じく青い鷺のような鳥が一羽、下にも餌

          絵に隠された文字

          「平家納経」のお姫さまの十二単衣(じゅうにひとえ)

          「平家納経」の模写の模写(モシャモシャ)をしながら、ゆかりの画材、歴史などフワフワとかいています。 綺羅引きをした紙に薄墨でかすかーに線をつけていよいよ色を塗っていく。濃くすると後で目立つので薄く描くが、かすか過ぎてもはや当たりという感じ、どこまでぬっていいのやら。 まずは胡粉(ごふん)。胡粉は牡蠣や帆立の貝殻を粉末状にした白い顔料。最近ではネイルなどにも使われている。 この胡粉を膠で溶いて使う際には慣れが必要で、上手く塗れたためしがなく、よくある日本画のように筆の刷毛跡が

          「平家納経」のお姫さまの十二単衣(じゅうにひとえ)

          田中親美サンの「平家納経」

          田中親美(しんび、茂太郎)は明治8年(1875)京都生まれの書家で、父は日本画家の田中有美。有美は大和絵画家の冷泉為恭の従弟で弟子でもあった。 ちなみに冷泉為恭は幕末の騒乱の中で尊王攘夷派に殺されている。このへんは幕末を生きた大和絵画家たちを描いた津木林洋の小説「とつげん・いっけい」にも載っている。画家たちも生きることに大変だったのだ。 さて、「平家納経」のシンビさんによる模写の模写をするうちに私の中で親しいオジサン「シンビさん」に脳内変換された田中親美は、「よみがえる王

          田中親美サンの「平家納経」