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「平家納経」模本プロジェクトを進めた人々〜益田鈍翁、高橋箒庵、田中親美〜

「平家納経」の模本プロジェクトを託された高橋箒庵と益田鈍翁は、幕末に生まれ、維新後黎明期の財界で活躍、近代の茶人、数寄者として著名な人物だ。

今なら…戦艦「武蔵」を見つけたマイクロソフトのポール・アレンや、南禅寺の何有荘を買ったオラクルのラリー・エリソンみたいな感じ?
うーむ、やっぱり想像がつかない。

騒乱の時代を生き抜き、財界で巨万の富を築きながら、引退後は数寄者として茶道、日本美術を盛り上げた2人。

彼らが牽引した財界の茶道ブームのおかげで、維新後に没落した大名氏族のお宝が、安値で海外に散逸しようとしていたのを結果的に防いだともいえるらしい。もっとも高騰しすぎたようだけど。

このころの財界人って、経済だけではなく文化にもどっぷりハマってて、キョーレツな個性派揃いでメチャメチャ面白い。もっと調べて書きたいけれど、今は波瀾万丈なこの2人の概要だけでも面白いので少しだけ寄り道する。

高橋箒庵(そうあん、義雄)は文久元年(1861)水戸藩士の子として生まれた。慶応義塾に学び、福沢諭吉のもとで時事新報の記者として活躍、欧米への留学、三井銀行、王子製紙取締役など、三井財閥で活躍し、50歳で引退後は「大正名器鑑」を記すなど茶人として多大な功績を遺している。
益田鈍翁(どんおう、孝)は嘉永元年(1848)佐渡の役人の子に生まれた。アメリカ公使館でハリスから英語をまなび、遣欧使節団に参加。維新の時は幕臣として、維新後は大蔵省で大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢英一の部下となり、一緒に大蔵省を退官した後は三井物産の創立に関わり、三井財閥の大番頭と呼ばれた人物。また茶人としても近代の代表的な茶人の1人で、茶器や古美術などの蒐集家としても有名だ。

益田鈍翁をしのぶ小田原の施設「鈍翁in西海子」👇

高橋箒庵さんについて載っている根津美術館のリリース👇

「よみがえる王朝のみやび」図録によると、田中親美サンは 1900年、25才の頃に益田鈍翁と出会い、彼の所蔵の「源氏物語絵巻」を模写したそうだ。それから20年後親美サンは「平家納経」の模本を手がけることになった。

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